小説

『正解な道』真銅ひろし(『桃太郎』)

 

 

 朝7時に家を出て、大体8時30分くらいには職場につく。

「おはようございます。」

 ホワイトボードに貼られている自分の出退勤のマグネットを“退勤”から“出勤”にひっくり返す。パソコンの電源をつけて起動するまで待つ。

「・・・。」

 起動するのにかなり時間がかかるのでその間にコーヒーを入れる。

 9時になり朝礼が始まる。

「え~、夏休みが明けて少したちますが欠席が続いている学生には連絡を取ってあげてください。そのままにしておくとそのままズルズルと学校に来なくなってしまうので・・・。」

 学校長の話が始まる。学校としては入学してくる人数も大切だが、“進級率”というのも大切なのだ。

「・・・ではよろしくお願いいたします。」

 朝礼終了とともに職員たちはそれぞれの仕事に入る。事務作業をする者、授業に入る者、それぞれだ。


 クロスエンターテインメント専門学校。

 今自分が働いている学校の名前だ。受け持ちは『声優・俳優学科』だ。人数は一学年60人くらいなので二学年で総勢120人とまぁまぁ大きい学科だ。

「黒田先生。」

 他学科の緑川先生が話しかけてくる。

「さっき、テラスの所で声優の学生が具合悪そうにテーブルに突っ伏してましたよ。ほら、いつもの学生ですよ。」

「・・・分かりました。ありがとうございます。」

 “新藤るか”だ。声優・俳優学科の一年生。この子は入学した時から自己肯定感が低めの女の子だった。それによく人目が付く場所で落ち込んでいる。


 たぶん、誰にかに見せつけているのだろう。


 そう感じている。

 よくある事だ。要は誰かに声をかけてもらいたいのだろう。本当に具合が悪いのであればテラスなんかで突っ伏してなどいない。

「・・・。」

 放っておこうかと思ったが他学科の緑川先生に言われてしまってはそのままにしておくわけにはいかない。それに学校長の言葉もあるし。行きたくはないがしぶしぶ重い腰を上げる。


 どうせ行っても何も解決などしない。


 ここの学校に勤めて6年。今年で34歳。良い意味で慣れたのか、それとも悪い意味であきらめたのか、自分でも良くわからないでいる。


 家に帰るとテーブルに一枚のチラシが置いてあった。

「今度古田君が出るみたいよ。」

 妻の澄香が料理をしながら話しかけてくる。

「古田が?」

「そう、知り合いに舞台誘われてね、キャスト表見たら古田君が出てるからびっくりしちゃった。大きい劇場だし有名な俳優ばっかり出てるよね。すごくない?」

「そうだね。」

「久しぶりだしさ、けんちゃんも行ってみない?古川君に会うのも大学卒業以来でしょ?」

「・・・まぁそうだけど、でもこんな大きなチケット簡単に取れないでしょ。」

「向こうに関係者がいるから今なら数枚抑えられるって。ね、行ってみようよ。舞台みるのも久しぶりでしょ。」

「え、ああ・・・そうだね。」

「じゃああなたの休みに合わせるからスケジュールわかったら教えてね。」

 澄香は笑顔で話を進める。その顔を見ると簡単に断ることはできなかった。


 2年生のホームルームの時間。

 2年生はそろそろ進路を決めていかないといけない時期だ。ただ進路といっても声優や俳優は芸能事務所か劇団など就職とは違う特殊な進路だ。

「好きな俳優がいるところ受ける。」

「好きな声優がいるところを受ける。」

「やっぱりデカい事務所がいいよな。」

「ちゃんと面倒を見てくれるところがいいよな。」

「劇団もいいかな。」

 それぞれが自分の進路を考え始める。


 ・・・・・・。


 二年生約60名。はたして何人が芸能活動を続けて行けるのだろうか。

 たぶん10年後に10分の1くらい続けていればいい方だろう。まして売れる人間となれば0かもしれない。

 ただ、そうはいってもここは専門学校なのだ。学生の希望にそったデビュー先を考えてあげるのがこちらの仕事だ。

「どこが良いですか?」

 と聞かれれば親身になって答えるし、自分の経験を交えてなるべく失敗しないようなアドバイスを送る。ただそれが正解か不正解かは分からない。


 夜8時。

 事務作業を終えて学校を出る。ちょっとだけ遅くなってしまった。

 これから帰って少しご飯を食べてお風呂に入って寝る。

 ・・・・。

 なんて事はないルーティン。

 けれど今日は古田の事ばかり考えてしまっている。

 古田幸喜。

 大学時代の同級生。そして同じ「演劇サークル」のメンバーだった。今の妻である澄香も同じサークルの同級生だった。卒業後、香澄は普通に就職したが俺と古田は芸能事務所に入り俳優として活動した。だがお互いほとんど売れなかった。だから俺は28の時に俳優活動を辞めて今の職場で働き出した。けれど古田はそのまま俳優を続けた。そして今、あいつはチャンスを掴みかけている。

 ・・・・。

 暑さでTシャツが汗ばむ。9月もそろそろ中盤に入っているがまだまだ暑い夜が続いている。


 舞台観劇当日。

 大きい劇場だとは知っていたが実際に来てみると圧倒される広さだ。

 ちなみに香澄の友達は急な用事でこれなくなってしまったらしい。

「古田君こんな所でお芝居するんだね。」

「そうだな。」

「何人くらいはいるの?三階席もあるけど。」

「700人くらいってネットには出てたけど。」

「すごっ。」

 舞台に立たない二人だが興奮を隠しきれず周りを見渡す。

「久しぶりに古田君の芝居生で見るよね。何年ぶり?」

「あいつ、全然舞台とか誘って来なかったからな・・・卒業以来だな。」

「なんかドキドキするね。」

「そうか?」

「そうだよ。だってこれから有名な人たちと一緒に出てくるんだよ。」

「まぁ、それはあるかもな。」

「なんか“向こう側の人”って感じ。」

「・・・。」

 開演時間になりお芝居が始まる。内容は簡単に言うと感動物だ。テレビで見たことのある俳優に混じって古田が登場する。

「・・・。」

 心臓がぎゅっと掴まれた感覚になった。

 本当に自分の目に映っているのはあの“古田”かと疑う。

「・・・。」

 しかし間違いなく古田は舞台上でセリフを喋っている。

 物語は病院の話だったと思う。笑って泣けるコメディ。だけど内容なんてほとんど頭に入ってこなかった。ずっと自分の目は古田を追っていた。


 楽屋に行くと舞台を終えて清々しい顔をした古田が出てきた。

「おお!久しぶり!元気だった!?今日はありがとう!」

「めっちゃ面白かったよ!古田君売れっ子なんだね!」

「いやいやこれからだよ。ちょこちょこテレビとかにも呼んでもらえるようにはなって来たけどね。」

「凄いじゃん!ねぇ!」

 澄香は嬉々としてこちらに同意を求めてくる。

「ああ、そうだよな。」

 一応笑顔で応えた。ただ緊張していたのとあまり喋りたくなかったのもあってこちらから積極的に話を振る事はなかった。


  新藤るかが「学校をやめたい」と言い出した。

 いつものようにテラスで落ち込んでいたので声をかけたらそうなってしまった。

「分かった。じゃあ退学届けをもって来て。」

 と言いたい所だが、そうはならないのが専門学校なのだ。“進級率”というものに関わってくる。「どうした?」「何かあった?」と理由を聞くのが第一なのだ。

「声優に向いてないと思うんです。」

 新藤は小声でボソッとつぶやく。

「・・・。」

 真意はどちらなのだろうかと推し量る。

 たぶん「そんな事ない」と言って欲しい方だと感じた。

「どうしてそう思うんだ?」

 ほとんど感情がこもっていない言い方で新藤に聞く。

「それは・・・。」

 それでも新藤はなぜ自分が声優に向いていないかを話し始める。こっちの聞き方なんて本人にしてみればどうでもいいのだ。とにかく“聞いてほしい”が一番なのだ。

「・・・。」

 要は“他の子より上手に出来ない”というのが理由らしい。

 アホくさっ、と心の中で馬鹿にする。たかだか半年やそこらで何が分かると言うのだろうか。けれどここでも「そうか、分かった」とはならない。一回引き留めなければいけない。

「そんな事ないと思うけどな。」

「・・・。」

 こういう学生は毎年一人か二人は必ずいる。そして私は決まって一つの話を始める。

「なぁ、“桃太郎”って知ってるだろ?」

「・・・はい。」

「あの話の始まりはおばあさんが桃を見つけて家に持ち帰って切ったから桃太郎の物語は始まったんだろ?」

「・・・はい。」

「今の新藤はまだ桃を拾ったくらいなんじゃないか?ここで物語を終わらせてしまうのはとてももったいないと思うんだけど。」

「・・・。」

「せっかく勇気をもって飛び込んだ世界なんだからもう少し頑張ってみてもいいんじゃない?せめて桃を家に持ち帰る所まではやってみようよ。」

「・・・どこら辺が持ち帰る所ですか?」

「ん~、ひとまず卒業するまでかな。新藤はまだやれると思うよ。だって頑張ってるんでしょ?」

「・・・はい。」

 そこからまた授業の事やクラスの話を聞く。時間にして大体30分くらい。

「じゃあ、また何かあれば話を聞くからさ、ひとまずもうひと踏ん張りしてみなよ。」

「・・・はい。」

 まだ話足りないような微妙な表情をしていたがキリがないので少し強引に帰した。

「・・・。」

 少しだけ椅子から離れずに新藤の背中を見送る。


 俺は何をしているんだろうか・・・。


 とふと思ってしまった。本当はどうでもいいのに仕事だから引き留める。相手は話したいだけと分かっていても一応相手をしてあげる。

 そんな自分が妙に虚しく、無力感を感じた。


 こんな事を自分はあと何年、何十年もやらなくちゃいけないのか?


 今だけじゃない、常に感じていた事が今、この時になってボコッと強く湧き出てきた。

「・・・。」

 理由なんて分かってる。古田の舞台を見たからだ。

 好きで好きでしょうがなかった演劇をやめて28で就職した。このまま売れない未来に恐怖して、香澄との交際を理由にして演劇をやめた。

 でも続けた古田は“売れてきている”のだ。


 俺も続けていたら売れたのだろうか?


 そんなありもしない世界を夢想した。


 家に帰ると香澄が何か言いたそうな顔でこちらをジッと見て立っている。

「・・・何?」

「何だと思う?」

 笑みがこぼれている。

「・・・。」

 ハッと思い浮かんだ。

「子供・・・出来た?」

「・・・うん。」

 その答えと聞いてゆっくりと香澄を抱きしめた。

「やった・・・やったな。」

「うん・・・。」

 優しく背中をさする。突然の事だったがなかなか子供が出来なかった二人にとってこれは嬉しい報告だった。

「ようやく出来たよ。」

「うん・・・。」

 少しの間二人は無言で抱き合った。

 香澄の体が震えている。そして鼻をすする音が聞こえる。

 泣いているのだろう・・・。

 それはそうだ。ずっと欲しかったのに出来なかったのだ。自分だって感動しているし、言葉に表せない感情を味わっている。

 ただ・・・。

 その感情の中にはストレートに喜べていない自分がいた。それは邪魔な感情なのにどうしても引っかかってしまっている感情。


 それはきっと“未練”なのだろう。


 以前、香澄に古田の芝居を誘われた時に「何も知らない自分」を装っていた。でも本当は古田がその芝居に出る事は知っていた。というか、ずっと前から古田が活躍していたのを知っていた。今は直ぐにSNSで情報が分かる。というか職場が芸能関係の学校なのだ。嫌でもそういった情報は目にする。それでも見ないようにと思っていたが、そんなのは無理だった。


 この行動は嫉妬や妬みなのかもしれないが、一番大きいのはやっぱり“未練”だ。


 「あ、ごめんね。帰って来たばっかりなのに。すぐに報告したくて。」

 香澄は涙を拭く。

「いや、そんな事ないよ。ありがとう。」

「ごはん食べるよね。用意しながら色々話すね。その方が話しやすいし。」

 そう言って香澄はキッチンに向かう。

「それでね・・・。」

 そこから香澄は妊娠を疑った時から今日の事までを話し始めた。

 その時何故か私は新藤るかの事を思い出した。いや、正確に言うと新藤ではなく“桃太郎”の話をした事を思い出した。


 おばあさんは桃を持ち帰ってそれを食べようと思って桃に切ったから“桃太郎”の物語は始まったのだ。

 新藤と同じように私もまた、桃を持ち帰れていないのだろうか。それとも桃を切るのをやめてしまっているのだろうか。


 でも・・・持ち帰らなかった、切らなかった場合の人生だってあるはずだろう。

 その事が“失敗”ではないはずだ。


 「・・・。」

 目の前では嬉しそうに香澄が話している。

 この道を選んだ事が“失敗”だとは思えない。思いたくない。

「・・・。」

 じゃあ何が正解なのだろうか?


 俺にはよく分からない。