小説

『母と弟』岐波和(『北風と太陽』)

 

 

私は考えていた。この問題は、深刻であると。 

 中学2年生の弟はバスケットボール部に所属していた。朝から晩まで部活動やっ自主練に明け暮れ、熱心にバスケットボールと向き合っていた。しかしながらその成果が実ることはなく、チームのスタメンになるのは難しい状況だった。帰宅後ぼーっと疲れを癒す彼に、北風が吹き荒れる。 

「ちょっと、宿題やったの?」 

「あんた試験近いんじゃないの」 

「高校どうするつもりなの」 

「勉強しなさい!」 

 彼はその母から発される吹き荒れる北風のような怒号に耐え凌ぎ、耳を塞ぐよう過ごしていたが、時に我慢ならず、カウンターとして 

「うるせえ!」 

と一発、突風を吹き出し、部屋と心の扉バタンと閉め、冷たい風が届かないところへ逃げていた。 

「はぁもう!どうすんのあの子!バスケのスポーツ推薦も無理だろうし、勉強しないとなると、どこへも行けないじゃない!仕事でもするつもり!?こんな時強い父親がいれば言うこと聞くんだろうけど…どうしたらいいのよ!!」 

 母と父は離婚しており、父親は不在だった。 

母は中二男子の扱いに戸惑い、心細く感じていた。だが父親がいない分、責任感を強く感じ、親心として彼の将来のため、口うるさく言う他手立てがなかった。 

 私は一人暮らしで浪人生活をしていたため、実家にはたまに帰る程度だった。客観的に母と弟のその状況を見て、母の子を思う気持ちも痛いほど理解していたが、それと共に、弟の母親への苛立ちにも激しく共感していた。 

 家の中に北風がビュンビュン吹いている環境は弟にとってはもちろん、私にとっても、母でさえも心地が良いものではなかった。   


 この家族間での状況を客観的に見ていると、イソップ童話の「北風と太陽」の中の北風と旅人の構図に当てはまる。それも旅人は北風のみを浴び、耐え凌がなければいけない。限界に達すると、せもてもの抗いとして怒りの感情をぶちまける。どうせその反発が空中分解されてしまおうとも、そうする他ない程にストレスを感じているのだろう。だがその行動は、結果的に北風に拍車をかけている始末だった。負のループだ。 

 そして母はこの「北風と太陽」を客観的に見ることを忘れ、現代版北風と太陽の登場人物になっている。北風である自分が一番強く正しいと信じ、強風を吹き荒らし、旅人に服を脱がせることに必死なのだ。 

 童話上、単純に考えて、ここに必要なのは太陽。セオリーとして父親を想像するが、我が家は父親は不在。 

 太陽を人間に置き換えるとするならば、実際、太陽のような人間になるには相当な精神的余裕が必要だと言えるだろう。また、精神的な余裕を手に入れるためには経済的な余裕がなくては難しいだろう。 

 うちの父親は経済面の余裕はなく、それに対しての焦りを感じつつも今生きることに精一杯だった。土日はほぼ寝ているかテレビを見るという過ごし方だった。子供や家庭との関わりは、進んでやるタイプではなかった。無論、太陽的人間とはいえなかった。だが父はそれでいて、北風でもなかった。 

 私が弟と同じ歳だった頃、母と父は不仲ではありながら、まだ夫婦関係にあった。母親はよく、父に「あなたから勉強しろって強く言ってよ!」と言い、父へは中継ぎとしてその場凌ぎのように、私に「ほら、またママ怒ると面倒だから宿題やっちゃえよ〜」と言った。 

 父親の言葉に、”大人の言うことは聞け”という意味は全く込められていなかった。同じ視点でものを言う父親は私から見ても”大人らしい”大人だとは感じなかった。だがその分、父親には大人に対しての不条理さは感じず、反骨精神は全く湧かなかった。 

 母は、教育に無関心で”父親らしくない”父を、社会性に欠けた大人になり切れない子供のように思っていただろう。私にとっての祖父にあたる、自分の父がそうであったように、父にも時には”父親らしく、父親として”の厳しい態度で子供に対して北風を吹かせることを望んだ。 

 だが父は期待に沿わなかった。そしてまた、北風を黙らせる太陽のような振る舞いをするという発想もなかった。父は外見こそ大人であっても、中身は大人というものに対して不条理さを感じる旅人の一人だった。 

 二人の不仲は続き、私が中3の受験期の頃離婚した。 

 現在、家庭内における”大人”であるのは母のみ。母は強く責任を感じ、「社会で生き抜くためのレールを敷くことは他でもない、私の仕事だ。」と、信じて疑わなかった。 

 私が母の北風に便乗し、人生は我慢だ!不条理に勝て!と言わんばかりの根性論で北風的教育に加担するのは、まず却下。かと言って、”ただ、勉強をさせる”という、服を脱がせると同意義の目的を持ち、それを果たすという、一方的な母の都合のために、意図的に私が太陽を演じ、弟という旅人に対して表面的な解決を促すだけで、この話の問題は本当に解決したといえるだろうか。太陽が乱入したとして、旅人にとって「あれ、なんだか暖かくなった。服脱ご。めでたし。」で、いいのだろうか。それに、現実的には太陽はその場凌ぎの一時的な存在でしかなく、きっと北風は止むことはないだろう。 

 旅人は北風と太陽の争いなど予想だにせず、今吹き荒れる北風に嫌気がさしているだけの状況である。他者の勝手な都合で、旅を純粋に楽しめやしない。己で歩むうちに立ちはだかる障害ではなく、自分の意図せぬ場からの作為的な障害を浴びせられているだけだ。宿題という障害にどう向き合うかを考えるべきである弟は、北風という不自然な障害にそれを邪魔されているに等しい。 

 しかしながら現代において普遍的である、大人になることとほぼ同意義とされる、社会の中で生きていくということ。旅人を経て、社会的立ち位置を得るために、北風か太陽的人間に変貌してゆく生き方選ぶ人々を、後々、現実で目の当たりにすることになるだろう。 

 旅人でいることも可能だが、その分北風と太陽からの圧力を受け続けなければならない。それが嫌であれば地位を確立し、太陽か北風に。 

 敷かれたレールは太陽か北風か、精神的に険しい状況を生き抜き、道なき道をゆく旅人か。親心としては想像するに厳しい旅人で居続ける道は避けてほしいのだろう。欲を言えば太陽のような人間になってほしいことも理解できるがそれは綺麗事だ。 

私が知っている限り、完全な太陽である人など見たことがない。誰かにとっては太陽であっても、別の誰かにとっては北風になることはある。逆も然りだ。 

 大人になるにつれ、自分が太陽であるか北風であるかを客観視できなくなり、現状北風となってしまったのが、母だ。 

 それを責めるべきでもなく、しょうがないことである。なぜなら私たちは紛れもなく、もとは人間であるからだ。 


 ゆとり世代だと馬鹿にされるかもしれないが、私は将来太陽や北風にならずに済む道を選ぶため、美大の浪人という旅人として、今は洞窟に身を潜めて自分と向き合い、この先、自然の流れで『太陽がある暖かな場』や、『旅路で身を冷やすであろう北風』に出会うことを望んでいた。旅人同士で支え合い、自然から受ける障害を乗り越え、耐え凌ぐ方法を考え、生きてゆきたい。 

 人は大人になると忘れてしまう。旅人であった子供の頃、大人に対して抱えていた疑問や、怒り。大人から当たり前のように、理不尽に突き付けられる”現実”や、”社会”。目に見えないが迫り来るそれらへの戸惑いを。 

 しかしながら社会構造の元を生きてゆく中で、争いを被らない旅人でいることは強い精神力や、ある意味浮世離れした思想を必要とするとも言える。 

 考えすぎることは毒だ。疑問を忘れ、時間的な解決に身を委ねることや、見て見ぬふりをすること。それが、生きる術になっていくのは容易に想像がつく。それは、諦めや、逃避、妥協であり、自己防衛だ。 

 無意識に太陽や北風になろうとしてしまう旅人も、なってしまった旅人も、もはや社会構造における被害者である。 


 うーん。 

 話を戻すと今ある、我が家の現状の解決をするために私ができることは母と弟それぞれと会話するのみ。とりあえず太陽の存在は不用。 

 夕食後、逃げるように部屋へ行く弟に着いて行き、部屋をノックした。 

「どうしたの」 

「いや、空気悪いなと思って。ママがさ、なんであんなうるさく言うと思う?」 

「それは…将来のためでしょ。」 

「将来のためね…」 

「それはわかってるよ。だけどさ、あんなふうに言われるとやる気なくすんだよ。自主的にやらせてくれよって思わない?」 

「めちゃくちゃ思う。言い方ね。しつこいし。私の時もそうだった。」 

「でしょ。」 

「だけどさ、前提としてあんなにうるさく言ってくるのは、勉強を全くやってないと思い込んでるからだと思うんだよね。目に見えないから。実際どうなのか知らないけど、自分の部屋じゃなくてママの目の前でノート開いてペン持ってさ、”勉強やってますよ”感、見せつけて黙らせなよ。勤勉装って。(笑)多分効くと思うよ。」 

「たしかに。(笑)」 

「私の経験上、それであの嵐は止むと思うからとりあえずその作戦決行してみてよ。」 

「うん…わかった。」 

「正直、実際やってるかやってないかは、結果的に自分の将来に関わるって言うのはあるだろうし、自己責任になるってのが現実だからね…。スポーツ推薦取るのは結構博打っぽいし、高校でバスケ続けたいならバスケで高校選んで、勉強で入るのも手だとは思うけど。」 

「うん、そうだね。」 


  そして居間へ行き、 

「あの子勉強やってるのかしら、寝てるんじゃないの?」 

とぼやく母をなだめ、会話を試みた。 

「子供の頃、勉強好きだった?」 

「好きではないね。でもやるのが当たり前だった。」 

「なんで?」 

「私の場合は父親が怖くて、やる他なかったからあれだけど、あの子にとっては脅威的存在がいないし私が言うしかないのよ。」 

「でもママは正直脅威ではないし、中二男子からしたらウザいだけになっちゃうよ。」 

「怖くないだろうね(笑)まあ舐められてるよね。わかってるわよ。だから口酸っぱく言うしかないんじゃない。」 

「心配なのは分かるけど。あんな言い方じゃ逆効果だし、本人はそれがママからの愛情としての行為だとは認識できないと思うよ。脅威がなくても、勉強をやるべきだと自分で感じるように、方法考えようよ」 

「どうしたらいいのよ」 

「子供だった頃にさ、勉強やれって言われて、あーやろうと思ってたのに言われてやる気無くした。って思うことって、なかった?大人になると言っちゃうもんなの?」 

「あったわよ。とはいえ、言うしかないのよ。」 

「でも子供の時は、言われなければやるのに!って思ったでしょ。言われると意固地になってやらなくなるっていう、天邪鬼なやつ。ちなみに私はそうだった。」 

「知ってる。(笑)」 

「当時友達に、「親が勉強しろってうるさいんだ」って話をしたのね。その友達は宿題ちゃんとやって来る子だったんだけど、親は勉強に関して何も言ってこないって言ってた。」 

「それはその子が言われる前にやるからでしょ。」 

「それが違うらしくて、勉強やらない時期もあって、親がそれを知ってても、本当に何も言ってこないんだって。で、誰のせいにもできない、自己責任で自分の未来が決まる。ってことを自分で理解するから、やるんだって。笑」 

「なるほど。」 

「でもそれって理屈的に筋通ってるよね。やろうとしてたのに言われるから、やらない。けど、言われないから、やるんだよ。そのまんまじゃん。」 

「たしかに。」 

「だからさ、言われないと、意外とやるもんだよ。後で自分が後悔しないように、自分で考えて、自分から進んでやると思うよ。」 

「あの子がやるかしら?」 

「テストで結果出た時にそれに対して意見を言えばいいじゃん。叱るんじゃなくてね。その時も、自分が子供の頃親に感じてたことを思い出して、対等に会話すればわかると思うよ。私から、自己責任だからねって釘刺しといたから、しばらく黙って様子見るように心がけてあげてよ。」 

「…わかった。」 


 弟はこれから分岐点を目の当たりにするだろう。それが太陽や北風に通じる道なのか、旅人のまま行く道なのか。自分の思う正しい道はどの道なのか。 

 母は旅人の気持ちを思い出せるだろうか。ある種北風でいなくてはいけないという強迫観念から逃れることができるのだろうか…。 

 私はまたそれを観察しながら、自分の旅路へ戻る。