小説

『二人の女』八田(『夢十夜』)

 百年待つと約束した日から私は墓の前でじっと座り込んでいた。女が言ったように赤い日が東から出て西へ沈んでいくのを毎日眺めていた。美しく輝いていた星の破片が段々と曇っていく。いつしか日を数えるのも忘れて、一日呆けて過ごすようになってきた。
 ある日、一人の女が私の前を通った。女は私を見ると、
「ここで何をされているんですか」
 と問うてきた。私はどう答えたものかと悩んだ。私は何もしていなかったからである。もはや自分がどうしてここにいるのか思い出すのすら難しかった。それでもなんとか、
「人を待っている」
 と答えた。女はそれを聞くと、
「そうですか」
 と言って去っていった。
 この女との出会いは私に恐ろしい事実を気づかせた。自分が約束を忘れかけていたこと。そして死んだ女の顔が思い出せないと言うことだ。いや、女の長い髪や真白な頬、唇が熟れた果実のように赤かったことは思い出せる。しかしそれらをつなぎ合わせて一つの顔にすることができなくなっていた。
 その日から私はなんとか女の顔を思い出そうと努力した。覚えている限りの女の特徴を絵や言葉にしてみたが、思い出すことは出来なかった。
「まだここに居たんですか」
 顔を上げると、そこには何時ぞや私に話しかけた女がいた。
「お相手は来なかったんですか」
 そうしてまた、あの時のように私に問うた。
「いや」
 そう答えながら、しかし私はもしかしたら女に騙されたのではないかと考えていた。もうとっくに百年は過ぎていて、女は自分との約束など覚えていないのかもしれないと思った。自分自身が女の顔を思い出せないことを棚に上げて、私は女に対して強い憤りを感じた。
 そんな私の心中を見透かしたように、目の前の女は、
「お相手はきっと忘れてしまったんでしょう」
 と言った。
 人間というのは捻くれたもので、自分の心の内を当てられるとそれを隠そうとする。この時の私もそうだった。私は僅かに語気を強めて、
「いや」
 と言った。口に出すと不思議なもので、今度はまるでそれが真実のように感じる。そうだ、女が約束を忘れるはずがない。そういった根拠の無い自信が私を落ち着かせた。女の顔は思い出せなくても、見ればすぐにわかるはずだと思った。
「そうですか」
 女はまたそう言って去っていった。

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