小説

『冬はつとめて』相見える(『枕草子』)

 

 

 冬は寒いもの、のはずだった。

 今年はダメかもね。

管理人さんは薄く氷の張った水面を長い爪で叩いた。氷はサクリと割れて水に沈む。

 この小さな丘、茜ヶ丘のスケートリンクは私が3年ほどアルバイトしている大事な収入源だ。小さな池が自然と凍ってできるそれはこの錆びついた地方の町の唯一の観光地と言っても良かった。

 どういうわけか、もう11月も半ばなのに今年の冬はちっとも寒くならない。例年であれば凍てつくような寒さでこの池はカチカチに凍りついているはずなのに。地球温暖化って本当だったのか。


 どうするんですか?

 どうにかするわよ……。

 22歳のギャルは長い爪をあわせてカチカチ音を出しながらため息をついた。どうにかって、どう考えても今年はスケートリンクを作れない。私のバイト代はどうなるんだ…喉元まで文句が迫り上がってきたが、いかにも困っている大人に食い下がるほどの胆力を私は持っていない。それに、どうにかするというのなら雇われは待つしかない。

 考えとくから、とりあえず高校生は帰った帰った。

管理人さんはピースサインを元気なくフリフリ振って帰りを促した。


 丘の上から自転車で駆け降りる。日はすっかり沈んでいる。吹き付ける風が冷たくて気持ちがいい。街灯の光が目の端を流れて消えた。


ガラリと引き戸を引く。

 いらっしゃいませー!

奥から顔を出した母は、にっこり上がった口角をきゅっと反転させた。絵に描いたようなへの字口。

 なんだ、雪か、おかえり。

 ただいま、今日もお客さんいないんだ。

 だめだめ。こんなに冷えないと誰もお蕎麦食べたくならないんだわ。あんたんとこの氷もだめなんでしょ。

 私の実家は蕎麦屋を営んでいる。ルーツを辿れば1000年も続く蕎麦屋だと祖父は誇らしげに言っていたが、それは真っ赤な嘘だろう。平安時代に麺類の蕎麦は存在していない。ただかなり昔からお店をやっていたことは確からしく、母屋の棚から墨でびっしり書かれた勘定帳を見つけたこともある。

 困ったわね…。

母の言葉をかき消すようにガラリと扉が開く音がした。母はパッと明るい表情をして立ち上がる。

 かけ…いや、ザル一枚ね。

お客さんは珍しくあまり知らない顔だった。私は小さく会釈してその場を立ち去った。


 大ニュースよ。

次の日、管理人さんは珍しくすっぴんだった。

 ここ、なくなるかも…言いづらいんだけど。

 私は事務所の窓の外を見た。日はまだ沈んでいないが薄暗かった。管理人さんの言葉の意味がわからない。

 あのね、このスケートリンクなくなるかも。

 息ができなかった。

 どうしてですか?

 ほら温暖化で、やっぱり自然のスケートリンクって危険だし、何かとリスクがあるでしょ。前から町長が考えてたらしくって。昨日雪ちゃんが帰った頃にやってきて、ここは眺めがいいから、池は埋めてマンション作るつもりだからって……。

 私は管理人さんの目を見た。黒縁メガネの奥の目は真っ赤に腫れ上がっていた。

 ごめんね。

 あまりにショックを受けた顔をしていたのだろうと思う。管理人さんは私を励ますように少し微笑みながらそう言った。管理人さんにとってこの場所がどれだけ大事だったか、私は知っている。そして、この町に住む私たちは、町長の鶴の一声の強硬さもよく知っている。前例になく若くして当選した現町長は、今まで変化のへの字もなかったこの町に驚くほどの潮流と実績をもたらした。1年ほどで町議会の変革や予算の立て直しから、小学校の環境整備といった身近なものまで、この変わり映えのなかった町が追いつけないほどのスピードで改革を進めている。結果的に、その物腰の柔らかさや人好きのするルックスも相まって、町長の発言力は強大なものになっていた。

 その町長が言うのなら、『決まったこと』なのだろう。お腹の底が抜けたような絶望感にしゃがみ込みそうになった。何かしなければならないと言う焦りと、でもどうすることもできないという悲しみがぶつかって、衝動となって私の中を暴れる。

 無力でごめんね。

管理人さんの泣き顔を直視する勇気はなかった。


 私は小さい頃から茜ヶ丘が好きだった。何か心が晴れないことがあると、1人になれる場所を探して丘を登った。中学3年生のある冬の日、確かお正月に来訪した親戚に何か言われたのだったろうか、馴染みのある道を駆け上がり茜ヶ丘に登った。

 シャーーーッ

 鮮烈。冷たい空気を切り裂くような鋭い音だった。ハーメルンの笛の音を聞いた子供のように無心に音を追い、そうして凍りついた池で舞う女性の姿にたどり着いた。音は、スケートシューズのブレードが氷を削るものだった。

 それまでの私は、美しいという言葉自体を知ってはいれど、これこそが美しさだと心から震える気持ちは知らなかった。木々の間からこっそり水浴びをする天女を見るように、ただ見惚れていた。

 それが、私と管理人さんの出会いだった。


 その後、管理人さんは池をスケートリンクとして営めるように町に働きかけ、晴れて管理人となり、私も縁あって手伝うことになったのだ。

 設立時は物珍しさから混み合う時もあったが、寒さの厳しい町ではスケートリンクに訪れる人もなかなかおらず、2人で過ごす時間も必然的に多くなった。

 管理人さんの身の上話もそこで聞いたものだ。彼女は幼い頃よりフィギュアスケートを習っていて、どうやら将来有望な選手だったとか。何かの事情で両親と離れることになり、金銭的にも選手を目指すことができなくなった。引き取られた親戚と住み始めたこの町で小さな凍りついた池を見つけ、古くなったスケート靴を持ち込んで時折滑っていたとのことだった。見せてもらった写真では確かに幼い管理人さんが大きなトロフィーを持って微笑んでいた。


  別に続けたかったわけじゃないのよ、何かと大変だったし。

 管理人さんは事務所のストーブの前に座って、よくココアを飲んでいた。

 でも、好きなのよね、滑るのが。

 私も好きだった。ピンと伸びた指先や真っ直ぐな眼差しが。何かを諦めなければいけなかったのに、それでも受け入れて好きだと言える素直さが。

 窮屈だった。学校も、家も、何もかも嫌だった。いじめがあったわけではない。家庭に問題があったわけではない。小さな町の学校の閉塞感、思春期特有の鬱憤、言葉にすればよくあるごく普通の悩みと言えるだろう。しかし人並みの苦悩は、人並みに私を苦めてくる。

 管理人さんを見ていると、私は自分自身が何かから解き放たれるように感じた。管理人さんといられることが自分を特別な存在にすると思った。


 もう一度話してみませんか、町長に。

 難しいとわかっていても、ただ受け入れるなんてできなかった。

 そうしたいけど……でも。

 管理人さんも町長を知っている。

 大丈夫です。こんなに美しいんだから。

 彼女は目を丸くした。私も同じ顔をしていたかもしれない。美しいなんて、まさか口から出るなんて思っていなかった。彼女はどう思ったのだろう。何か言いたげに口を開いたが、何も言わずに頷いた。


 次の日から目まぐるしく時間が過ぎていった。目標があるとこんなにも時間が早く過ぎていくものなのかと、これまでの暮らしぶりを見直そうと密かに思うほどだった。

 スケート場が無くなるかもしれないと言う話は、町中にすぐ広まった。決して賑わっているとは言えないスケート場ではあったが、意外にも反対の声は多く、学校でも私に話しかけてくる生徒は多かった。

 まずは嘆願書の作成から取り掛かる。町長に自然のスケートリンクの良さや貴重さを理解してもらう。SNSを使えば今より大幅な集客ができて、利益も生まれ、町おこしの一つになるだろう。利点を理解して貰えばきっと潰さなくても済む。次に署名活動だ。いかに多くの町の人がこのスケートリンクが大事だと思っているかを知ってもらうことができれば、町長の考えも変わるだろう。管理人さんは町内会、私は学校と分担し、目標を2週間でそれぞれ300ずつとした。

 やると決めたものの、私は校内で明るい方ではない。正直足取りは重かった。しかし、私から言い出したことは、私がやるしかない。数少ない友人に頼み、ポスター作成やホームルームでのスピーチ等思いつくことは片っ端から行った。恥ずかしさもあったが、あのスケートリンクを管理人さんと並んで守る誇らしさが私を後押しした。驚くことに次第に活動に賛同する人も増え、結果的には通う高校だけでなく隣の高校や中学校にも活動は広がり、署名数は500を超えた。思えば、こんなに精力的に何かの目標に向かって懸命になったことは初めてのことだった。

 そうしてあっという間の2週間で、目標通り嘆願書と署名はまとまることになった。


 こんなに協力してもらえるなんてね。

 役所に向かう道で、管理人さんは嬉しそうだった。暖冬のおかげで手持ち無沙汰であった母の協力もあり、町内会でも多くの署名を集められ、町でも多くの人が知る一大運動となっていた。この小さい町のことだ。勿論町長の耳にも入っているはずだ。


 町長は、約束の時間きっかりに執務室に私たちを招き入れた。

 茜ヶ丘スケートリンクの取り壊しについての嘆願書と署名ですね。確かに受け取りました。

 しかし、申し訳なさそうな顔で町長は続けた。

 ただ、正直なところ、もうだいぶ計画は進んでしまっているんです。明るいお返事は出来ないと思います。

 達成感で昂っていた私たちの喉元に突きつけられたのは冷たい現実だった。


 ありがとうね。

 帰り道、管理人さんは言葉が出ず黙りこくる私に微笑みかけた。駄目で元々と思って始めた活動ではあったが、思った以上の反応や達成度があった。上手くいくのではないかと大きな期待が生まれていた分、落胆は大きい。

 管理人さんの穏やかな声に、込み上げる涙を抑えることができなかった。嫌だ、あそこがなくなるのは嫌だ。だって、私にとって、あそこは、管理人さんと並べる唯一の場所で……。

 この2週間本当に楽しかったよ。雪ちゃんのお母さんのおかげでたくさん知り合いができちゃった。それも全部やろうって言ってくれた雪ちゃんのおかげだから。

 でもあそこは無くなってしまう…そう言おうとした時だった。

 雪ちゃん!スケートリンクどうだった?

 道の向こうから話しかけてきたのは活動に協力してくれた隣のクラスの女の子だった。協力してくれたからには事情を説明しなくてはならない。私は涙を拭いて管理人さんの方を向いた。

 雪ちゃんも、何かが変わったみたいね。

 管理人さんは微笑んで、手を振っていた。


 そこで私は気がついたのだった。失ったものだけはないのだと。


 2ヶ月後。スケートリンクが解体される日がやってきた。朝早く、管理人さんと2人で池に待ち合わせる。

 薄暗い早朝、暖冬といえど流石に息も白くなるほどの寒さだったが、結局この冬は池は凍らなかった。あれからすぐに取り壊しが決定し、事務所もずっと閉めていたので、訪れるのは久しぶりだ。

 朝来るのは初めてです。

 そうだよね。でも冬の朝が1番綺麗なのよ。空気が澄んでるから。

 管理人さんは足首まである白いロングコートに青いベルトを締めている。久しぶりに会った彼女は、今までのギャルのイメージから一転、雰囲気が変わっていた。

 本当に、今日で無くなっちゃうのね。

 寂しくなりますね…。

それでも、もう大丈夫なのだ。


 2週間の活動のおかげで友人が増えた。友人が増えたことで新しい価値観を知った。新しく居場所と言えるものもできた。新しい好きなものも。


 私は大切にしていたものを失った。それは確かだ。

 だが、大切なものは変わり、私も変わり、きっとこれからも大切なものができては消え、その度に生まれる感情を乗り越えて、それがきっと大人になっていくということなのだろう。


 茜ヶ丘の名前の由来は美しい茜色の朝焼けである。自転車で丘を駆け降りる。眩しい光が私を包む。なんて美しいんだろう。そうか、冬は空気が澄んでいるから。


 後ろから、管理人さんが何か言った気がするが聞こえなかった。