小説

『二度寝』やまこしひなこ(『眠る森のお姫さま』)

 

 

 「あ、まずい。目が覚めてしまった」

 王女は、起きなくてもいいのに早く起きてしまった日のことを思い出した。

時たま、母親である女王や乳母に優しく起こしてもらう前に、目がぱっちりと開いてしまう、少し損をしたような日がある。起きる必要はない、もう少し寝ていてもいい時間。体を起こさないで、もう一度寝てしまおう。王女だって、二度寝をするのだ。


 もう一度目を瞑り、夢の世界に戻ろうとした。二度寝をするのは好きではない。王女は、二度寝をするたびに嫌な夢を見る。本の中で読んだ恐ろしい怪獣に追いかけ回される夢、父親に叱られる夢、執事と仕掛けた悪戯が乳母にバレて怒られる夢…城で起こったことのような夢の内容は、なんだか懐かしい感じもしてくる。今日は、どんな嫌な二度寝の夢を見るのだろうか。


 「ん?」

 瞑った目をもう一度開ける。何かがおかしい。部屋の中が薄気味悪く暗い気がする。そしてまるで、時間が止まったような感じがする。思い出す夢の内容は、遠い昔のような気がする。そんなことを考えていたら、今寝ている場所が突然居心地の悪いような感じがして、王女は上半身を起き上がらせようとした。


 ところが、王女は体を起き上がらせることができない。おぼろげな記憶がだんだんと蘇ってくる。確か、見たことのないものを触って、突然具合が悪くなったのだ。それ以外のことは、何も覚えていない。どうにかしてこの城を出なければいけない気持ちだけが募る。焦燥感を右手に強く握って、もう一度体を起こそうとした時、遠くから「お姫様?」という声が聞こえた。


 それは、王女が生まれた時に100年の眠りののちに王子がやってきて、眠りから目覚めるという預言をした良い妖女だった。

「お姫様、お目覚めなのですか?」

「ええ、なんだかまだ寝ていてもいいような気もするのだけれど、目が覚めてしまったの」

「あの悪い妖女…魔力が弱かったのね…」

「どういうこと?」

王女は、洗礼を受けた時の預言を知らないのだった。

「そうですよね。私が、全てをお話しします。あなたを今城から出して差し上げられない理由も説明します。だから」

「待って、その前に」

「なんでしょう」

「また、あなたに会えてとっても嬉しいわ」

「ええ、私もです。お姫さま」


 心の良い妖女は、心の悪い妖女から王女に対してかけられた呪いのこと、それを解くための預言のこと、悪い妖女の呪いの通り糸車のつむに刺されてしまったこと、100年の眠りののち王子がやってきて王女を眠りから目覚めさせること、そしてその100年の間城の仲間たちは良い妖女の魔法で一緒に眠っていることを話した。何もかも知らなかった王女は大変驚いた様子で、ずっと胸に手を当てていた。


「それで、今はその時から何年経っているのかしら?」

「それが、今日でちょうど80年目なのです」

「では悪い妖女の目論みではあと20年は眠っているはずだったのね」

「そうです。私は、お姫様のことが心配で、1年に一度、お眠りになった日にこうやってお花を持ってきていたのです」

「まあ、それはどうもありがとう」


 二人は、少しだけ黙った。久しぶりのような、昨日まで一緒におしゃべりをしていたような、不思議な感覚に囚われていた。そしてその感覚を、少しだけ味わっていた。


 良い妖女は、この80年間に街で起こったことを話した。王女の両親である国王と女王が亡くなったこと。交通機関が発達したこと。隣国の王様が二度も変わったこと。王女の住んでいた城は相変わらずであること。王女の眠っている城とその周りの森は、街の人々から畏れられていること。


「それからお姫さま」

「なんでしょう」

「こんなことを言っては、決していけないのだとは思いますが」

「ええ、言ってごらんなさい」

「お姫さまとこうしてもう一度、こっそりとお話しすることができて、大変嬉しく思います」

「もうすこし、はっきりおっしゃったらいいのではなくて?」

「その…」

「ええ」

「お姫さまは、意地悪ですのね」


 王女の呪いが解ける預言をしたのは、紛れもなくこの妖女であったから、この預言に込められた本当の意味を知っているのはこの妖女なのだ。何百年も後の人々が、王女の眠りを覚ますのは「本当の愛」だとか「真実の愛」だというように物語を少し味付けしているが、実はそれも全部この妖女が最初にやっていたことだったのだ。


 王女は、優しい微笑みで妖女が答えるのを待つ。妖女は、大きく息を吸って、吐いてからまた話し始める。

「わたくしがお姫さまに授けた預言は、100年の眠りののち目覚める、ではなく、真実の愛がその目を覚まさせる、でした」

「ええ」

「だから、その」

「もういいです」

「え?」

「これは、私たちだけの秘密にしましょう」

「はい…」

「こんなことを知ったら、天国のお父様もお母様も、執事も乳母さんも、今は城で眠っている仲間たちも、みんなが悲しみます」

「ええ」

「それに仲間たちはみな、100年後の目覚めと王子がやってくることを信じているのでしょう?」

「ええ、そうなのです」

「ならば、それを守りましょう。20年後に王子がやってきて、彼が私を眠りから目覚めさせるのです」

「そんな、あと20年だなんて…」


 良い妖女は俯いた。もう一度、大好きな王女を眠らせて、王子が攫っていくところを認めるのは心が苦しい。もちろん、自分が言っていることやこの気持ちが許されないことはわかっている。天国の女王や王、城の仲間たちが悲しみ、きっと怒り、これからは自分のことを悪い妖女とするかもしれないこともわかっている。しかし、誰かのことを好きだと思う気持ちは、何年経ってもいつの時代でもどんなところでも変わらず、自分だけがわかるものなのだ。


「一国の王女と妖女が結ばれるなんて、そんなことはあり得ません。あってはいけないのです。でも、少しだけでも私にチャンスがあればと思ってやってしまった、わがままな行動でした」

「そうね」

「だから、自分できちんとけりをつけます」

「そうしてちょうだい」

「はい」

「だけどね、あなたが私のことを好きだと思ったことを決して後悔しないでほしいの」

「どうしてですか?」

「この世の中に、好きになってはいけない人など、いないからです」


 妖女にはわかった。これが、王女が自分を励ますためだけに言った言葉ではないということが。その目を見ればはっきりとわかった。魔法など、使うまでもなかった。


「わかりました、後悔はしません」

「ありがとう」

「では、お言葉ですが、一言言わせていただけますか?」

「ええ、なんでも」

「お姫さま、とても、愛しています」

「私もなのよ」


 その、慈愛に満ち溢れた目を、妖女は今まで一度も見たことがなかった。正確に言えば、そのような目を自分だけに向けられたことがなかった。


 色々な魔法を色々な時代に頼まれたが、どれもこれも男女の恋のお願い事にまつわることだった。人という生き物は同じ人間の男と女で結びつきたがる。周りの妖女も、見目麗しい男の魔法使いや果ては人間の男と付き合いたがった。結婚などできるわけがないのに、結婚を願った。良い妖女には、少しも理解することができなかった。魔法を使って無理やり人間のふりをして、人間の男と家族を持った妖女もいた。惚れた魔法使いの家に住み込み始めた妖女もいた。妖女のままではいけないと、人間になれ果てて妖女としての能力をうしなってまで人間とくっついた妖女もいた。良い妖女は、自分が妖女であることを誇りに思っていたし、何より人間の女性と恋に落ちたことを罪だと自らを罰するようになった。何百年の命の中で、何度も恋に落ち、その度に自らを罰し、傍らで消えていく妖女の仲間達のなかで、孤独を感じるようになった。妖女は、自らの命を絶つことができない。プライドが邪魔をして、人間になれ果てた末に自死を選ぶこともできなかった。そして何より、良い妖女は優しく心根はいいものの、自分の存在を消すような勇気がなかった。

 90年以上前のある日呼び出されたある国の王女の洗礼式で、良い妖女は予感に震えた。まだ赤ちゃんだけれども、自分がこの子と恋に落ちるのだということがわかったのだ。また、孤独に沈んでいくのだ。じっとりとした目で洗礼式の食事を食べていたが、悪意に満ち溢れた妖女の存在が、良い妖女の背中を押した。この子の人生を、めちゃくちゃにされては困る。変えられるのは、その後に預言を授ける予定だった良い妖女だけだ。なけなしの勇気を振り絞って、誰にも聞こえない声で預言を捧げた。

「80年の眠りののち、真実の愛があなたを目覚めさせます」


 周りにいた人間に、預言を問われた時にはこう答えた。

「大丈夫、あなたがたのだいじなおひいさまは、いのちをおなくしになるようなことはありません。百年のあいだ、目をおさましになることがないでしょう。そして、ちょうど百年めに、ある国の王子さまが来て、おひいさまの目をおさまし申すことになるでしょう」


 気がついた時には、良い妖女は涙を流していた。そんな妖女に、王女は凛とした態度で言い放った。

「これから私は、あと20年眠ります。そして王子を待ちます」

「ええ」

「王子がどんな人であろうとも、私は目を覚まし、その王子についていきます」

「はい」

「あなたはそれをきっと、見守り続けることになると思います。それはきっと辛いことになると思いますが」

「…」

「私があなたを愛しているということは、決して忘れないでください」

「え?」

「だって、あなたがきたときに目が覚めたのだから。これが真実の愛なのでしょう?」


 それから起きたことは、現代のわたしたちが知っている物語の通りだ。女王が眠ってからちょうど100年目、王子がやってきて王女はその眠りから覚めた。今度は体を起こして、王子との幸せな生活を始めた。良い妖女はというと、王子と幸せになった後の王女にも仕えている。そして時々、王女が眠る前にお話をして聞かせている。もちろん、王女が眠っていた“100年”の間に起こったことについて。



 (了)