小説

『二人の女』八田(『夢十夜』)

 女は三度私を訪れた。三度目に私の前に立ったとき、どうしてだか酷く腹を立てているようだった。
「いつまでお相手を待ってるつもりなんです」
 強い口調で問われて私は戸惑いながら百年、と答えた。それを聞くと女は形の良い眉を吊り上げた。
「そんな人など待って何になるんです。そんなにその人が好きなのですか」
 私は思いがけない言葉にぽかんと口を開いた。女はそんな私の様子など一向に気にならないようで、そのまま言葉を続けた。
「一途な人が好きよ」
 私はその時初めて正面から女の顔を見た。そうして似ていると思った。墨のように黒い髪、ほのかに光るような白い肌、熟れた果実のように赤い唇。
「来ない人などお忘れになって」
 女は細い指を胸の前で絡ませた。恥じらうように俯くと、前髪が一房顔にかかる。その様子は綻び始めた花を思わせた。女からありもしない馨しい匂いが漂ってくるような気さえする。つまるところ、生唾を飲むほど女は魅力的だった。
 私は思わず女の手を取った。女は嬉しそうに手を握り返すと、私に身を寄せてきた。
 その時、私は唐突に死んだ女の顔を思い出した。そして近づいてくる女の顔を見て違うと叫んだ。女の手を引き剥がし突き飛ばした。
 女は軽々と転がった。地面に打ち倒された女を見て、私は何故か晴れやかな気持ちになった。この女は私を誑かそうとしたのだ。私に約束を破らすために。なんて嫌らしい奴だ。混乱した頭は冷静を失っていた。
 可哀想なのは女の方だった。勝手に期待を持たされた挙句、裏切られた。加えて謂われのない嫌疑まで掛けられている。着物は泥にまみれて酷い有様だった。
 女はひしと私を睨み付けた。切れ長の瞳から大粒の滴がぼろりと落ちる。悲しみからではない。女の内側で怒りが音を立てて燃えているのが聞こえてくるようだった。私は思わずたじろいだが、女は荒々しく立ち上がると一度も振り返らずに去っていった。
 私は女の姿が見えなくなるまで見送って、その後もぼうっと突っ立っていた。我に返ると既に日が沈んで久しく、月も天辺を通り過ぎていたようだった。
 急に力が抜けて私はその場に座り込んだ。柔らかな苔が私の尻を受け止める。
 頭の中に死んだ女と先ほどの女の顔が交互に浮かんでは消えていく。どうして似ているなんて思ったのだろう。二人はどちらも美しかったが、それほど似てはいなかった。
 私はいつかあの女のことも忘れるのだろうか。そんなことを考えながら、また残りの百年を待った。

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