小説

『歩み』ウダ・タマキ(『うさぎとかめ』)

「おいおい、三回コール鳴り終わる前に出ろって! まじ、時間ムダ!」

「十一時三十二分着。五分前に東口な。十二時に会議だから遅れんなよ」

「要点まとめて話せって、まどろっこしいんだよ! 脳みそ使え!」

 俺みたいな人間には一日二十四時間では足りない。寝る時間さえもったいない。立ち止まることも振り返ることもなく走り続けてきた。そして、これからもひたすら走り続ける。俺の歩みは誰にも止められない。時は金なり。金こそ全てだ。人の心さえも金で買える。

 そう思って、生きてきた。

「ここ、どこだ……」

 そう呟いたつもりの言葉は、喉の奥につっかえたままだった。
 脳と喉が明らかに分断されているような感じがした。うまく信号が伝わらない。

「梶原さん?」

 見知らぬ若い女性が俺の顔を覗き込み、少し不思議そうな口調で言った。そして、俺と目が合った瞬間、それは安堵の表情へと変わった。
 ぽとり、ぽとりと、無色透明の液体が静かに落ち、管を通って腕の血管から体内へと吸い込まれていく。静寂の中に時おり慌ただしい声が飛び交う向こう側には、電子音が一定間隔でリズムを打っていた。
「ぁんで?……」
「良かった。意識が戻ったんですね。ここ、病院です。昨日、倒れて運ばれてきたんですよ」
 いちいちジェスチャーを付けて丁寧に説明する女に苛立ちを覚えた。そんなことしなくても、ちゃんと聞こえている。
 慌てて起き上がろうとした俺はバランスを崩して派手にベッドから落ち、そして、激しく全身を打った。痛いはずだが痛みを感じ難い。大丈夫ですか、と駆け寄る看護師たちが俺の腋や腰に手を触れる。全力で振り払おうとした右手は、虚しく地面に垂れ下がったままだった。

 俺の体が、俺の指示を聞かなくなった。

「まだ若いですから、リハビリを頑張れば日常生活を取り戻すまでには回復は期待できます。あとは、梶原さんの気持ち次第ですね」

 感情の伴わない医者の言葉は所在なく宙に舞い、俺の心までは届かなかった。

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