『8分19秒の猶予』太田純平(『放送された遺言』)
照りつける太陽の下、真壁健一は全力で走っていた。なにも大学の2限に遅刻しそうだからではない。太陽が消えたからである。 事の始まりは今からほんの数分前。いつものように地下鉄に乗り大学に向かっていた時のこと―― 「緊急速 […]
『オス、三毛猫』永佑輔(『猫の皿』)
犬塚湾子は、その名前とは裏腹に猫カフェを経営している。 猫の仕入れ先はペットショップではない。保健所から引き取るわけでもない。動物愛護団体から譲渡されるわけでもない。そこらでグウタラしている野良猫を手なづけて捕獲し、 […]
『見ないで』香久山ゆみ(『鶴の恩返し』)
「やだ、見ないでっ」 なんて言われたら、喜んでしまう。たぶん性癖なのだと思う。 だから、今まで付き合った女の子たちは、いかにも美人って感じの子はいなかったし、内気なタイプが多かった。 見つめると恥ずかしそうに顔を逸 […]
『君との歪なコンビネーション』粟生深泥(『彦一どんとタヌキ(熊本県民話)』)
「お疲れホープ。あんま無理すんなよ」 そんな言葉とともにポンと肩に手を置いて先輩が帰っていく。舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、その背にお疲れ様ですと頭を下げた。 北芝開発という総合電機メーカーに就職して8年。第二開発 […]
『笑顔の花』染井千奈美(『花咲か爺さん』)
シロ、もういいんじゃないかい――――。 かつて大好きだった花を見上げながら、思う。 年中桜が咲くと噂がたち一躍有名になったこの村の、噂の元になった我が家の庭に咲く花。「花咲かじいさん」と呼ばれ、村の内外問わず多くの人達 […]
『やさしい足音』ウダ・タマキ(『ごんぎつね』)
テレビから流れる天気予報が、台風の接近を知らせている。大型で強い台風らしい。気象予報士の深刻な顔に、画面を通して緊張感がひしひしと伝わる。 「大丈夫かなぁ」と、思い浮かべるのは遠く離れた故郷の景色。 台風が来ると思い […]
『四鷲市公共施設カタツムリ』宮沢早紀(『かたつむり(童謡)』)
斜向かいの席からガサガサと音が聞こえてくる。ああ、今日も始まったなと思いながら、岡田さんの動きを目で追った。晴れの日も雨の日も八時二十七分に出勤してくる岡田さんの仕事はブックスタンド、ノート、バインダー、ポケットファイ […]
『フライ』太田純平(『蠅』)
飛行機というやつには初めて乗った。巨大な人間さまが行儀よく座っている。目をつぶっているから大半は寝ているのではないか。就寝モードなのか照明は薄暗い。夜に寝て昼に活動する。人間なんて所詮は我々ハエと一緒だ。 機内をひと […]
『スワンの幸せ』鷹志(『みにくいアヒルの子』)
麗子が好きな童話は『みにくいアヒルの子』。 見た目がみにくいアヒルの子はまわりからずっといじめられていたが、実はアヒルの子は白鳥の子どもでやがて美しい白鳥になった……という話だ。 麗子は小さな頃からこの童話の絵本を […]
『円らな瞳』赤森たすく(『浦島太郎』)
先ほどから、そう、正確にいえば会社を出た直後から、誰かが私を付けている。ラッシュアワーの雑踏のノイズに紛れていても、その規則的な追尾の気配は私の背中に確実に拾われている。横断歩道を大股で渡ったときも、自販機の前で立ち飲 […]
『ミラー・パニック』柿ノ木コジロー(『鏡騒動』)
ただいまー、あ~疲れた、といつものあいさつで塾から帰ってきたら、玄関先にママが立っていた。 「あ……おかえり」 それだけ言って、おしゃれな花柄のカフェエプロンで無意識のうちに手を拭いて、また拭いて、をくり返している。 […]
『ウラシマタロウの妻』川瀬えいみ(『浦島太郎』)
余命宣告を受けた。私に残された時間は長くて一年。 私に不意打ちを仕掛けてきた凶賊は副腎白質なんとかの成人大脳型という病気で、その標的を一人の例外もなく、発症から二年以内に植物状態に陥らせ命を奪う凄腕のターミネーターだ […]
『ハナキン・スカイウォーカー』紅井無蘭(『吸血鬼伝説』)
パニエからはみ出した太ももに、踊り場の鉄板が冷たそうな冬の夜。 わたしは、掃除用モップのモフモフした先っぽを、上へ続く階段の踏み板に乗せる。踊り場に体育座りしてから、ゴスっぽい革のブーツで、モップの先を踏ん付けるよう […]
Sunset Road
Sunset Road (after the song ‘Kono Michi (This Road)’, lyrics by Hakushu Kitahara, 1926) by Uda Tamaki, transla […]
『山の神さま』原田恵名(『山の神さま』(岐阜県恵那市山岡町))
小さな村の人々は、貧しさはあれど幸せだった。 この村では、皆が平等に貧しかったから助け合い、お互いを思いやって生きてきたのだ。 豊かな山に囲まれているおかげで、キノコや木の実、時には獣など山の幸に恵まれた。 村から山への […]
『ナビの恩返し』戎屋東(『鶴の恩返し』(全国))
明日は、滅多に廻ってくることがない資源ごみ回収の当番になっていた。それなのに、 「ええー、明日出張って冗談だろ、紬」 「私は仕事です。頑張ってね、翔くん。何年も住んでいるんだから、やる事ぐらい分かっているわよね」 紬 […]
『舌を切る』本間海鳴(『舌切り雀』)
十九歳、夏。イヤホンで遮っているのは蝉の声ではなく、後ろにあるデカいコインゲームのBGMと、そのコインゲームに興じているおじさんの舌打ちだ。いい歳して、毎日毎日コインゲームなんかやって、人生楽しいんだろうか。まあ、毎日毎 […]
『優しい鬼たち』川瀬えいみ(『節分の鬼』(岩手県))
幸せの絶頂にある時、人は、今が自分の幸せの絶頂の時だと気付いていないことが多い。 半月前の田高ミユキがそうだった。 夫との間に子どもができたことがわかり、二人して大喜び。二人が高校卒業まで入所していた児童養護施設に […]
『燃えかす』太田早耶(『夏目漱石「夢十夜 第一夜」/花咲か爺さん』)
急に現われた言葉は、そのまま視界に留まったくせに、何ひとつ伝えなかった。携帯の画面が暗くなるまで文字の羅列はそこにあったが、結局は跡形もなく消えた。俺は小さく息を吐いて、頭を振った。泥が蓄積しているように脳みそが重かった […]
『天の羽衣』五香水貴(『天の羽衣』)
更衣室に設置された木製のすのこは湿り気を帯びていて、靴下のまま上がると、綿がじわじわと水分を吸収していくのを感じた。剥き出しのコンクリートに脱ぎ捨てられたスニーカーに足を戻そうかと逡巡するも、暑苦しい男共の群れの中から […]
『イマージナリー・エネミー』平大典(『撰集抄』(和歌山県))
〈アサコ、調子はどう?〉 自宅マンションのデスク上に三次元ホログラムで再現された小人サイズの【わたし】が質問してくる。 白のカットソーに、ストレートのデニムパンツというラフな服装だ。実在のわたしも、大学へはいつも似た […]
『27の香水』Rin(『とおりゃんせ』(福岡))
「おはよ」 「おはよ〜」 寝室の扉を開けると浅煎り珈琲の爽やかな酸味がいっぱいに広がる11畳の部屋。 目の前に輝くはち切れんばかりの厚焼き卵が挟まれたサンドイッチ。 座る前に一口齧ると、隠し味のマスタードが鼻から抜け自然 […]
『僕の前の道』吉岡幸一(『道程(詩)・高村光太郎(著者)』)
まっすぐな一本道の絵を描いている青年がいた。海沿いの道のまん中に腰かけて、朝の早い時間から来た道を見つめながら、一筆一筆キャンバスに絵具をのせていた。 道はやっと人が一人歩けるほどの幅で、細くて舗装されていない。両脇 […]
『さがしもの』そらこい(『天の羽衣』)
ゴールデンウィークが明けの月曜日の夕方。 美浜海斗は友達と別れ、住宅街を歩きながら家に帰っていた。 その途中、通りがかった公園で地べたに膝をついて何かを探している女の子を見かけた。 「あれは……」 背中まで伸びた […]
『羨望の色素性母斑』岩花一丼(『こぶとりじいさん』)
俺の鼻の下には一円玉くらいのホクロがある。幼少期にはまだ黒胡麻くらいの大きさで全く気にならなかったが、徐々に大きくなってきていた。小学五年生のある日、隣のクラスのさほど面識もない岡田という奴に「鼻くそついてるよ」とニヤ […]
『竜宮城より遙かに』美野哲郎(『浦島太郎』)
『竜宮城より遙かに』 京都名物といえば愚鈍なカメだ。授業中もすぐに肩や首をカクカク鳴らし落ち着きがない。では落ち着きがなくすばしっこいのかと言えば体育の時間は何やらせてもダメ。短距離走もリレーもビリだし、なわとびは二重 […]
『竜神と機織り姫』わがねいこ(『草枕、竜王権現の滝、機織の滝、二本杉』(静岡県浜松市天竜区佐久間町))
そこは勢いよく流れる水から出る音と風が体を包み込む、というよりは何かに巻き込まれるような荘厳で畏れ多い空気が流れる場所であった。 「こりゃ本当に竜でも住んでそうだな。」 トオルは古いカメラを手に取り、その風景を収めよう […]
『熊野武蔵流、顧客の増やし方』メイン&フレイザー(『牛若丸』(京都))
六月中旬の夜。二メートルを超える屈強な大男が、五条大橋の真ん中で腕を組んで仁王立ちしている。白いタンクトップから突き出す腕はまるで鉄骨。短パンから伸びる太ももは樹木に似ていた。橋の下では、多くのカップルが身を寄せ合い、 […]
『なのに、俺は』ウダ・タマキ(『幸福』)
「ふっ、はっ、よっと」 白とグレーのタイルが不規則に並ぶ歩道を整わないステップで進む。足が絡みそうな小さな一歩と跳ねるような大きな一歩で白いタイルだけを踏み、グレーに落ちればたちまち燃え尽きてしまう、なんてことを博人は […]
『シャボンの姉』辻川圭(『シャボン玉』)
千草が飛んだ。 屋根まで飛んだ。 屋根まで飛んで、壊れて消えた。 十一年前の夏、私と姉の千草に生まれて初めての夏休みが訪れた。私達は双子だった。 夏休みのほとんどを、私たちはある場所で過ごしていた。それは私達以 […]