小説

『人工現実感』太田純平(『昼の花火』)

 途中で言い淀んだ。そんなこと今さら訊いてどうするんだって。しかし彼女は律儀に答えた。
「今年の六月」
「いや、じゃなくて、いつから彼氏が――」
「あぁ、秋、去年の。ほら、ウチら二人で花火観に行ったでしょ? あの後」
「……」
 確かに観に行った。大きな花火大会。思えばあの時からずっと、同じ距離感のまま彼女と付き合ってきた。進もうにも怖気づき、戻ろうにも愛おしい。そんな関係がいつまでも続くと思っていた。だが今、全てが終わった。線香花火のように、ぽとりと全てが――。
「年下なの」
「へぇ、下なんだ」
「ウン」
「……」
 もう何も聞きたくないし、本当は今すぐ帰りたい。だが俺から誘ったデートだし、ましてや結婚となると、社会通念上、避けては通れない言葉が――。
「……おめでとう」
 ポールパーテーションのベルトを弄びながら低く言った。
「え?」
 音響に遮られたのか、彼女には届かなかったらしい。
「おめでとう」
今度ははっきり、確かに言った。
「アリガト」
 答えた彼女の瞳はもう、普段の表情で笑っていた。秋といえば彼女の誕生日があった。俺はプレゼントを買って渡しただけで、特にレストランを予約したり展望台に誘ったりはしなかった。会社で毎日のように会い、彼女の存在を慣れて見失いかけていたのかもしれない。
「お待たせしました~」
 スタッフのお姉さんに案内され、いよいよ我々の番が来た。彼女から左に詰めて椅子に座る。
「それでは先に、注意事項だけご説明させていただきます。えーまず、これからご体験頂きますのはヴァーチャルリアリティ――仮想現実でございます。中には途中で怖くなったり、体調が悪くなるお客様がいらっしゃいます。そういった場合はまず、眼をつぶって頂きまして――」
 そんな説明があった後、それぞれVRゴーグルを装着した。
「それではイっちゃいましょう! 宇宙空間、逆バンジー!」
 スタッフの合図でアトラクションが始まった。
今、目の前にあるのは、三百六十度コンクリートで塗り固められた、宇宙ロケットの発射台のような場所である。その、発射台からプシューっとロケットが打ち上げられると、視界は一気に高度何千メートルかの大空まで飛翔し絶景が広がった。地上はどうやら都会のようで、高層ビルが幾つも乱立している。
「ねぇ!」
 彼女の声だ。
「何が見える?」
「同じだよ」
「え?」
「きっと、同じだよ」
「ビル?」
「……あぁ」
 彼女と同じものを見ていた。ずっとそう思い込んできた。画面が涙で霞み、思わず目をつぶる。もう何も見たくない。何も――。
「安田? 安田!」

1 2 3 4 5