麗子が好きな童話は『みにくいアヒルの子』。
見た目がみにくいアヒルの子はまわりからずっといじめられていたが、実はアヒルの子は白鳥の子どもでやがて美しい白鳥になった……という話だ。
麗子は小さな頃からこの童話の絵本を何度も何度も読んだ。
本を読みながら、麗子はみにくいアヒルの子の姿を自分に重ね合わせて、想像を膨らませていた。
私は本当は白鳥の子。いずれ物語の白鳥のようにみんなから美しいと思われる存在になるんだ。
……確かに麗子はアヒルの子に似ていると言えなくもなかった。
みにくいとまでは言わないが、見た目も性格も地味で目立たず、白鳥のように美しいとはとても言い難かった。さいわいいじめにあうということはなかったが、高校生になった現在でも、学校では誰にも相手にされず、麗子に話しかけてくるクラスメートなどほとんどいなかった。
麗子はクラスメートが「麗子なんて美人そうな名前なのに、実物はね……」と陰口を言っているのを聞いたこともあった。みじめだった。くやしかった。
そんな言葉を聞くたびに、麗子は強く誓った。
「いつか美しくなって、見返してやる」
そんな麗子にも普通に接してくれるクラスメートが二人いた。
一人は親友の幸子。
こう言っては申し訳ないが、幸子も麗子同様、見た目も地味でパッとせず美人とはお世辞にも言えなかった。しかし、麗子にとって幸子は、いつも笑顔で話しかけてきてくれる貴重な存在だった。
誰にも相手にされない麗子にとって、幸子がいることがどれだけありがたかったことか。
もう一人は幼なじみの優一。
優一もイケメンとは言い難くクラスでも目立たない存在だったが、優一も幸子ほどではなかったが麗子に気軽に声をかけてくれた。麗子が学校でまともに会話をしたことがある男性は優一だけだった。
二人のおかげで一人ぼっちの学校生活を送ることにならなかったのは、麗子にとっては救いだった。麗子は二人には、特に親友の幸子には本当に感謝していた。
それでも、麗子はやっぱり白鳥になりたかった。美しくなりたかった。そして、みんなから羨望の目で見られたかった。
しかし、当然高校時代にその望みが叶うことはなく、麗子は高校を卒業した。
麗子は高校卒業後、都会の大学へ進学した。
一方、幸子と優一は地元に残り就職した。
麗子の高校では、卒業後は地元に残って就職するか、近隣の地方都市に行って就職する人が多い。麗子のように都会に進学する人はほとんどいなかった。
麗子は初めての都会での、しかも一人暮らしの生活に不安を感じていた。しかし、田舎を出て都会に行けば美しくなれるかもしれないという期待もあった。
麗子の進学した大学はいわゆるお嬢様大学と呼ばれる大学で、麗子は入学してすぐに学内を歩く学生のオシャレで洗練された姿に驚いた。
それに比べて自分は……。
他の学生と自分とのあまりの違いに、麗子は大学に通うのが恥ずかしくなり、その場から逃げ出したい気分だった。
しかし、麗子は逃げなかった。
「みんなオシャレできれい。自分とは大違い。まるで美しい白鳥のよう。でも、この中に入って努力すれば私もきれいになれる。私も白鳥になれるんだ」
そう誓い、麗子は美しくなるために懸命に努力した。
オシャレについて一から勉強した。
大学できれいな女性の姿を観察して参考にもした。
勇気を振り絞って彼女たちに積極的に声をかけてみた。さいわい彼女たちは嫌がることもなく、麗子に化粧やファッションについて丁寧に教えてくれた。
麗子はそのアドバイスを次々と実行していった。
もともと素材は悪くないんだ。努力してやり方さえ覚えれば、絶対に華やかで美しい女性に変身できるんだ。
麗子はそう信じて、毎日努力を重ねた。
次第に、麗子の姿は高校時代までの地味で目立たない姿から美しく華やかな姿へと変わっていった。
……そして、麗子は美しくオシャレな女性に変身した。
街を歩いていれば、すれ違う男性の多くは振り返って麗子のほうを見た。
男性だけじゃない。羨望のまなざしを向けて麗子を見つめている女性も少なくなかった。
街中で男性に声をかけられることもよくあった。
これまでの人生でそんな経験などなかった麗子は、最初はとまどったが、それも次第に慣れてくるとスムーズに対応することができた。
合コンに行けば男性陣は麗子の周りに集まってきたし、アルバイト先では年上の男性に食事に誘われることもよくあった。
それらの経験を経て、麗子はさらに美しくなり、洗練されていった。
私は白鳥になった。
私はもっと美しく、もっと幸せになれる。
麗子の周りの環境は高校までとは全く違ったものになっていた。
大学に入って最初の頃は、地元にいる幸子とも連絡をとっていた。幸子は地元を離れて一人で生活している麗子のことを心配し、とても気遣ってくれた。
麗子も都会での一人暮らしに不安とさびしさを感じていたので、幸子からの連絡はとてもありがたかった。
しかし、麗子がオシャレに目覚め、麗子の周りに人が集まってくるにつれて、幸子と連絡をとることはなくなっていた。たまに幸子から電話やメールは来ていたのだが、忙しいのと、正直幸子と話が合わなくなっていたこともあり、返事もしないでいた。
次第に幸子から連絡が来ることもなくなった。
麗子は卒業後、ファッション業界の企業に就職することになった。
モデルや芸能人、大企業の幹部や実業家といった人たちと接する機会もある非常に華やかな業界で、仕事は忙しかったが、麗子は満足した社会人生活を送っていた。
地元を離れ五年後、ちょうど就職して一年が過ぎようとしていた頃、実家から「高校時代のクラスメートから同窓会の案内が届いた」と連絡があった。
仕事も忙しいし何もない田舎に帰っている暇なんてない、と思い欠席しようと思った麗子だったが、ふと高校時代のことを思い出した。
あの頃は、自分なんかに誰も見向きもしなかった。「麗子という名前だけは美人」と陰口も叩かれた。
そのとき「いつか美しくなって、見返してやる」と心の中で強く誓った。
そして、今自分は美しくなった。街を歩く男性は私の姿に見とれて、地位のある大人の男性も私に声をかけてくる。
今なら……もし、今の自分が参加すれば……あのときの誓いを果たすことができる。
麗子は仕事の忙しい合間を縫って、地元に帰った。
高校時代の同窓会に参加するためだ。
開始時間が近くなり、参加者がほぼそろっているのを確認した後で、麗子はゆっくりと会場に入った。
会場では高校時代のクラスメートが談笑していたが、麗子の姿を見た瞬間、全員の動きが止まった。
「!!」
「誰だ、あの美人は!」
「きれい……。あんな人、クラスにいたかしら」
「美しい、美しすぎる……」
全員の視線が一斉に麗子に集まる。
全員が驚きのあまり口を開けてぽかんとしている。
これよ。この顔が見たかったのよ。全員が私の美しさに驚くこの顔を。
麗子は心の中で「やった。こいつらを見返してやった」と叫んだ。
同窓会が始まると、参加者は次から次へと麗子のもとへ集まってくる。
男性陣は会場に入ってきた見たこともない美人が麗子だと知ると、最初は驚いたが、あとはでれでれとしまりのない顔をして麗子の姿に見とれていた。
女性陣も最初はいぶかしがるような目で麗子見ていたが、やがて麗子に近寄ってきて、ファッションのことや都会での生活の話を聞いてきた。それに麗子が答えると、羨望のまなざしで麗子を見ていた。
麗子はまさに同窓会の中心だった。主役だった。
みんなが麗子のもとに集まり、麗子に声をかけ、麗子の言葉に一喜一憂し、麗子の姿にうっとりする。
麗子は優越感に浸った。最高の気分だった。
全員が私の美しさにうっとりして私だけを見ている。私が今日の主役。高校時代に私を馬鹿にして私に見向きをしなかった奴らが、私の美しさの虜になっている。
私はみにくいアヒルの子じゃない。ここにいるような田舎者のパッとしないアヒルの集団とは違う。私はみんなが憧れる美しい白鳥よ。
まさに得意の絶頂にいた麗子だったが、ふとそのとき、何か違和感を覚えた。最高の気分のはずなのに、何か気が晴れない、何かが足りない……そんな気持ちに襲われた。
時間が経つにつれて、麗子のもとに集まっていた人たちは麗子のもとを去って行った。
「すごい美人だけど、俺たちには関係ないな」
「高嶺の花というか、自分らとは釣り合わないよな」
「私、旦那が帰ってくるからそろそろ帰るわ」
「俺も町内会の集まりがあるから帰るか」
麗子の登場で最初は大いに盛り上がった同窓会だったが、参加者のほとんどは地元に残っていて今でも普通に顔を合わせている人も多かったため、特に懐かしさにひたるといった感じでもないらしく、早々と帰るものも多くいた。
気がつけば、さっきまでの騒ぎが嘘だったかのように、麗子の周りには誰もいなくなっていた。
どういうこと? さっきまでは全員があんなに私に見とれて、私にくぎ付けだったくせに。
麗子はまわりに誰もいない今の状況が恥ずかしくてしょうがなかった。
一人でいるのがみじめに思えてきて、もう帰ろうかと思ったそのとき、
「麗子ちゃん?」
声をかけられて、麗子は振り向いた。
そこには、幸子と優一が立っていた。
「幸子ちゃん……」
幸子と優一の姿はほとんど変わっていなかった。見た目は高校時代からそのままで、少しだけ年を取ったかなという感じだった。
「麗子ちゃん、遅れてごめんね」
幸子は麗子の前の席に座ると、本当にうれしそう顔をしながら麗子を見た。
「麗子ちゃん、すごい! すっごいきれいになった!」
久しぶりに幸子の笑顔を見た麗子は、どこかほっとした気分になった。
しかし、大学に入ってから自分から幸子と連絡を絶ってしまったことを申し訳なく思い、幸子の顔をまともに見られず下を向いてしまう。
麗子は下を向いたまま、幸子に小さな声で連絡を取らなかったことを謝った。
「いいよ、そんなこと。だっていろいろと忙しかったんでしょ。それにこうして今日会えたし」
その言葉に驚き顔を上げると、目の前にはやさしく微笑む幸子の笑顔があった。
「麗子ちゃん、今どうしてるの? 都会の生活とかいろいろ教えてよ」
それからしばらくの間、麗子は幸子と話をした。高校を卒業してからの都会での生活。大学生活や就職してからのこと。高校時代の思い出も話し合った。優一も会話に加わった。
麗子は幸子と優一と話をしていて、心からほっとするのを感じた。
そのとき麗子は、さっきみんなに注目されて最高の気分だったはずなのに、違和感を覚え何かが足りないと感じた気持ちの正体がわかった。
私は確かに注目されて気分はよかった。でも、私は本当は、私の外見の変化なんかに関係なく接してくれる幸子のような人と普通に会話をしたかったのだ。
ふと麗子は、幸子と優一がお揃いの指輪をしていることに気づいた。
そのことを尋ねると、二人は照れて顔を真っ赤にしながら「私たち、結婚したの」とうれしそうに答えた。
「麗子ちゃんにも連絡したかったけど、連絡先がわからなくて……」
幸子が申し訳そうな顔をしたが、幸子が悪いわけでも何でもないというのは、麗子はわかっていた。麗子が携帯電話の番号を変えたのに教えてなかっただけだ。
幸子はお腹をさすりながら、「赤ちゃんもできたの」とうれしそうに話す。
「おめでとう」
麗子は心からそう思い、口から自然に言葉が出た。
「ありがとう」
「赤ちゃん産まれたら、見に行ってもいい?」
「もちろん。絶対来てね」
麗子は美しくなった。みんなの注目を集める洗練された美人になった。
麗子は……美しい白鳥になった。
しかし、今、麗子の目の前にいるアヒル……幸子は輝いていた。とても幸せそうだった。
麗子は目の前にいる幸子と優一の本当に幸せそうな姿を見て思った。
みにくいアヒルの子が実は白鳥だったとか、そんなことはどうでもいいんだ。
アヒルでも白鳥でも、幸せなものは幸せなのだ。