小説

『泡沫』白川慎二(『蜘蛛の糸』)

 ぴっちりと閉ざされたカーテンの向こうには、深夜二時過ぎの深く冷たい闇が広がっている。夕方に起き出す彼にとって夜は長い。だから彼はテレビゲームをする。同じ色のゼリーみたいな生き物を四つつなげて消していくパズルゲーム。カチャカチャとコントローラーを忙しなく動かしながら、彼は自分自身では気付いていないが、幾度も、殺す、時間を殺す、と心の内で呟いていた。そこには「時間を潰す」という表現では到底追いつかない、彼の不安と焦燥、そして自傷願望が込められているのだが、彼はそのことを知らない。
 彼にとって、テレビゲームは、物事を考えないための唯一の方法なのだった。
 画面の上から吐き出される色に反応してただ指先を動かすだけ。猫が動くものを無心で追いかけているようだ。猫には悩みがなさそうだ。欠伸をする猫を彼は思い浮かべる。そして、その連想のようなものは、ゼリー状の生き物が消えるのと一緒にパッと無くなる。自分がこのパズルゲームを日が昇るまで、延々とやり続けるのは、「消す」という動作の内に何かを見出しているのかもしれない、などと思うともなしに思う。
 高校へ通わなくなった理由は彼自身良く分かっていない。進学校で勉強についていけなくなったからだ、と周囲の人は思っていることだろう。同級生は著しく成績の悪い彼を見下し遠巻きにしていたので、人間関係も不登校の理由として挙げられるかもしれない。そもそも勉強をする気がないのに、形だけ学校へ通っていても仕方がない、と彼自身は考えるともなしに考えていた。決定的だったのは、ある朝、ふと布団の中で「このまま寝続けていたらよいのではないか」と思いついてしまったことだった。そうして、実際にその通りにしていたら、母親がやって来て、枕元で何事かを言い、それでも、起きずにいると父親が力ずくで布団を引きはがした。母親は泣き、父親は怒鳴り、布団の上から彼を蹴ったりもした。そんな日が一週間も続くと、二人は何も言わなくなった。
 それから三か月もの間、彼は昼夜逆転のテレビゲーム生活を送っていた。
 ゼリー状の生き物を消しながら、彼は自分も消えてしまえばよいのにと思った。
 夜中に真っ暗な台所で、冷蔵庫を開く時、どういう訳か、彼のまなうらには、ボサボサの髪をして腰をかがめて食べ物を漁る獣じみた自分自身の後ろ姿がありありと映るのだった。冷蔵庫の黄味がかった、ぼんやりとした光がその背中を縁取っている。もし、表に回れば、一体自分はどんな表情を浮かべているのだろう。淋しげだろうか、あるいは何の感情も浮かんでいない不気味な顔をしているのかもしれない。彼はその想像を慌てて打ち消した。
 冷蔵庫の中には、母親の料理が入っている。レンジで温めてくださいとメモが添えられている。学校へ行かず、ろくに口も利かない自分のために、母親が料理を用意してくれること。同じような文章なのに毎回メモが新しく書き直されていること。そして、母親の丸っこいのに筆圧の強い文字。それらをどう捉えればよいのか、彼には分からない。これからどうすればよいのかも皆目見当がつかない。だから消す。消しながら、自分も消えてしまえばよいのにともう一度思い、その思いすらも消す。

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