『父をたずねて三十里』森水陽一郎(『クオーレ』)
インターネットにふれていれば、一度は検索欄に自分の名前を打ち込んだことがあるだろう。プロサーファー、宝石鑑定士、創作フレンチのシェフ、畳職人。私の場合はざっとこんなところだ。悪くない。彩り豊富で奥行きもある。た […]
『かごめかごめ』NOBUOTTO(『笠地蔵』)
駐在所の前で自転車から降りた宮坂武志巡査は、額から流れ出る汗を何度も拭いた。 少し遅れて駐在所に着いた寺本巡査部長は、暑さの怒りを自転車にぶつけた。 「サドル。びしょびしょだよ。普通じゃねえよ、この暑さ。悪か […]
『冬はつとめて』相見える(『枕草子』)
冬は寒いもの、のはずだった。 今年はダメかもね。 管理人さんは薄く氷の張った水面を長い爪で叩いた。氷はサクリと割れて水に沈む。 この小さな丘、茜ヶ丘のスケートリンクは私が3年ほどアルバイトしている大事な収入 […]
『携帯電話』浴衣なべ(『檸檬』)
過去のトラウマが私の心を終始押さえつけていた。朝、学校の校門をくぐるたびに忌まわしい記憶が鮮明さを増し、心の中で大きく膨れ上がる。普段萎んでいるそれは、校内に入ったことをきっかけとして私の心を圧迫してきた。私は […]
『血の池地獄でレッツポールダンス』風見がいこつ(『蜘蛛の糸』)
あろうことか、お釈迦様が極楽さんぽを楽しんでいる。 極楽は本来、阿弥陀如来様のテリトリーである。そこをお釈迦様が逍遥しているのだ。 これがどのくらい場違いかと言うと、ドラゴンボールにドラえもんが登場するくら […]
『わたしの羽衣』ツキシタ(『天の羽衣』)
私には、愛する夫を産み育ててくれた人を、愛する義務がある。たとえそれが、年老いた小言ばあさんであっても、無邪気な少女であっても、だ。 「ゴン」―鈍い音が聞こえた。洗濯かごを足元に置き、小走りで居間へ戻る。嫌な […]
『空腹の君と僕に』小松波瑠(『牛方と山んば』)
雨宿りをしていたら、ヤマンバに遭遇した。 「もう、めっちゃ降るじゃん」 ヤマンバは鏡を見ながら目の周りの分厚いメイクを確認し、色素の抜けた前髪を整えた。浅黒い指先から鋭く伸びる赤い爪。あんなもので襲われたら、 […]
『柱の傷は、』宮沢早紀(『背くらべ』)
線香のにおいがする。これがこの家のにおいだったと思い出す。もったりとして眠くなるようなにおい。お仏壇の部屋にいなくても、なんとなく漂ってくるにおい。 眼は閉じたまま、今度は耳をすましてみる。一つや二つ聞こえる […]
『消えない』草間小鳥子(『生まれ変わりのしるし』)
ピシャッと柔らかい肉を打つ音がして、菜穂は肩を震わせた。この音を菜穂は知っている。その時に手のひらに染みる痺れも。信号待ちをしている群衆の背後から「どうして余計なことするのっ」と尖った声が響く。ざわめきのなか、 […]
『in New World』内藤ハレ(『不思議の国のアリス』
母が戻らない。母の消えた方向を見つめ、私はどうしようもない不安に駆られた。 悪い予感がしたんだ。二度と会えないようなそんな予感。だから行かないでほしいと頼んだ。それこそ泣いてすがった。それでも母はいつものよう […]
『畑で歌を口ずさみ』いいじま修次(『動くかかし』吉四六話し(大分県))
ゆっくりと夜明けが始まった。 光が、夜露をキラキラ輝く朝露へと変化させ、山間には大きく柔らかな白いモヤが揺らめき出す。 太陽は、静かに少しずつ光に熱を持たせ、山の緑や畑の土に温もりを与え始めていく。 何も […]
『銀河鉄道を夢見た夜』こうすけ(『銀河鉄道の夜』)
バイクのエンジン音が僕の目を覚ます。もう11月だと言うのに天気予報では最高気温23度なんていう嘘みたいな数字が踊っていた。いつもより目覚めのいい朝がきたと何となく感じながら、モゾモゾと寝床から這い上がり、たどり […]
『狐に教わる工事のススメ』粟生深泥(『亀割石(熊本の昔話)』)
「先輩ー、今日も駄目ですね」 プレハブで作られた事務所に入ってきた星野朱里は困り果てた声とともに「大洋建設」と書かれたヘルメットを脇に抱えた。僕は溢れてくるため息をそのまま吐き出しながら窓越しに問題の現場を見る […]
『不思議の国のあいちゃんたち』淡島あわい(『不思議の国のアリス』)
飼育係のあいちゃんが、逃げた白兎を追って行方不明になってから三週間が過ぎた。 その間、送られてきた写真は三枚。どれも笑顔のあいちゃんが写っている。 「脅されてるに決まってる!」と羊ヶ崎さんは言った。「あいちゃ […]
『二度寝』やまこしひなこ(『眠る森のお姫さま』)
「あ、まずい。目が覚めてしまった」 王女は、起きなくてもいいのに早く起きてしまった日のことを思い出した。 時たま、母親である女王や乳母に優しく起こしてもらう前に、目がぱっちりと開いてしまう、少し損をしたような […]
『シン・デレラ』駿平(『シンデレラ』)
シンデレラは激怒した。 「ちょっと、これ本気で言ってるわけ?」 「ええ、恐れ入りますが、そちらが今回の修正要望でございます」 そう答えるのはメッセンジャーだ。彼は読者の世界と物語の世界の橋渡し役をしており、定 […]
『アップ!』香久山ゆみ(『浦島太郎』)
竜宮城で私は踊る。 来る日も来る日もステージの上で舞う。ひらひら煌びやかな衣装を纏って。 竜宮城を訪れた人に現実を忘れさせてあげるために、舞台には鮮やかな幕の裏から次々に踊り子が飛び出す。スパンコールを散り […]
『正解な道』真銅ひろし(『桃太郎』)
朝7時に家を出て、大体8時30分くらいには職場につく。 「おはようございます。」 ホワイトボードに貼られている自分の出退勤のマグネットを“退勤”から“出勤”にひっくり返す。パソコンの電源をつけて起動するまで待 […]
『母と弟』岐波和(『北風と太陽』)
私は考えていた。この問題は、深刻であると。 中学2年生の弟はバスケットボール部に所属していた。朝から晩まで部活動やっ自主練に明け暮れ、熱心にバスケットボールと向き合っていた。しかしながらその成果が実 […]
『たなおろし』太田純平(『機械』)
例えばレモンが三つあるとする。左手に持ったスキャナーでレモンのバーコードを読み取り、右手で端末の“3”のキーを叩き、エンターキーを押す。そしてその隣にリンゴが一つあったとする。その場合、レモンの“3”のキーを叩 […]
『百分の壱物語』裏木戸夕暮(『日本の妖怪の伝説』)
小夜子は枕元の電灯を消そうとしてやめた。 元々小夜子は、寝室を真っ暗にして眠るのが好きだった。 近頃は消せない日が続いている。 「おはよう」 飼い猫に声を掛けて朝のおやつをあげる。元保護猫で、団体の人に […]
『デコトラと人魚』双六(『人魚姫』)
ヒッチハイクでデコトラを止めてしまった。 十五才、人生初めての家出で北海道から東京へ向かった。肌寒い初秋だった。 窓ガラスが開き、運転席から助手席越しに声を掛けられる。顔は見えないが女性の声だ。 「ヒッチハ […]
『暖かい雪』山本ちく(『狐の恩返し』)
大晦日の夜、亡くなった妻と娘に化けた二匹の狐がカップうどんを持ってやってきた。 「おとうさん、ひさしぶり」 娘に化けた狐は、娘とよく似た声で屈託なく笑った。 「今年も一年お疲れさま」 幼い笑い声が部屋に響き […]
『あんこく老人ホーム』桜井かな(『花咲かじいさん・舌きり雀・こぶとりじいさん』)
あたしは三か月前からちょっと変わった名前の施設で働いている。 その名も「あんこく老人ホーム」だ。最初は変な名前にびびったけれど、ここしか採用してもらえなかったから仕方ない。最近は人に勤務先を聞かれたら「あんこ […]
『カンペ』永佑輔(『代書屋』)
三日前のこと。ソメシタ塾の講師が、知的問題を抱える小学校二年生の女子塾生を連れ回して逮捕された。 近隣住民たちは事件に関する説明会の開催を要求した。 塾長の染下京子は要求を呑んだものの、説明責任を果たせそう […]
『メイキング 桃太郎戦記』小木田十(『桃太郎』)
昼食後、善三は狭い裏庭で小型の芝刈り機を押していた。孫たちが来たときに、ここで遊ばせるために芝生を植えたのだが、役立ったのは幼かった一時期だけで、すぐに孫たちは家の中でゲームばかりするようになり、今は洗濯物を干 […]
『この反論が終わると君は去ってしまうから』淡ひそか(『天女の羽衣』『雪女』)
「いや、それおかしいと思う。いやいや、それはちょっと違うんやないか?だってな?『誰かに言ったら』っていうのは、つまるところ他人に秘密をばらしたらあかんよ、っていう話やろ?ばらしてしもた人が、結局はあの時のおまえや […]
『クロワッサンと筍ご飯』ウダ・タマキ(『田舎のネズミと町のネズミ』)
クロワッサンを頬張る顔が、憎い。 ついに憎しみの感情が芽生えたか。そう思いながら、倉田貴子はコーヒーを啜った。 にがっ― 「どう? 美味しいでしょ?」 「え、あ、まぁ……」 「このペルー産のコーヒーは、酸味 […]
『修羅よ、櫻の樹の下で眠れ』長月竜胆(『春と修羅』『櫻の樹の下には』)
草木を掻き分け、時に斜面を這いずりながら、山を登っていた。 東北の桜の開花は遅い。ようやく蕾がちらほらと開き、春の色が辺りを染め始めていた。 季節を映して刻々と変わりゆく風景。毎日眺めてもいれば、確とその変 […]
『存在のカタチ』村草ミサキ(『死なない蛸』)
教室の窓から見える空は今日も灰色です。私の机の上の細い薄緑色の花瓶には、首の折れた赤い薔薇が一輪挿してありました。花びらの色は黒ずんで、乾いた血を想起させます。底の方には澱んだ水がさびしく残っています。おそらく […]