小説

『アップ!』香久山ゆみ(『浦島太郎』)

 

 

 竜宮城で私は踊る。

 来る日も来る日もステージの上で舞う。ひらひら煌びやかな衣装を纏って。

 竜宮城を訪れた人に現実を忘れさせてあげるために、舞台には鮮やかな幕の裏から次々に踊り子が飛び出す。スパンコールを散りばめた衣装はスポットライトを浴びてキラキラ輝き、妖艶な化粧をした女達がしなやかに脚を上げる。私はその群の一尾だ。

 ここはキャバレー竜宮城。

 私はここで生まれ育った。いや、生まれたかどうかは分かんないけど、物心付いた時にはここにいた。ママ(母の意ではなく、キャバレーの店長だ)いわく、水商売をしていたらしい母親がある日臨月のお腹を抱えて店に転がり込んできた。ずいぶんくたびれていたから、温かいものでも食べさせてやろうと目を離したうちに、ぽこんと私が生まれていたという。母はそのままここで厄介になっていたが、私が「ママ」と喋れるようになった頃(どっちを呼んだのか分からないけど)、病気で死んでしまったらしい。それでここの女達の手によって私は育てられたのだ。

 中学を卒業してから、私も舞台に上げられるようになった。姐さん達のことは美しいと思っているが、自分が同じ衣装を着るとなれば話は別だ。こっそり逃げ出そうとしたところ、すぐに見つかって引き戻された。金魚みたいな真っ赤でひらひらした衣装からぬうっと生脚が伸びて心許ない。「あんた、制服のスカートだってずいぶん短くしてたじゃない」とママは言うけれど、それとこれとは別!

「イトくーん」

 控え室で休憩していたイトくんに泣きつく。恥ずかしくって死にそうだって。

「いいじゃん。かわいい、かわいい」

 イトくんは私の姿を見てぽんぽんと頭を撫でた。それだけで安心する。そう言ってもらえると思って来たんだけどね。姐さん達に比べたらまだ貧相だけれど、それでも私のこともう大人の女性だって思ってくれただろうか。

 イトくんは私が物心ついた時にはすでに竜宮城にいた。当時二十くらいのお兄さんに私はよく懐き、あとをついて回った。イトくんは面倒見がよくて、とても優しい。今も変わらない。

「ねえ、イトくん。いつか二人でここから抜け出そうね」

 そう言う私の頭を、いつも大きな手でぽんぽん撫でてくれた。

 イトくんの指は四本しかないし、背中には大きな刺青がある。あまり見せたがらないけれど、長年一緒にいると嫌でも目に付く。

「イトくんも、龍の落とし子だねえ」

 客同士の喧嘩の仲裁で頭から酒を浴びたイトくんが、シャツを着替えている。逞しい背中には滝を登る錦鯉が描かれている。

「なにが?」

「鯉は滝を登って成長すると龍になるんでしょ」

 へえ、とイトくんが感心する。お前、賢いなあって。

「ふふん、ちゃんと毎日高校行ってるから」

 昼は高校、夜はキャバレーと女子高生は忙しい。高校へは、髪を結んでノーメイクに眼鏡という地味で真面目な格好で通っている。万が一にも踊り子と同一人物だとばれないようにというママの指示だ。そんなことしなくたって、踊り子の時にはまるでおてもやんみたいにべっとり化粧されるからばれようもないと思うのだが。何度厚化粧は勘弁してくれと訴えても、聞き入れてくれない。イトくんに綺麗な顔を見てもらいたいのに。子は親(じゃないけど)には逆らえない。

 私は実の両親については何も知らない。母は幼い頃に亡くなってしまったし、父についてはママも知らないという。ただ、母はよく私のことを「この子は、龍の落とし子だから」と言っていたらしい。その真意は分からないけれど、私は勝手に解釈している。母は、財界のトップみたいなすごいVIPのお金持ちに見初められて私を身籠ったのだ。そのせいでお家争いに巻き込まれて、ここまで逃げてきた。いつかVIP父が私を探し出して、一緒に暮らそうと迎えに来る。けれど、私は首を横に振る。何もないところでゼロから、イトくんと二人で生きていくのだ。……まあ、ママや姐さん達が淋しがるならたまには帰ってきてもいいけど。なあんて。

「何で鯉の刺青にしたの?」

 そういえば、イトくんは「鯉斗」って名前だったなあ。みんな「イト」って呼んでるけど。ぼんやりしていると、着替え終わえたイトくんが振り返る。

「惚れた女が、これがいいって言ったから」

 え。顔を上げると、じっとイトくんが私を見つめる。熱い眼差しで。ぐっと見つめ返すと、ぶはっとイトくんが笑った。そうだ、おてもやんだった。

「さあ、仕事戻るぞ」

 背中を押されて、舞台に立つ。古い洋楽に合わせてダンスを踊る。ラインダンスの端っこで脚を上げる。まだ胸もお尻も腰のくびれも何一つ隣に並ぶ姐さん達には敵わないけど、少しだけ肉付いた私の太もも。いつ女として出来上がるのだろうか。タツノオトシゴのダンスはぎこちない。

 高校を卒業したら、イトくんと二人で暮らそう。ここで働きながらでもいい。

 そう思っていたのに、ママもイトくんも私に東京の大学を受験してそのまま都会で就職するよう勧める。私が勉強したいことが学べる大学を調べて、学費も用意しているという。

 嫌だ、ここにいる。子供みたいに駄々を捏ねたが、二人は頑なに私を追い出そうとする。

 けれど、その頃には私も二人がそう言う理由をなんとなく分かっていた。

 母は、美しい人だったという。ここら一帯を締めている男の愛妾だったが、その部下の若い男と恋に落ちた。そうして私を身籠った。父はけじめを着けて、組織を抜けた。そうして二人は深海でひっそり息をひそめるようにして過ごした。我が子を守るために、ずっとそばにいた。鯉斗タツヤ、父の名前だ。たぶん。なにせ、私は「タツの落とし子」なのだから。

 知らなかったとはいえ、父に淡い恋心を抱くなんて、男の趣味が似ているのだと思えば、記憶にない母も近く感じた。

 自覚はないけれど、私は母に似ているらしい。悪い人が私を見つけて手籠めにしたりしないように、地味な眼鏡だったり、おてもやんにさせられた。攫われてもすぐに誰かが気付くよう、毎夜ステージの上に私を立たせた。

 それでも、年を重ねるごとに、私の容姿はすっかり母そっくりな女になった。最近は男女を問わず客からおひねりやファンレターを貰うことも多い。もうこの小さな竜宮城に隠しておくことはできないと、ママとイトくんは、小さな姫を外の世界に逃がした。

 外の世界は、あまりに平凡で刺激的だった。今までいかに私が皆から守られていたかを感じた。止まっていた時計が急に動き出したみたいに、時間はあっという間に過ぎていく。

 大学を卒業して、就職して、そうして私は竜宮城に帰ってきた。

 数年の内に暴対法の取締りも厳しくなり、少しだけ街の様子も変わった気がする。けれど、ここは変わらない。煌びやかな舞台、派手な衣装、姐さん達の艶かしい踊り、ママの厚化粧、イトくんの広い背中。

 連れてきた彼は物珍しそうにきょろきょろする。気に入ってくれるだろうか。

 あまりイトくんには似ていないけれど、大きな優しい手をしている。ママとイトくんはなんて言うだろうか。驚くだろうか、叱るだろうか、喜んでくれるだろうか。まだお腹は全然大きくないけれど、小さな命を繋いで私は戻ってきた。

 外の世界はとても広いけれど、私はこの場所が一番自然に呼吸できる。ふるさとなのだ。


         〈了〉