小説

『虚栄のトリビュート』反橋わたる(『賢者の贈り物』)

 夫婦は貧乏だった。
 二人とも、貧乏を恥じており、虚栄心が人一倍強かった。そして、この豊かな日本で、自分たちがいつまでも貧しいのは、お互いに相手のせいだと思っていた。
 妻は夫が甲斐性がないからだと思い、夫は妻の浪費癖のせいだと信じていた。
 二人とも、人から貧乏人と見られることを極端に恐れていたので、常に、自分たちを金持ちに見せる努力は怠らなかった。
 夫ははけなしの金で、アンティークの金時計を買って、見せびらかすように持ち歩いていたし、妻は妻で家計も顧みず、せっせと美容院に通い、自慢の豊かな髪をいつも美しく整えていた。
 そんな二人に、次々に同窓会の案内状が届いた。
 夫は金時計にプラチナの時計鎖を付け、ベストのボタンから吊るして同窓会に出席すると、さぞかし立派に見えるだろうと思った。ひょっとすると、一流会社の重役に見間違えられるかもしれない。
 しかし、プラチナの時計鎖を買う金など、どこにもなかった。
 同窓会の当日の朝、支度をしながら妻の寝姿をみていると、なんとなく腹が立ってきた。美容院代を節約すれば、プラチナの時計鎖ぐらい買えたかもしれない。と、その時。夫の脳裏に一つの考えがひらめいた。
 はさみを持つ手は最初、震えたが、一束切り落としてからは、まるで一流の美容師のような滑らかな手さばきで仕事を終えることができた。その間中、妻は安らかな寝息をたてていた。
 切り取った髪をショッピングバッグに入れ家を出る。目を覚ました妻が狂ったように怒る姿が想像された。が、自業自得だと思った。それに髪はまた伸びる。
 かつら屋で髪を売った金を持って、宝石店に飛び込み、欲しいと思っていたプラチナの鎖を買った。胸が高鳴った。
 さっそく鎖の一端をベストのボタンに付け、もう一端を金時計に繋ぐべく、ベストのポケットの中を手で探る……ない? いつもそこにある時計がなくなっている。まさか盗まれたのでは?……と、その時、二日前に妻が点検に出すと言っていたのが思い出された。と、いうことは。時計は我が家!
夫は妻がまだ目を覚ましていないことを願いながら、家路を急いだ。
 息を凝らしてアパートのドアを開ける。
 鏡台に座っていた妻が、その気配を感じて振り向いた。目に涙があふれ怒りで身体が震えている。顔色は真っ青で短く散切られた髪は逆立って……右手に、初めて見る高価そうなべっ甲の櫛が握られていた。
 それを見て夫は、自分の金時計がべっ甲の櫛に替わったことを瞬間的に悟った。
 妻への憎しみが瞬間湯沸かし器の中の湯のように沸騰した。
 妻が何か叫びながら向かってくる。
 たちまち、視野全体が妻の顔で埋まり、口元がアップされる。それが醜く歪み、罵る言葉をマシンガンのように吐き出している。
 夫は思わず、プラチナの鎖を取り出すと、それを妻の首に巻き付け締め上げた。と、同時に、妻の、手に持ったべっ甲の櫛が、夫の目にめがけて振り下ろされた。