小説

『メイキング  桃太郎戦記』小木田十(『桃太郎』)

 

 

 昼食後、善三は狭い裏庭で小型の芝刈り機を押していた。孫たちが来たときに、ここで遊ばせるために芝生を植えたのだが、役立ったのは幼かった一時期だけで、すぐに孫たちは家の中でゲームばかりするようになり、今は洗濯物を干す場所でしかなくなった。

 玄関側で誰かが「すみません、すみません」と戸を叩いていることに気づいたので回り込むと、見覚えのある、えらの張った縁なしメガネの男が善三を認めて「すみません、映画『桃太郎戦記』の助監督、古館です」と言った。

 古館なら昨日、映画製作のパンフレットらしきものを持って来た男だ。今日、村のあちこちで映画の撮影をするので、映り込まないよう見物に来ることは控えてほしい、と頼まれたのである。その何日か前には村役場の職員からも「村の中で映画の撮影をすることになったので、できる範囲でご協力を」と頼まれてもいる。

 善三は、映画の内容には興味がなく、もらったパンフレットも読んでいない。昨日の古館の話によると、桃太郎の話を大胆にアレンジした作品だという。

 今日の古館は昨日と違ってなぜだか表情が強ばっていた。

「申し訳ありません」と古館は頭を下げた。「撮影に協力していただきたくて」

「判っとるよ。外をうろつくなってことだろう」

「いえ、違うんです」古館は大きく片手を振った。「外をうろついてほしいんです」

「はあ?」

「肝心のゾンビたちが交通事故で来られなくなってしまいまして」

「ゾンビは交通事故ぐらい、何でもないだろう。そもそも最初から死んどるんだから」

「いえ、違うんです。ゾンビ役をしてもらう役者さんたちが乗ったロケバスが、ここに来る途中でカーブを曲がりきれずに斜面から滑落してしまいまして」

「えっ、本当かね。いや、それは大変なことだが……桃太郎の映画じゃないのかね」

「ええ、主人公は桃太郎なんですけど、鬼退治にいざ来てみたら、鬼たちがみんなゾンビになってたというストーリーでして」

「何で?」

「鬼の一人が墓荒らしをしたせいで地中から這い出たゾンビに咬まれて――」

「いやいや、そういうことを聞いとるんじゃなくて、何で桃太郎の話にゾンビが出てくるのかって聞いとるのよ」

「ああ……ゾンビ映画っていうだけで、そこそこの観客動員が見込めるもので。あと、ゾンビだと斬った刺したりする場面もあまり残酷に映らないとか、いろいろありまして」

 さらなる古館の説明によると、そのロケバスには監督やカメラマンなどのスタッフも一緒に乗っていて、幸い死亡者は出なかったものの、多くが怪我をして、麓の病院に収容されたという。監督も首を痛めて、二、三日は静養が必要らしい。

 古館が「外をうろついてほしい」と言ったのは、撮影の遅れを最小限にとどめるために、ゾンビになった鬼たちが村の中を徘徊するシーンだけでも撮っておきたいので、ゾンビになった鬼として指示どおりに歩き回ってほしい、という意味だった。

 善三が「わしらにゾンビになった鬼の格好をしろというのかね」と尋ねたところ、メイクも衣装もなしで、ただゾンビっぽくよろよろと外を歩いてもらえればいい、とのことだった。顔や格好は後でCG処理するから問題ないのだという。

 善三は映画界のことに詳しくはないが、最近は実際には存在しないものをリアルに登場させたり、エキストラを雇わなくても群衆がいるかのように処理したりする技術があることは知っている。要するに、村人たちをゾンビ風に歩かせて、それを撮影して、後でそれをゾンビ鬼の顔や格好に加工するということだ。古館は具体的な金額は言わなかったが、会社に交渉して、薄謝ぐらいのことは何とかします、とも言った。そして、「本社の方もパニクってて、少しでも撮影を進めておけ、何とかしろとうるさくて」とつけ加えた。

 善三は、あんたも結構なパニック状態のようだがね、と冷やかしたい気持ちを抑えて、「判った。できることがあるんなら言ってくれ」と了解すると、古館は「ありがとうございます。では三十分後に、村役場裏の公園に集合していただけますか」と深く頭を下げ、他の方々にも頼んできます、と言い置いて走り去った。

 傘寿を過ぎて映画出演とは。もちろん素顔が映るわけではないようだから、出演とは言えないかもしれない。だが、たいしてやることもない日々を過ごしている身にとっては、暇つぶしにいいかもしれない。善三は浅くしゃがんでから立ってみて、ときどき痛む右ひざの具合を確かめた。

 すると、玄関から姿を見せた連れ合いの恵美が「どうかしたんですか。誰かと話をしてたみたいですけど」と聞いたので、さきほどの経緯を説明すると、恵美は「じゃあ、私も後ろからついて行くことにします。あなたは最近、何でもない場所でつまづいたり、ひざの具合が悪くなったりするから」と言った。


 村役場裏の公園には、十数人の村の面々が集まった。多くが七十代以上で、善三よりも年上も二人いる。六十以下の作業ジャンパー姿の連中は、空いていた村役場の職員が駆り出されたようだった。善三は村の面々と互いに「何かしらんけど、まあ協力してやろうや」「謝礼も出るそうだから」「どうせ暇だしな」などと言い合った。

 古館が大声でみんなに説明した。村のあちこちでゾンビが出現したり、近づいて来たりするシーンを撮りたいので、その都度指示したとおりに動いてください、何をやっているのか意味が判らないとは思いますが、編集で映画の場面としてちゃんと組み入れますので、とのことだった。スタッフは古館しかおらず、ハンディカメラで撮るという。

 最初はゾンビっぽい歩き方について全員がレクチャーを受けた。とにかくよろよろと、身体の具合が悪そうな感じでやってほしいと言われ、片足を引きずって歩いたり、身体を傾けたり、両手で宙をひっかくような動きをしたりした。年配の村人たちは、普段通りの歩き方をするだけでも充分にゾンビに見える気がした。

 途中、村の年寄りの一人で、顔が焼酎焼けしている辰郎さんが「ちょっと質問してええかのう」と手を上げ、古館が「はい、どうぞ」とうなずいた。

「パンフレットを読んだら、イヌとサルとキジは桃太郎のお供はするが、ゾンビ鬼との戦いには加わらんで、食料の調達係みたいなことしかやらんそうやが、そんなんで観客は満足するんですかいのう」

 それは善三もさきほどパンフレットに目を通して感じたことだった。ある山の集落が鬼たちに何度も襲われて食料や財産を奪われるので、村人たちはカネを出し合って用心棒を雇うことを決め、あちこち探し回って、桃太郎という剣客を見つけ、助けを求める。鬼退治をすれば箔がつき、どこかの藩で剣術師範として雇ってもらえるのではないかということで桃太郎はこれを承諾。村人たちは、用心棒代が安くて申し訳ないので、代わりにイヌとサルとキジを提供する。イヌは優れた嗅覚を使って自然薯がある場所を探して掘り、サルは高い木に登って木の実や果物を採り、キジは毎日のように卵を産んでくれる。そうやって動物たちは食料を提供するのだが、ゾンビ鬼たちとの戦いには加わらず、遠くから桃太郎を応援するだけだという。

「おっしゃることはよく判るのですが、今の時代、コンプライアンスというのがありまして……」と古館は苦虫をかみつぶしたような表情で答えた。「人間の都合で動物たちを戦闘に参加させると、動物愛護団体だけでなく、方々からのクレームが予想されますんで」

 すると辰郎さんは「しかし桃太郎の話ってのは今でも絵本なんかで子どもに読み聞かせとるんだろう。その話の中ではイヌもサルもキジも戦っとるぞ」口を尖らせた。

 古館はやるせない表情で「映画は戦闘シーンがリアルなので、絵本と較べるのはちょっと……」と言葉尻を濁した。

 すると他の年寄りたちが「辰郎さん、そう言うなって」「そうや。映画の中身にわしらがケチちけるのは筋が違うよ」「映画がヒットしたらここも観光地になるかもしれんのやし」「そうやそうや。桃太郎はきっとわしらに恩返しをしてくれるよ」などとたしなめたため、辰郎さんは「ああ、判った、判った」と少しふて腐れながらも引き下がった。


 撮影が始まり、古館の指示で、古い寺や植え込みの陰から現れたり、集団で農道を徘徊したり、山道に分け入って木々の間を歩き回ったりした。善三は途中から右ひざが痛み出したのだが、そのせいで自然と片足をひきずる歩き方になり、カメラを回す古館から「おー、いいですね、その動き。上手い、上手い」とほめられた。

 恵美は常に善三の後ろにいて、「右ひざ、大丈夫ですか? あんまり痛いようなら、これ以上はできないって、言った方がいいですよ」「その先、段差がありますから気をつけてくださいよ」「もっと身体の力を抜いてやらないと。それじゃあゾンビというよりロボットみたいですよ」などと声をかけてきた。恵美は昔からこまごまとしたことを言ってくるところがあるので、善三は「ああ、判ってる」「そうか? これでどうだ?」などと応じながら、ゾンビの役を続けた。

 休憩をはさみながら撮影は夕方まで続き、さすがに腰が重くなった。集合場所の公園に再び集められて古館から「大変お疲れ様でした、お陰で撮影スケジュールの遅れをある程度は取り戻せそうです。本当にありがとうございました。後日必ず謝礼を払いますので」と言われ、善三は村人たちと互いに「お疲れさん」と声をかけ合って、解散した。

 自宅に向かう途中、後ろから恵美が「山林の中で撮影した場所、昔は二人で自生してたヤマモモを採って回ってましたよね」と言ってきた。

「ああ。生でも食ったけど、お前はジャムやヤマモモ酒を作ってくれたよな」

 善三は照れくさかったので、旨かったよ、という言葉は省略した。

「結婚する前は、あの山道の先の展望台にあるベンチに座って、採ったヤマモモを食べたりしながら、いろいろお話をしましたよね。好きな音楽の話とか、映画の話とか。麓にできたボウリング場に行こうって誘われたのも、あそこでした」

 善三が「そうだったか?」と応じると、「あら、覚えてないんですか?」と返された。

「いや、覚えてるさ。人目を避けて会うとすれば、あそこぐらいしかなかったし」

 恵美は「確かにそうですね」と言ってほがらかに笑った。

「思えばお前には、何もしてやれんかったなあ」善三は前を向いたまま言った。「温泉旅行とか、行こうと思えば行けたのに、そのうちにと思って結局はどっこも行かずじまいで」

「いいんですよ、そんなの」

「子どもたちが独立した後は、時間があったんだから、しゃれた店にでも行って、旨いものでも食っとけばよかったな。こんな甲斐性なしの男で申し訳ない」

「いえいえ」

 善三はふと、振り返って恵美の顔を見たくなったが、思い直した。長い間、ろくに顔を見ないままで会話を続けてきたので、急に変なことをするとびっくりさせてしまう。

 家の前まて来たとき、恵美の「私、幸せでしたよ」という声が聞こえた。思い切って振り返ると、恵美の姿は消えていた。

 あいつはときどき、あんな感じで急に現れる。夫が転んで怪我をしないか。ひざの具合は大丈夫か。心配になると姿を見せる。

 家に入ったら、遺影に向かって、今日の出来事についてもう少し話しかけてみるとするか。善三は玄関戸を開けて、「ただいまー」と無人の家の中に声をかけた。


(了)