小説

『狐に教わる工事のススメ』粟生深泥(『亀割石(熊本の昔話)』)

 

 

「先輩ー、今日も駄目ですね」

 プレハブで作られた事務所に入ってきた星野朱里は困り果てた声とともに「大洋建設」と書かれたヘルメットを脇に抱えた。僕は溢れてくるため息をそのまま吐き出しながら窓越しに問題の現場を見る。

 2ヶ月ほど前の洪水で押し流された橋の建て替え工事。年々激しさを増す暴れ川の水圧に耐えられるように丈夫な橋に建て替えることになった。丈夫な橋といっても原理は簡単で橋脚の基礎となる杭を深く打ち、水の流れに負けない様にするというものだ。それで、中堅と若手の間くらいの僕が責任者として工事に当たってるわけだけど。

「参ったな。事前のボーリング調査じゃ何もなかったはずなのに……」

「文字通り、行く手を阻まれちゃってますねー」

 星野はお気楽そうだったけど、あまり笑える状況ではなかった。杭の打設を始めると事前の調査では出てこなかった異様に硬い岩盤が現れて工事がすっかり進捗しなくなってしまった。余裕があったはずの工期も段々と厳しさが増していって頭が痛い話だった。本社から助言を受けて色々な工法を試してもいるけど、芳しい成果は上がっていない。

「これだけの層を見逃すなんて、事前の調査不足じゃないの」

「まあまあ、そうは言っても工事はスタートしちゃってるわけですし」

「……星野は前向きだよね」

「えへへー。先輩となら工期延伸になっても楽しそうですしー」

 星野はパチリと片目を閉じて笑ってみせるけど、その言葉は僕の胃をキリキリとさせる。工期が伸びることによるあれこれもあるけど、住民はいち早い橋の復旧を待ち望んでいる。場合によっては地質を再調査して設計を見直す必要もあるかもしれない――なんて考えているとどんどん気が重くなっていく。できれば予定通り、この秋のうちに工事の主たる部分は進めてしまいたい。

 その時、事務所のドアがドンドンの豪快に叩かれた。

「やあやあ、調子はどうですか?」

 明るい調子で入ってきたのは今回の橋の建て替えの発注者である久万村の担当者、日和田課長だった。久万村一筋で好々爺とした日和田課長はニコニコ顔で事務所に上がってくると、年齢が倍半分違いそうな僕と星野に丁寧に頭を下げる。

「それが、相変わらず硬い岩のところで止まってまして……」

 打ち合わせ用のデスクに施工図を拡げる。水平図に赤くラインを引いているのが硬い岩で杭が打ち込めなくなっている位置だ。岩に当たる度に施工方法を変えたり杭を打つ順番を変えたりしてみるものの、今のところ効果は上がっていない。

「この辺りの工事でこんな風に岩の層が出てくることはよくありますか?」

 日和田課長は顎に手を当てて図面をじっと見つめる。ふむ、と一つ頷くと顔を上げて僕たちを見た。

「そうだ、白狐神社にはお参りに行かれましたか?」

 白狐神社。耳慣れない言葉に星野の方を見るけど星野も首をふるふると横に振る。そんな僕らを見た日和田課長はあちゃあと軽く天を仰ぎながら自分の額をぴしゃりと叩いた。

「お伝えしてませんでしたか、失敬失敬。いやあ、この村には久万川の工事をする前には白狐神社にお参りするっていう習わしみたいなものがあるのですよ」

「川の工事をするときの習わし、ですか?」

「なんでも300年以上前、久万川を船が通れるようにしようって工事をしたとき、亀岩っていう大岩が邪魔で工事が進まなかったらしくてですね」

 日和田課長の話は、橋を造ろうとしてるのか船を通そうとしているかの違いはあるにせよ、何だか今の状況に似ているような気がした。

「その時にご先祖様に亀岩の砕き方を教えたのが白狐様ってらしいんで。それ以来、この村では白狐様を神社に祀って、川の工事をするときには白狐様にお参りしてからって習わしみたいになってるんです」

 もう一度星野と顔を見合わせる。僕ら建設技術者はエンジニアであり、信心的な話とは遠いと思いきや、工事の前は地鎮祭を行ったりとそういった部分は大事にしている。流石に神頼みすれば解決するとも思えないけど、どのみち、岩に阻まれている現状はこれといって打つ手はない。何かヒントでも見つかれば御の字くらいのつもりで参拝してみるのもいいだろう。



「その白狐様ってのも何だか現金ですねー」

 神社に続く参道の階段を登りながら呟く星野の後ろ手には村の焦点で買ってきたいなり寿司が入った袋が下げられている。日和田課長によると工事の前に参拝するときには白狐様の好物であるいなり寿司を捧げるのが決まりとのことだったので、善は急げとばかりに仕事終わりに近くの店で買って向かっているところだった。

「星野、そんなこと言って祟られても知らないからな」

「あれ、先輩。そういうの信じるタイプなんですか?」

「人並みくらいにはね」

「へー、意外です」

「星野は信じないタイプ?」

「あんまりですねー。ご加護も罰も感じたことないので」

 一歩前を行く星野が振り返ってニッと笑う。作業着のままだけど愛嬌のある笑みを浮かべる星野の周りを赤い紅葉がハラハラと舞っていった。信じない、とか言う割にその姿は神社の中に飲み込まれそうなくらいに絵になっている。

「それなら、僕一人で来たのに」

「先輩一人だと寂しいかなあって」

「寂しいって、子どもじゃあるまいし」

「それとも、先輩は私がいない方がよかったですか?」

 星野は後ろ歩きをしながら口を尖らせて目を潤ませるという器用なことをする。表情を作っているとわかっていても罪悪感にかられてしまう。星野は

「別に、そうは言ってないけど……」

 星野は満足そうに口角をあげると、くるりとターンして御社殿の方にパタパタと走りって行く。紅葉が風でひらひらと舞う中、後を追うと年季の入った御社殿に既に星野がいなり寿司を供えているところだった。何故だかその様子は楽しそうで、見えない尻尾が大きく揺れているように感じた。

「さ、先輩。お祈りしましょう」

 星野に導かれるように御社殿に並ぶ。賽銭箱の手前にはいなり寿司のパックが開いた状態で置いてあった。鈴をガラガラと鳴らし手を合わせる。

――いち早く橋が完成して、村の人たちの移動が楽になりますように。

 その途端、緩やかに吹いていた風が急速に強くなり、舞い散っていた紅葉が一斉に吹き上がる。視界一面が赤に染まり、顔を腕で覆いながら咄嗟に星野の腕を掴んだ。

 間もなく風が吹きやんで、舞い踊っていた紅葉が地面に落ち着く。

「あれ……?」

 賽銭箱に供えていたいなり寿司が無くなっていた。強風で飛ばされたのかもしれないけど、辺りを見回してもそれらしきものは落ちていなかった。

「星野、大丈夫?」

 星野は片手で顔を覆って少し俯くような姿勢で固まっていた。肩がピクリと震えたかと思うと、そのままくつくつと笑いだす。

「……星野?」

「いえ、すみません。ちょっとびっくりしただけです」

 星野はあいかわらず笑いを堪えるようにしながら顔を上げる。

「それより先輩。もう一度現場に行ってみませんか?」

「今から? もう夜になるけど……」

「岩を割る方法を思いついたんです。善は急げ、ですよ!」

 星野は楽しそうに笑いながら僕の手をグイグイと引く。さっきまでの星野とどこか違った気配を感じながらも、岩を割るという言葉に強く惹きつけられて僕は星野の言葉に頷いた。星野に連れられるまま歩きつつふと振り返ると、誰もいない境内を数枚の紅葉が踊っていた。



 現場に戻ると既に日は落ちて辺りは暗がりに落ちていた。ひとまず事務所に入ると、星野は相変わらずどこか楽しそうな表情でバーナーを持ってくる。

「それで、岩を割る方法っていうのは?」

「まあまあ、そんなに焦らないでください。あ、そうだ。流石に今から実際に地中の岩を割るわけにはいかないので、今夜は実験までにしておきましょう。先輩、手ごろな石を持ってきてくれませんか?」

 これくらい、と大ぶりな石を星野は手で形づくる。有無を言わさぬ感じ。星野はこんなに強引に話を進めるタイプだっただろうか。

「どうしました?」

 星野は小首をかしげて僕の方を見ている。

「……いや、わかったよ」

 言いたいことは色々あったけど、懐中電灯だけを持って星野に従って事務所の外に出る。事務所からすぐ降りれば川に出るから石を探すこと自体は難しくない。星野の希望に沿いそうな石をいくつか拾う。

 それより問題は星野だ。神社に行ってからどこか人が変わったような感じがする。星野のことは昔から知ってるけど、無邪気にしてももう少しこう――と思ったところでチリリとした軽い痛みが頭に走る。言いようのない違和感がもやもやと胸を覆う。何だろう、この感覚。

 とにかく、今は岩を割る方法だ。首を横に振って雑念を払うと、拾った石を持って事務所に戻る。星野はバーナーの他にトレイとペットボトルの水を用意していた。

「ありがとうございます。それでは実験をはじめましょう」

 星野は僕の手から石を受け取ると、トレイの上に石を置く。それから手袋をはめるとバーナーを手に取り石を炙り始めた。ごうっという音とともに表面の色が変わる程石が炙られていく。石からもチリチリと音が鳴るけどそれだけでは割れる気配はなかった。

「そろそろかな?」

 星野はつぶやくとバーナーを置き、傍らに置いてあったペットボトルの水を石にどぼどぼかけた。大量の湯気が噴き出す中を星野は水をかけ続ける。やがて室内にピシリという音が響いた。次の瞬間、バチンと何かが弾けるような音がして、石がバラバラと割れた。

「この辺りの岩石は温度の急激な変化で亀裂が入る特性があるんです。杭の支障となっている大岩は流石に一度で割れることはないと思いますが、何回か繰り返せば普通に工事ができるようになるはずです」

 実験を終えた星野が得意げに胸を張る。どうやって地中の岩を熱して冷ますかといった課題はあるが、これなら工事を進められるかもしれない。

 となれば、残る問題は。

「それで、お前は誰だ?」

「……先輩?」

「星野はどこにいる?」

 一度はきょとんとした顔を浮かべた星野だったけど、すぐにくつくつと笑いだす。その頭にピコンと狐の耳が立ち、背中から尻尾が見えた。

「いつから気づいた?」

 白い狐の耳と尻尾を生やした星野が悠然と尋ねる。

「星野がこの辺りの石のこんな特性知ってるはずがないし、何より神社に行ってからの星野は人が変わったようだった」

「ほう。彼の者のことをよく知っておるようだ」

「星野は大切な後輩だ。どこにやった」

 狐耳を生やした星野は小さく目を見開くと、くすぐったさそうに笑う。

「果たして星野という後輩は初めから存在していたのかの?」

「なっ――」

 星野はそのままくつくつと笑うと僕に近づき、その指で僕の額をピンと撥ねた。

「初めは工事の前に参拝もしない余所者をからかうつもりだったが、意外と面白くいし、何より誠実なやつだったからの。引き続き村人のために頼むぞ、先輩」

 星野はそう言って笑うと、大きな耳と尻尾をピコピコ降りながら事務所を出ていった。



「いやあ、順調に進み出しましたなあ!」

「はい。岩を取り除くうまい方法が見つかりました」

 少し言葉を濁したけど、日和田課長は気にすることなく額を拭いながらめでたいめでたいと笑っていた。

 あれから、工事は順調に進んでいた。来週には杭基礎工事を終え、橋脚の築造に移る。どうにか工期内に収まるペースを取り戻していた。

 それから、本社に確認して見たが星野という職員は存在していなかった。いまだに信じられないが、どうにも僕は初めから化かされていたらしい。文字通り狐につままれる気分だったけど、星野の記憶がある以上はそう考えるしかなかった。

 日和田課長を見送って僕も事務所の外に出ると、杭の最後の一本を打設している現場を遠目に見る作業服の星野の姿が目に入った。

「それで、どうしてまだお前がここにいるんだ?」

 僕の声に振り返った星野がニッと笑う。

「だって、いきなり大切な後輩がいなくなったら先輩が寂しがるんじゃないかなって」

 その言葉に頭を抱えたくなる。それは確かに僕の言葉だけど、化かされていたときの言葉なんだしノーカンにしてほしかった。そんな僕ににっこり笑った星野がとてとてと近づいてくる。どういう原理かヘルメットを貫通して白い狐耳がピコンと生えた。

「それに、最近の人間の工事技術も学んでおこうと思っての。頼りにしてるぞ、先輩」