シンデレラは激怒した。
「ちょっと、これ本気で言ってるわけ?」
「ええ、恐れ入りますが、そちらが今回の修正要望でございます」
そう答えるのはメッセンジャーだ。彼は読者の世界と物語の世界の橋渡し役をしており、定期的に読者からのファンレターや要望を物語の登場人物に届けている。
「物語を時代に合わせた内容に修正していく必要があるのは、もちろん、承知しているわ。最初の頃、義姉様たちがつま先やかかとを切り落とされたり、目玉をくりぬかれたりされていたのは私もやりすぎだと思っていたし、ああいうのは修正して良かったとも思ってる。それ以外にも要望が来た点に関してはできるだけ対応してきたつもり。でも、今回の内容はあんまりよ!」
シンデレラがこれほどまでに怒りを露わにしている今回の修正要望は、次の二点だ。
① シンデレラの見た目だけで王子様が惚れているのは、ルッキズムの極地ではないか。シンデレラの内面の美しさが王子様に伝わるような描写を入れるべきではないか。
② ガラスの靴というのは憧れるものではあるが、履物としては危険ではないか。真似をしてケガをする事故が発生する前に、別の素材に変更できないか。
「読者の皆さまは、他の物語に対してもこんな風にぶーぶー文句を垂れているわけ?」
城門の前で腕組みをしながら立ち、抑えきれない怒りを右足でタンタンと地面を鳴らすことで多少なりとも発散しながら、なおもシンデレラは続ける。
「ええ、まあ、そうですね。大体どこも同じ状況かなと。赤ずきんであれば、オオカミのお腹を割いて石を詰めて溺れさせるのは残酷過ぎではないか、とか」
「……。まあ、その言い分はわからなくもないけど。でもこれはちょっと行き過ぎよ! 一つ目の方はまだしも、ガラスの靴を否定されたらシンデレラじゃなくなっちゃうじゃない! さすがに受け入れられないし、他の人たちにも相談してから決めさせて」
「はい。承知致しました。ではまた一週間後に伺いますので、ご検討の程、お願い致します」
そうしてメッセンジャーがどこかの物語の世界へと旅立った後、シンデレラはすぐにお城で緊急会議を開催した。参加者はシンデレラ、王子様、魔法使い、継母の四人だ。
「はい。以上が今回の内容よ」
シンデレラからの報告に、誰もが言葉を詰まらせていた。普段であれば真っ先に発言をする王子様も、今回ばかりは難しい顔で黙り込んでいる。しばらくの間はその重い静寂を、窓の外から聞こえてくる小鳥の鳴き声が埋めるだけだった。
「これは、なかなか大変な要望だね。一つ目の件はともかく、ガラスの靴にまでいちゃもんをつけられてしまうと……」
ようやく王子様が口を開いたが、それも尻すぼみになる。
「そうなの。一つ目は私も対応のしようがあると思っている。でもガラスの靴は変えられないわ。物語のキーアイテムだもの」
そうシンデレラが同調した後、今度は魔法使いが口を開く。
「ねえ、今回指摘されているのは、ガラスの靴を履くのは危険じゃないのか、というところよね? だとしたら、少なくともシンデレラが履くガラスの靴は危険ではないわ」
発言の意味をよく理解できなかったシンデレラが聞き返す。
「どういうこと?」
「だって、私が魔法で生み出している靴よ? 普通のガラスなわけないじゃない。ケガをするなんて、あり得ないわ」
それを聞いたシンデレラと王子様は思わず顔を見合わせた後、先ほどまでとは打って変わった様子で話し出した。
「さすが! 履き心地も抜群だもんね、あれ!」
「それならガラスの靴の使用は続けられそうだな!」
「ちょっと待って。それでも読者の皆さまへの注意は必要じゃない? 普通のガラスで出来た靴を履くと危険なのはその通りなんだから」
そのままの勢いで会議を進めそうな二人に待ったをかけたのは継母だ。
「確かに。それはそうね」
「そうすると、物語の最後に注釈を入れておくくらいが現実的か?」
「ええ、私もそれでいいと思う。細かい記載内容は後でみんなで考えましょう」
「よし! ガラスの靴問題はこれでいけそうね! 次にルッキズム問題だけど……」
シンデレラはそう言って少し間を作り、皆の様子を伺った。今度は意気揚々と、王子様がそこに切り込む。
「うん、これは舞踏会のシーンに、シンデレラの人となりがわかるようなエピソードを加える形でいいんじゃないかと思っている」
「そうね。私もそれでいいと思っている。他の二人もいいかしら?」
シンデレラの問いかけに、魔法使いと継母は首肯して応じる。
「じゃあどんなエピソードにするか考えましょう。自分で言うのもあれだけど、私が優しい心の持ち主であることがわかるようなエピソードっていうことよね」
「パッと思いつくのは、私みたいな年寄を労わるようなシーンかねぇ」
「分け隔てなく人に接する態度は大事よね」
魔法使いの提案に継母も同意した。
「ふふ、継母さんがそれを言うんですか」
物語とのギャップにシンデレラが思わず茶化した。
「もう、キャラでやってるんだからしょうがないじゃない」
「ふふふ、ごめんなさい。じゃあ基本路線は、舞踏会のシーンで困っているお年寄りを私が助けるような感じね」
「そうすると問題は、この城にはお年寄りと言えるような人がいないっていうことだな。最高齢は側近の爺やのはずだけど、それでも現役バリバリだし」
いつでも物腰が柔らかく穏やかな爺やはシンデレラも大好きだったが、言葉はハキハキしているし姿勢も常にピンとしていて、とてもお年寄りという感じではなかった。
「ならいっそ、登場人物を増やすしかないかねぇ」
「それってちなみに……」
恐る恐る質問したシンデレラの心を見透かしたように魔法使いが返す。
「さすがに魔法で増やすのは無理さ」
「魔法使いが言うと、なんでも魔法でできるみたいに聞こえるわ」
がっかりとほっとが混じった息をつきながらシンデレラがこぼす。
「どこかから見つけて来るしか無いか」
「じゃあお触れを出して、お年寄りの方を従者に募集しましょう!」
そんなこんなで、今回の修正要望への対応は次の通りにまとまった。
① お城の従者として高齢の爺やを新規でキャスティングする。新米の爺やが誤って飲み物をシンデレラにこぼしてしまうが、シンデレラはそれを気にすることなく、逆に爺やのことを気遣うというシーンを舞踏会の場面に追加する。
② ガラスの靴は魔法で出来た特殊なガラス製であり、物語の中でシンデレラが使用する分には危険性は無いため、そのまま使用を継続する。ただ読者の皆さまが模倣して普通のガラスの靴を使用するリスクを考慮し、注釈として次の文章を物語中に掲載する。“本作で使用しているガラスの靴は魔法で作られた特殊なガラス製であり、破損などによってケガをする危険性はありません。なお、通常のガラスで作られた靴を使用することは大変危険ですので、くれぐれもお控えください。”
そうして一週間後、シンデレラは会議でまとまった内容を記した手紙をメッセンジャーに渡した。メッセンジャーは途中に何度か頷きながら内容に目を通し、読み終えるとそのまま手紙を肩掛けバッグにしまい、シンデレラの方に向き直ってお礼を言った。
「ご対応頂きありがとうございます。読者の皆さまも、こちらの内容であればご納得いただけるかと思います」
「あなたにそう言ってもらえると安心だわ」
シンデレラは胸をなでおろした。そして緊張のゆるみと同時に、日ごろから抱いている素朴な疑問をそのまま口に出した。
「でもちょっと思うのは、私たちの物語には一丁前に口出ししてきていますけど、あなたたちご自身の世界はどうなんですか、っていうことよね」
「と言いますと?」
「いやね、あなたが届けてくれるファンレターを読んでいると、その人の境遇だとかそんなことが書いてある時もあるから、なんとなく読者の皆さまの世界の様子がわかるのよ。産業の発展のために環境が破壊されていたり、同じ世界の人同士で凄惨な戦争が行われていたり、でしょ」
メッセンジャーは返す言葉に困り、視線を右へ左へと泳がせた。そんなメッセンジャーの様子を見つめながら、その肩掛けバッグの中にあるたくさんの手紙が目に映った時、シンデレラは閃いた。
「そうだ! いいこと思いついた! ねえ、私も要望出していいかな? 読者の皆さまに対して」
「シンデレラ様からご要望を出されるのですか?」
常に冷静なメッセンジャーもこれには驚いて聞き返した。
「ええ。いっつも読者の皆さまの要望に振り回されてばかりなんだから、たまにはこっちから物申してやるのよ。いいわよね?」
シンデレラからの有言の圧を感じたメッセンジャーは、しどろもどろになりながら答える。
「ええと、そういったものをお届けすることは可能です。しかし、それをご覧になった読者の皆さまがどのようにされるかは、私には保証できかねます……」
「それで充分よ! ちょっとだけ待っててもらる? すぐに書いて来るわ!」
シンデレラはそう言って、魔法が解けるシーンの倍くらいのスピードでお城の中に駆け込んで行った。置いてけぼりをくらったメッセンジャーが、今のうちに一件でも別の物語の配達に行ってしまおうか、なんて考えを巡らせ始めた時、ようやく同じくらいの勢いでシンデレラがお城から飛び出してきた。
「お待たせ! これでお願い!」
シンデレラが握りしめた手紙に書かれていたのは次のような要望だった。
・お住いの世界の環境を自分たちで壊しているという風に伺いましたが、美しい木々や草花、鳥たちと共生できる素敵な環境を維持する努力を、もっとなさるべきではないでしょうか。
・自分たちの利益や欲望、大儀のために、毎日戦争が行われていると伺いましたが、同じ世界に住む人たち同士で争って命を落とすなんて、お止めになったらいかがでしょうか。何かしら他の方法で解決できないものでしょうか。
その内容を読んだメッセンジャーは、一度だけ深く頷き、シンデレラの手紙をバッグの中に大事そうにしまった。
「はい、確かにお届け致します」
「ええ、お願い。返事を楽しみにしているわ」
その日シンデレラは、別の物語に旅立つメッセンジャーをいつもよりも晴れやかな気持ちで見送った。
それからしばらく月日が経ち、自分が何をしたためたのかもシンデレラが半ば忘れかけていた頃に、ようやくメッセンジャーがやって来た。
「もう、ずいぶん時間が空いたわね。ずっと待ってたのよ」
城門を出て早々シンデレラが声をかける。しかしすぐにメッセンジャーの様子がいつもと違うことに気がついた。
「ちょっと、大丈夫? 顔色が悪いし、すごいやつれてない? よければお城で休んでいきなさいよ」
「お心遣いありがとうございます。ですが、そういうわけにもいかないのです。大変申し上げにくいのですが、こちらのお手紙を読者の皆さまにお届けすることができなくなってしまいました」
生気の無いメッセンジャーの顔から絞り出されたのは、同じくらい生気の無い、消え入りそうな声だった。その手にはシンデレラの手紙が握られている。
「あら、そうなの? それも気になるけど、でも今はあなたの方が心配よ」
「同じ理由でございます」
「え?」
「シンデレラ様のお手紙がまだ私の手元にあるのも、私がこのような状態なのも、同じ理由でございます」
「どういうこと?」
それまでシンデレラと目を合わせようとしていなかったメッセンジャーは、意を決したようにシンデレラの瞳を見つめ返した。しかし真実を伝えるには、その瞳はあまりに澄んでいた。それが許されるのなら、このまま何も言わずに立ち去りたい、とさえメッセンジャーに思わせるほどだった。
「ねえ、どうしたのよ」
もちろんそんなことをできるような素材でメッセンジャーの心はできていなかった。せめてもの抵抗でぎゅっと目をつぶると、メッセンジャーは一気にまくし立てた。
「読者の皆さまの世界が滅んでしまったのです。自分たち同士で行っていた戦争の収集がつかなくなってしまい、大型の爆弾兵器が使用され、読者の皆さまの世界に住んでいた生き物はみんな死んでしまいました」
予想だにしていなかった言葉にシンデレラの頭は少しの間追い付かなかった。そしてその言葉の意味が理解できるようになるにつれて、頭がくらくらしてきて、シンデレラはそのまま天を仰いだ。澄んだ空に浮かぶ星々がシンデレラを見守っているのが目に映る。その内の一つが、やけに綺麗に瞬いた気がした。