小説

『かぐや姫の後胤』川瀬えいみ(『竹取物語』)

 私が彼に会ったのは、私が中学二年の時に亡くなった父の十一回忌の翌日。私は出身大学の付属図書館で司書として働いているのだが、その閉架書庫にある竹取物語の写本の閲覧を希望してやってきたのが彼だった。
 名は竹宮直也。おそらく二十代半ば。当学の学生ではなく、アマチュアの古典文学研究者だと自己申告した。薄墨色のソフトスーツは身なりに頓着しない良家のお坊ちゃん風で、私は源氏物語の夕霧を連想した。色好みの父親とは対照的な、光源氏の生真面目な息子を。

 我が母校は本邦古典文学の写本を多数所蔵していて、頻繁に学外からの閲覧希望がある。とはいえ、それらの貴重文書は、高い権威を有する人物や機関からの紹介状を添えて事前に閲覧申請し、当学学長の許可を得ない限り、『デジタル撮影したものを公開しておりますので、そちらをご覧ください』で済ませるのが常。
 まして、彼が閲覧希望してきたものは、基本的に閲覧不可、門外不出の重要文化財指定書。
 文部科学大臣の紹介状があれば閲覧は許可されるだろう。東大学長や国立国会図書館長の紹介状なら、学長も閲覧可否を一考するかもしれない。もし学外の人間に閲覧を許可することがあったなら、それは国宝指定審査の時だろうと言われるほどの超貴重文書だったのだ。名刺も持たないアマチュア研究者に気軽に開示できる資料ではない。
 彼が目的の資料を閲覧することは、ほぼ不可能。彼の希望は無理無謀。それは最初からわかりきっていた。
 にもかかわらず、私が、彼に、お約束のフレーズ『デジタルアーカイブでどうぞ』を告げることができなかったのは、彼の面立ちが私の父のそれに酷似していたからだった。
 十年も前に、四十歳になったばかりで亡くなった私の父。私は、昨日の十一回忌で、母と共に、父の二十代の頃の写真を見返したばかりだった。
 私の思春期、反抗期の只中に亡くなった父。『どうして、あの頃の私はあんなに苛立ってばかりいたのか。刺々しい言葉しか口にできなかったのか。どうしてもっと優しく接することができなかったのか』と後悔ばかりを抱えていた亡き父の若い頃に、彼はそっくりだったのだ。
 私は、竹取物語の写本を直に見たいという彼の望みを、何としても叶えてやりたいと思った。それができなければ、私がこの世に生まれてきた意味がないと、本当に、本気で、真剣に、心の底から思ったのだ。

 彼の望みを叶えるには、学長の閲覧許可が要る。学長の閲覧許可には、文学部部長の推薦が要る。文学部部長の推薦を得るには、しかるべき権威からの紹介状が要る。一介の司書にすぎない私がすがれる権威は、私の卒論指導教員くらいのもの。
 不幸中の幸いというべきか、私の卒論指導教員は文献文化学の教授だった。
 私は恩師の許に彼を連れて行き、無理を承知で教授に助力を求めた。
 私が。見知らぬ人との面談が怖くて就活ができず、教授の口利きで母校の図書館で働かせてもらっている超内向人間の、この私が。

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