小説

『人工現実感』太田純平(『昼の花火』)

「ほらもっと頑張って!」
 と左から彼女の声。
 頑張っている。必死にペダルを漕いでいる。なのに全然前に進まない。
「ちょ、これ、二人で漕がないと――」
「なにぃ?」
 グワングワンと軋むペダルの音。なかなか声が通らない。
「だからァ! 二人で漕がないと――!」
「――ったく、しょうがないなァ」
 彼女がようやく漕ぎ始めると、宇宙船を模した乗り物は息を吹き返したように前へ進み出した。アトラクションの説明には「優雅な空中散歩」とあったが、これじゃあただの筋トレだ。
「ねぇ! 見てッ!」
「えぇ!?」
「後ろッ!」
 彼女が叫ぶので扉からちょっと顔を出す。
「!?」
 後続の宇宙船が目前に迫っていた。パイロットは兄妹だろうか。十歳くらいの男の子と女の子が俺の顔を見てニヤニヤしている。
「煽られてる!」
 彼女が言って、薄紫色のパンプスを懸命に動かす。俺もワークブーツで負けじと続く。こんなの履いて来なければよかった。
 眼下にはアヒルのボートやメリーゴーランド。ステージでは艶やかな着物姿のグループが歌舞伎のようなダンスを披露している。
「あーあ疲れた」
 しれっと言って、彼女が漕ぐのを止める。当然宇宙船もトーンダウン。
「ちょ! え!?」
「一人でやって」
「いやいやいや!」
「だって後ろ子供だよ?」
「……」
 だってもへったくれもない。スピードが出ないものは出ない。そりゃそうだ。動力が半分なんだから。思わず叫ぶ。
「ちょ! 俺もうじき31なんだけど!」
「アタシ24!」
「いやそういうことじゃなくて!」
 こちらに構わず、彼女が景色を堪能する。愛らしい横顔。鼻はちょっと低いが瞳は茶色い碧玉のようだ。モコモコのプルオーバーニットの上に、普段は付けないパールのネックレスを付けている。視線を感じてか、彼女が「ン?」とこちらを向く。照れ隠しに「キツイ」と言って前を見る。乗降場が見えて来た。這う這うの体でプラットホームに吸い込まれてゆく。乗り物の扉が開き、彼女から先にホームへ降り立つ。ふくらはぎが痙攣している。全身が痛い。拳で背中を叩きながら首を回していると、行き掛けた彼女が振り向いて言った。
「ほら行くよ、おじいちゃん」

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