小説

『存在のカタチ』村草ミサキ(『死なない蛸』)

 

 

 教室の窓から見える空は今日も灰色です。私の机の上の細い薄緑色の花瓶には、首の折れた赤い薔薇が一輪挿してありました。花びらの色は黒ずんで、乾いた血を想起させます。底の方には澱んだ水がさびしく残っています。おそらくは今日、榊先生が、また新しい一輪を挿して水を足してくれるはずです。


 今日は月曜日。最初に教室へ入ってきたのは、宮本君です。彼はいつも一番早く教室に来て、私の席の前にある自分の机の上をぬれティッシュで丁寧に拭きます。そうしてカバンから一時間目の科目の教科書を出して、予習を始めます。今日の一時間目は彼の得意科目の数学なので、天然パーマの黒髪の下の横顔に精気がみなぎっています。ノートを走る鉛筆の音が私の心を和ませます。がんばれ、宮本君。

 次にやってきたのは、カオリとユリエです。遠くから通ってくる彼女たちは同じ電車なので必然的に一緒に来ることになるのです。長い茶髪をてっぺんでお団子に丸めたカオリの後を少し離れてユリエがついて入ります。二人は近所に住んでいるらしく小中学校も同じで親同士も知合いです。でも、彼女たちの相性はあまりよくありません。カオリはユリエがいないときに、ユリエの悪口をよく女子たちに言っています。ユリエは教室に入ると、席について漫画を読み始めます。電車の中での続きです。カオリは荷物を席に置くと教室を出て、まだ誰もいないトイレで団子髪をおろして、念入りに編み込みを始めます。根元の黒い髪と毛先の白けた茶色とのグラデーションが下等な平和の象徴です。

 カオリが教室に戻るころには、ミツエもトモミも来ていて、甲高い笑い声を天井まで飛ばしながら宮本君をバカにし始めています。

「朝からなんの計算してんのー」

「ねーねー、今日も、髪、くるくるはねまくってんだけど」

「なんか、くつした、臭うんじゃ」

「なんで、いまどき鉛筆?」

 宮本君は計算に自己を埋没させています。同じ星の上でも異なる世界の住人には目もくれません。私は宮本君の精神力をこよなくリスペクトしています。

 漫画から顔を上げてユリエが眉間にしわを寄せてカオリたちをにらみます。

「うっせーんだよ」

 咎められた三人は目を合わせて廊下に出ていきます。ユリエの父親は工場を経営していて、カオリの父親が死んだ後は代わりに母親が雇われており、カオリはユリエの機嫌を損ねたくないのです。

 廊下では他のクラスの同族たちが集まり始め、もごもごと蠢く黒い張りぼてになっていきます。そこから下へ向かって生えている足は、枯れ木のようなものもあれば、巨大な白ソーセージのようなものもあり、いつかユリエがノートにその不気味な映像を書き込んでいるのが見えました。頭が黒く足の白い蛸の絵でした。


 榊先生は2年目の新任教師で国語を担当しています。このクラスの担任で、生徒たちに毎日かわいがられて大変です。初めて担任をする彼女は事あるごとに首を少し右に傾けてすぐにおどおどするので、カオリたちの暇つぶしのターゲットにはうってつけなのです。冷え性らしく夏でもカーディガンをはおり、秋になっても同じ浅黄色の同じカーディガンを、ボタンを全部とめて着ています。冬になると、カーディガンの上から大き目サイズの作業着を着て、右手には花柄のアームカバーをしています。それがまだなんとも可愛らしいダサさで、カオリたちの神経を突っつくのです。

 榊先生が物理の今永先生を愛していることに私は気づいていました。今永先生には奥さんがいて、去年の文化祭の時には奥さんが小さな子供の手を引いて見学にきていました。文芸部の展示コーナーには私と榊先生だけがさびしく座っていました。文化祭のために作った水色の表紙の文集は、私の書いた詩と、榊先生が書いた短編小説だけで成り立っている薄くて小さいものでした。部員は当時はもう私ひとりだけになっていて、廃部寸前でした。

 その文集を今永先生の子ども―五歳くらいの男の子―に手渡すと、彼は「ありがと」と言って、すぐにパラパラと文集をめくりました。ユリエに頼んで書いてもらった挿絵の蛸の絵を見つけると「ママ、タコさんだ」とにっこりしました。私は美しい笑顔を久しぶりに見た気がしました。榊先生は今永先生の奥さんと展示したパネルに書かれた私の詩について話していました。奥さんは小さくうなずきながら熱心に聞いていました。そこに今永先生が現れると、子どもが「パパ」と叫んで駆け寄り、奥さんも軽く私たちに頭を下げて、三人で教室を出てゆきました。榊先生はパネルの傾きを直そうとして、はずみでパネルを床に落としてしまいました。哀しみのはじける音がしました。榊先生の目はせつなく青く光っていました。


 榊先生は、とても声が小さいので、なかなか授業が成り立ちません。下手な説明でも声が大きいとそれなりに授業っぽくなるのですが。国語の時間には、宮本君は数学の問題解答に没頭し、ユリエは漫画を何度も真面目に読み直し、カオリたちは机を寄せ合って、恋バナに夢中です。ミツエに新しい彼氏ができたので、トモミはちょっとすねています。

 他のクラスメイトも、授業とは関係ないそれぞれのことをしています。榊先生は、丁寧に作った授業資料を配布した後は、黒板に向かって小声で時を過ごします。榊先生の授業資料は完璧で、それを読めば定期テストにはそれなりの点数が取れるため、親たちからのクレームがくることもありません。今永先生が遅くまで職員室に残って仕事をするので、榊先生には資料を念入りに作る時間がたっぷりあるのです。今の私には、榊先生は死んだように、でもひたすら生きている人間として映ります。


 今の私には身体という形象がありません。ただ、形が備わっていたころから、ほとんどの人に忘れられていました。私の葬儀には、宮本君もユリエも来てくれました。なぜかカオリもミツエもトモミも来てくれて、白いおそろいのハンカチで同じように頬のあたりを押さえていました。

 葬儀が終わった後、榊先生は両親の前で土下座をして肩をぶるぶると震わせていました。母はぼんやりとして相変わらず変でした。継父はすごい剣幕で榊先生を怒鳴りつけ、母と継父の間に生まれた小さな弟は痣だらけの手足を床に投げ出してぐずっていました。

 私の死をめぐる風景に、私は新鮮な驚きを禁じえませんでした。継父がなぜ怒るのか。おそらく私がいなくなったことの原因を「家庭の事情」から切り離すための無意識の行為なのでしょう。身体が消滅すると、意識が研ぎ澄まされ、切れ味がよくなる快感が湧き上がってきました。ぼんやりとした母こそ、自分に正直に生きているのかもしれません。種々の感情の処理ができずに葛藤状態が長く続くと、ぼんやりするしか生きる術がないではありませんか。母の身体が消滅するのもそう遠くはないような気がしてきました。


 榊先生が放課後ようやく私の花瓶の花を挿しかえてくれました。首の折れた薔薇を抜き取って、澱んだ底の少し残った水の上に、コップについできた水を注意深くこぼれないように注ぎます。なぜか榊先生は花瓶を洗って全部を新鮮な水にはしてくれないのです。その理由は分かっています。私がここに生きているのを知っているからでしょう。下水に流してしまっておしまいにしたくはないのでしょう。本当にひとりぼっちになってしまいますものね。そうして新しい赤い薔薇を一輪、自分の血の代わりに活けてくれるのです。

 榊先生も私と同じように澱みに生きているのですね。ただ、いぜんとして形象を持ったままではありますが。


 形がなくなると真実に自由になる。今の私には分かります。そうしてとても幸せです。こうやって、澱んだ水の底から、世界を広く見渡すことができるのですもの。

 榊先生、授業で教えてくれたでしょう。萩原朔太郎の「死なない蛸」を。

 確か、蛸が最初に食べたのは自分の足でしたね。一本ずつ、自分の足の形を確かめながら、その吸盤のひとつひとつを慈しみながら口に含んだに違いありません。私もそうでした。吸盤は噛み応えがあって咀嚼するのに、とても時間がかかります。自己の内面の複雑さを思い知らされます。次は「胴を裏がへして、内臓の一部を食ひはじめた」のでした。これは勇気のいる行為です。自己を明るみにさらすということは、相当の覚悟が必要です。内臓の味は、それまでの人生が凝縮された濃い悲しみの味でした。「どこもかしこも、すべて残る隈なく。完全に。」「身体全体を食ひつくしてしまつた」私は、「死なない蛸」となって、この小さな花瓶の中で生きています。朔太郎の「死なない蛸」は「或る物すごい欠乏と不満をもつた、人の目に見えない動物」となりましたが、私は、今の方が穏やかで幸福です。


 ですから、榊先生にも、早く私と同じように、形象なき生き物になってほしいのです。それは、宮本君やユリエ、カオリ、そしてミツエやトモミたちとも無縁な世界です。そして今永先生とも。私が生きる世界には、ほんの少しの選ばれた人しか来ることができないのです。

死んでも生きることができる世界には。


 榊先生、まずは表の形を放ってみてください。右腕のアームカバーも、作業着も、カーディガンも下着も脱いで、素裸になってみてください。そして自分の体を鏡に映してみてください。その哀しい形に絶望すること間違いなしです。その小さな乳房を誰に捧げるつもりですか? まず首を長く垂れて、両手で思い切り乳房を掴んで、膨らみの頂上にある小さなラズベリーのような突起を口に含んで強く噛んでみてください。次は足です。右側からにしましょう。親指の爪を舐めて噛んで、膝まで食べてしまったら、左足にしましょうか。そうして今度は残った太ももまでを右足から順に。

 次は裏側です。自分の穴という穴から、上手に両手を使って自分を裏返してみましょう。そうして永遠に受精しない卵をひとつずつ体から外して食べていきましょう。生の原点を食べることが裏側での最初に必要な作業です。その鋭い痛みを消し去るために脳に行ってみてください。海馬という神聖な生き物がいて、それを食べるとすべての過去が消え去ります。それから膵臓のランゲルハンス島へと泳いでいき、なまあたたかい血を丁寧に吸い込みながら心臓へと辿っていきましょう。鼓動があなたを待っています。その旅の途上で、身体とはこんなにも心を満たす美しい食べ物であることをあなたは初めて知るでしょう。

 あとは、食べたいところから丁寧に食べていきましょう。それぞれの形を確かめながら。

 食べて食べて食べつくして、もう女でも男でもヒトでもない生き物になったら、私と同じように水の底で、形象なき姿となって、万人の哀しみを抱いて「生きる」のです。


 いつか誰かが気づいてくれるかもしれません。「飢ゑた蛸」である形なき私たちに。飢えている間、生き物は何かを求めている。つまり死なないでいるのです。それは美しい生のカタチです。存在の魔力です。その気づいた誰かも引き寄せられてしまう消滅という存在のカタチです。


 教室は今日も平和なノイズで満たされています。私の家は相変わらず怒号と悲鳴が渦巻いています。花瓶の水は時間とともに澱んできて凝縮されていき、榊先生が形なき生き物になってから、誰も花を活けてくれません。表面上は濁った水ですが、私の世界では真に透き通っています。だから広く世界が見渡せるのです。


 ある日、掃除の時間に、机を動かされたとき、花瓶が床に落ちて割れてしまいました。榊先生が担任だった頃には、掃除の時間には、先生がまず花瓶を安全な場所に移動してくれていたのですが。

「この花瓶、なんで置いてあったんだっけー」

 形ばかり箒を手にしていたカオリがトモミに尋ねました。

「先生が花挿してたんじゃー。なんか知らんけど」

 宮本君は掃除の時間も数学の問題を解いていて、ユリエは床にしゃがみこんで漫画を読んでいます。ミツエは彼氏とのラインに夢中です。


 誰もが花瓶のことを忘れてしまっていました。水はとうに干上がっていて、床に飛び散ったのはガラスの欠片だけでした。薄緑色の光がキラキラ尖っていました。

 けれどもかつての生き物の意識は確かに永劫にそこに存在しています。世界は無限大に解放されていきます。「死なない蛸」として存在するために。(了)