『古びたゴール』大村恭子(『わがままな巨人』)
近所のスーパーで倒れてから2週間が経って、やっと退院の日がやってきた。 病院では、心筋梗塞と言われた。難しい事は分からないが、長年の酒とたばこの習慣が祟ったらしい。 「特にたばこ。死にたくなかったら、すぐにでもやめな […]
『カムパネルラ』ろ~~くん(『銀河鉄道の夜』)
私の幼少期は、世間一般からすると不幸らしかった。母親は父親と仲が悪く、そのストレスの捌け口はいつだって子どもである私だった。母親の機嫌は、例えばミルクを床に溢してしまったり、母親より早く寝入ってしまったりといったことで […]
『恩返しセンター』夏川路加(『鶴の恩返し』)
夜、アパートの部屋のチャイムが鳴った。 「丹波さん、鶴の恩返しセンターです。お届け物に上がりました」 その時僕は、恋人の知美が作ってくれた夕飯を食べていた。 僕たちは箸を持ったまま、顔を見合わせた。 「恩返しセンタ […]
『書に満てよ』村崎みどり(『文字禍』)
鄙びた町の図書館司書になって数年が経つ。 都心から山がちな地方に……飛ばされてきた、と言うのは八つ当たりだろう。 はじめこそ、二十時過ぎにぽつぽつと灯る道端の電灯も頼りなく感じていた。夏は当たり前に暑く、冬は冬で己 […]
『かぐや姫の後胤』川瀬えいみ(『竹取物語』)
私が彼に会ったのは、私が中学二年の時に亡くなった父の十一回忌の翌日。私は出身大学の付属図書館で司書として働いているのだが、その閉架書庫にある竹取物語の写本の閲覧を希望してやってきたのが彼だった。 名は竹宮直也。おそら […]
『ユキノシタ』洗い熊Q(『雪』)
雪は静かに降り注いでくる。 羽のようにふありとした柔らかさで舞い降りてくると思えば。 指先に落ちれば、そっと冷たさを残して消えゆく。 鼠色の雲を見上げ、その空を何時までも眺めるのは私は好き。 だから、そう。 […]
『夢見るような恋をして』裏木戸夕暮(『おめでたき人』)
僕は彼女を見ているだけで幸せ。そう、見ているだけで。 彼女との出会いは中学生の頃。歌動画を配信していた彼女に、僕はひと目で恋をした。生まれた時から地味キャラです、って人生を送っていた僕に突然訪れた初恋。スマホを見てい […]
『踏んだペンギンは誰』白石睦月(『パンをふんだ娘』)
二十一歳の誕生日。フレンチレストランでディナーを愉しんだ後、会員制のバーに移動した。ボーイフレンドの一人の行きつけだという。仄明るい橙色の照明、微かに流れるジャズ、寡黙なバーテンダー、ゆったり座れる本革の黒いソファ、あ […]
『憧憬という名の香り』裏木戸夕暮(『蒲団』)
これは私が若い頃の話だ。誰にも言うつもりは無い。ここだけの秘密の物語だ。 まだ青年と呼ばれていた頃、私は一枚のハンカチを拾った。 「おや」 白いハンカチはレースで縁取られ、花の刺繍が施されていた。人影は無い。後で交 […]
『キャンプ場のマッチ売り』三坂輝(『マッチ売りの少女』)
ブームっておそろしい。 こんな地方の山奥にまで人が来るんだもん。 ユカは思った。 例年なら、8月すら閑散としているこのキャンプ場が、今年は5月だというのに客で埋まっている。 驚くのは、山をまたいだ都会からも客が […]
『涙のありか』小山ラム子(『ナイチンゲール』)
「たっだいまー!」 誰もいない部屋に向けて「ただいま」と言うのは最初の頃だけだった。だけど今日の百花は一味ちがう。机の横に帰り道で買ってきたオードブルやワインが入った袋を置く。手元が空いたところで両手を上にあげて万歳の […]
『桃太郎を待ちながら』増田喜信(『桃太郎』)
「おい、トラ! 聞いたか?」 息せき切って、オオカミが家に飛び込んで来た。 俺はちょうど、茶を飲んでくつろいでいたところだった。 「落ち着けよ、オオカミ。今、食後の一服中だ」 「のんきに茶など飲んでいる場合ではない」 […]
『二人の女』八田(『夢十夜』)
百年待つと約束した日から私は墓の前でじっと座り込んでいた。女が言ったように赤い日が東から出て西へ沈んでいくのを毎日眺めていた。美しく輝いていた星の破片が段々と曇っていく。いつしか日を数えるのも忘れて、一日呆けて過ごすよ […]
『キャンディチョコレートスナック』柿沼雅美(『お菓子の大舞踏会』)
僕はアイドルが好きで好きでしょうがない。ごはんも食べずにアイドルのイベントへ行ったり、アルバイトをしていた頃はその全ての金額を、社会人になってからも家賃以外のほぼ全ての給料を彼女たちにつぎ込んでいる。 僕がだんだんと […]
『人工現実感』太田純平(『昼の花火』)
「ほらもっと頑張って!」 と左から彼女の声。 頑張っている。必死にペダルを漕いでいる。なのに全然前に進まない。 「ちょ、これ、二人で漕がないと――」 「なにぃ?」 グワングワンと軋むペダルの音。なかなか声が通らない […]
『テクテクと歩く』真銅ひろし(『三年寝太郎』)
いつか本気出す。 いつか本気出す。 いつか本気出す。 心の中でずっと思っている。 でもなかなか上手いこと体が動かない。 「寝る前は決意すんだけどなぁ・・・。」 朝、布団に横になりながらポツリと呟く。 今年で […]
『僕が僕であるためのセルフイメージ』サクラギコウ(『みにくいアヒルの子』)
「記念すべき第10回目!」とポップな文字が躍っている。幹事は三山だ。張り切っているのがよく分かる。年々出席者が減っているのだろう。今回の同窓会は学年合同で行われるとある。 第一回から地元に残った三山が幹事を引き受けてい […]
『うたかた』観月(『人魚姫』)
1、リュリ 金に輝く月が水面を揺蕩っていた。 周囲に島影はない。 ぽこぽこと小さな気泡が立ち上り消えた。少し間をおいて、今度はもう少し大きな気泡が浮かぶ。 ぽこ。ぽこぽこ。ぼこぼこぼこっ。 とぷり。 海面に頭が一 […]
『乾いた水槽』和織(『夢十夜(第八夜)』)
『初回無料 すぐにご案内できます 美容院GOLD FISH』 ビルの前に置かれたA看板にそう書かれているのを目にして、浩太はツイてるなと思った。ちょうど、そろそろ髪を切りたいなと思っていた。今日は営業先から直帰になって […]
『泡沫』白川慎二(『蜘蛛の糸』)
ぴっちりと閉ざされたカーテンの向こうには、深夜二時過ぎの深く冷たい闇が広がっている。夕方に起き出す彼にとって夜は長い。だから彼はテレビゲームをする。同じ色のゼリーみたいな生き物を四つつなげて消していくパズルゲーム。カチ […]
『歩み』ウダ・タマキ(『うさぎとかめ』)
「おいおい、三回コール鳴り終わる前に出ろって! まじ、時間ムダ!」 「十一時三十二分着。五分前に東口な。十二時に会議だから遅れんなよ」 「要点まとめて話せって、まどろっこしいんだよ! 脳みそ使え!」 俺みたいな人間には […]
『雀の子』珊瑚(『舌切り雀』)
その女の子は色が白く、華奢で、背の丈はわたしの臍のあたりまでしかなかった。年は六つかそこらだった。切れ長の目元と薄い茶色の瞳が愛くるしく、庇護欲を誘った。結わえるほどの長さもない髪も茶色がかり、それぞれ細くふわふわとし […]
『本当の恋人』淡島間(『スカボロー・フェア』)
その手紙が届いたのは、大学に入って間もない、五月の初めのことだった。 『みはつちゃん、早く帰ってきてね。僕は毎日、みはつちゃんのことばかり考えている。村に帰ってきた君と、一緒になることだけを楽しみに過ごしている』 とい […]
『嘘と百年』和織(「カインとアベル」「夢十夜(第三夜)」)
曲がりくねった坂道の家路の途中、その先に見えたものを、最初は動物かと思った。けれどそれは、七八歳くらいの少年だった。彼は地べたに蹲っている。まるで兎のように鼻をすすりながら、画に描いたようにシクシクと泣いている。私は彼 […]
『三人の今にも吹き飛ばされてしまいそうな家』社川荘太郎(『三匹のこぶた』)
「お前たちもいい歳だ。いつまでも実家でごろごろしていないで、そろそろ一人暮らしでもして自立したらどうだい」 狭い居間で愚痴を言う母の辛そうな表情を見て、三人の息子たちの心は痛んだ。 だが、三人ともが働いた経験を持たな […]
『虚栄のトリビュート』反橋わたる(『賢者の贈り物』)
夫婦は貧乏だった。 二人とも、貧乏を恥じており、虚栄心が人一倍強かった。そして、この豊かな日本で、自分たちがいつまでも貧しいのは、お互いに相手のせいだと思っていた。 妻は夫が甲斐性がないからだと思い、夫は妻の浪費癖 […]
『蜘蛛の意図』財賀真理(『蜘蛛の糸』)
お前は幸運だ。私はお前が益虫であることを知っている。妻にも啓蒙しているので安心しろ。しかし調子に乗って、繁殖などしてはいけない。この家は私の家であって、お前の家ではない。私が主人だ。居候であることを自覚して、それ相応の […]
『ヤッちゃんのわらしべ』十六夜博士(『わらしべ長者』)
「タッくん、アカネちゃん、おじさん来たよ」 いつものようにユミコ先生が遊びに夢中になっている僕らに声をかけた。学童保育用の建物の入り口を見ると、いつものようにヤッちゃんが立っていた。ヤッちゃんは僕と目が合うとニコッと笑 […]
『怒りで失敗した人生、やり直してみませんか?』ウダ・タマキ(『北風と太陽』)
深い闇に浮かび上がるようにして佇む紫紺の看板。楷書体で『怒りで失敗した人生、やり直してみませんか?』とある。店の名前は、記されていない。その謳い文句だけ。 細い路地から地下に続く階段の先、赤茶色のドアが入り口のようだ […]
『風よ、とまれ』吉岡幸一(『ドン・キホーテ』)
海辺に接した崖の上に一基の風車が建っていた。風車は風力発電に利用される水平軸風車で、羽が地面に対して垂直にまわっているプロペラ型と呼ばれているものだった。 上陸した台風の風をうけて羽は低くうなるような音をたてて回って […]