小説

『うたかた』観月(『人魚姫』)

1、リュリ
金に輝く月が水面を揺蕩っていた。
 周囲に島影はない。
ぽこぽこと小さな気泡が立ち上り消えた。少し間をおいて、今度はもう少し大きな気泡が浮かぶ。
 ぽこ。ぽこぽこ。ぼこぼこぼこっ。
 とぷり。
 海面に頭が一つ現れた。
 左右対称のぱっちりとした目。サファイヤの瞳を金の睫毛が縁取っている。白い肌には染み一つなく、唇はほんのり桜色に染まっていた。艶やかな長い髪が海面に広がる。
 美しいが、一点を見つめたままの瞳からは生気が感じられず、まるで打ち捨てられた人形の頭部が浮かんでいるかのようだった。
だがその時、何の前触れもなく桜色の唇が開いた。
「なんてよい月夜なんでしょう」
 すると凪いだ海面にひとつ、またひとつと、いくつもの頭が浮かんだ。
「まあほんとう」
「歌いたくなってくるわね」
「歌いましょうよ」
「よい月夜ですもの」
 少女たちはにこりとうなずきあうと、再び水の中へ消えた。
 ぱしゃん。
 一人が大きく跳ねた。
 なだらかな肩、形の良い乳房、小さくくぼむ臍から思いがけず豊かな腰が海面から現れる。しかしその先に二本の足はなく、かわりに現れたのは青い鱗に覆われたまろやかな魚の尾だった。

 海の中では人魚たちが歌を歌いながら泳ぎ回っている。
 歌声はうねり絡まり、遠くへと伸びていった。
 水面の月が大きくゆがんだ。
 空に雲が集まる。
 星々は霞み、つい先ほどあれほど輝いていた月も、しだいに厚い雲に覆われていった。
 歌声は激しさを増す。
 天に光が走り、雨粒が落ち始めた。
 唄の罠に絡めとられた船が、人魚たちのもとへと手繰り寄せられる。
 そしてついに、船上から人間が落ちた。
 ひとり。ふたり。またひとり。
 まるで自ら身を投げるように。

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