小説

『君との歪なコンビネーション』粟生深泥(『彦一どんとタヌキ(熊本県民話)』)

「お疲れホープ。あんま無理すんなよ」

 そんな言葉とともにポンと肩に手を置いて先輩が帰っていく。舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、その背にお疲れ様ですと頭を下げた。

 北芝開発という総合電機メーカーに就職して8年。第二開発部という部署に配属されて、開発も技術営業もそこそこ上手くやってきたつもりだ。そうしたらいつの間にか“望月希”という名前にかけてホープと呼ばれるようになっていた。

 だけど、全然満足はしていない。北芝開発はよく言って業界の中堅といったところだし、社内的に見ても第二開発部は長年第一開発部の後塵を拝してきている。それが納得いかない。俺たちはまだできるはずで、こんなところで足踏みしているのが悔しかった。

 まずは第一開発部を越える。それを目標に一人残って仕事を続けていると、不意に執務室のドアが開いた。

「あれ、望月君?」

「都子?」

 部屋に入ってきたのは第一開発部の都子だった。都子が人気のない第二開発部の部屋をキョロキョロと見回すと一つ結ばれた髪がピョコピョコ揺れる。

「まだ働いてたんだね」

「今日中に片付けたい仕事があって……都子は?」

「似たような感じかも。ちょっと第二開発部の人に借りたいものがあって……あ、あった!」

 都子は俺の先輩の席ところまでくると、机の上に出しっぱなしになっていたUSBメモリを手に取った。確かあれって最近の第二開発部の案件リストが入ってるはずだけど、いつの間にそんな情報のやり取りをしてるんだろう。

「大変そうだな」

「開発してる水中ロボットのメドが立ったんだけど、テストしてくれる人がなかなか見つからなくてね。どこかに落ちてないかなー、なんて」

 悪戯猫のような顔を浮かべて都子が笑う。都子は同期入社で、開発部の境目はあるけど気安く接することができる相手だ。そして、俺の目の上のたんこぶでもある。

 都子こそ、第一開発部を牽引する原動力で社内的にも抜群の成績を残し、エースとして一目置かれた存在だった。俺がホープだなんて持て囃され将来を期待されていたとしても、都子はもう第一線で活躍している。それが歯がゆくて、羨ましくて、悔しくて。

「それにしても、北芝開発を背負って立つ都子には怖いものなんてないんじゃないか?」

「えー、そんなことないよ」

 ちらっとUSBを掲げて都子が悪戯っぽく笑う。

「例えば、ほら。第二開発部のお得意様で西松さんっているでしょ?」

「ああ」

 それなら俺の担当だった。下町の町工場の頑固な工場長、みたいなのを絵に描いたようなタイプの人。海洋調査系の会社の人だけど、職人肌で俺も製品を認めてもらうまではかなり苦労した。

「一度打ち合わせしてるの見たことあるけど、ああいうタイプ、苦手だなーって。ほんと、私が担当じゃなくてよかった」

「ふうん、都子でも苦手なものってあるんだな」

 パチパチとパズルがハマっていくような感覚。そういえば、この前の打ち合わせで西松さんが何か言ってなかったっけ。その時は世間話として話を流してしまったけど。

「そういえば、その水中ロボットってカタログとかパンフレットある?」

「一応カタログの案みたいなのはあるよ。なんで?」

「同じ会社だし、どんなことしてるのか勉強しとこうかなって」

 そう、別に何でもない。ただ、第一開発部を超える策を1つ思いついただけだ。



 都子と話してから1週間後、俺は西松さんの職場を訪れていた。

「急に相談なんて珍しいな。何かあったのか?」

「西松さん、この前ダイバーが減ってきて困ってるって言ってましたよね。もしかしたら、お役に立てるんじゃないかと思いまして」

不思議そうな顔をする西松さんに試作版のカタログを差し出す。それは第一開発部の新製品である水中ロボットのものだ。

「これ、うちで開発中の水中ロボットで、ダイバーで行っている作業を遠隔で行うことができるんです」

 ほう、と西松さんは興味をそそられた様子でカタログを覗き込む。

「箱に腕がついただけみてえだが、これでそんな器用なことができるのか?」

「マニピュレータ部分を交換することで、様々な調査に対応できます」

 カタログをパラパラ捲ってみせる。そこには港の施設を点検する様子や海底を調査する様子のイメージが載っていた。

「今、テスト先を探してて、西松さんのところで使ってみませんか?」

 西松さんはじっとカタログを見つめて、少し長めの息を吐きだした。

「いや、せっかくだがやめておくよ。うちみたいな小さいところで使うにはこいつはちょっと大袈裟すぎるな」

「そんなことないですよ。ぜひ、試しに使ってみるだけでも……」

 立ち上がりかけた西松さんに思わず食らいついてしまう。普段そんなことをしないせいか、西松さんは怪訝そうに俺を見た。

「今日はえらい必死だなあ。何か事情でもあるのか?」

「それは……この水中ロボット、同期が開発してるもので。何か力になれたらなと。あ、当然品質は保証します!」

 思ってもいないことだけどとっさに言葉が沸いてきた。相変わらず怪訝そうな顔の西松さんとしばらく睨めっこのようになり、やがて西松さんは根負けしたように息をついた。

「……そうだな、カタログ貰ってもいいか? 少し考えてみる」

「あっ、ありがとうございます!」

 ニッと笑う西松さんに全力で頭を下げる。よし、これで計画は上手くいくはずだ。


 それから数日後、残業を終えてそろそろ帰ろうと思っていたところにバンッと第二開発部のドアが開いた。バタバタと形容しがたい顔をした都子が飛び込んでくる。

「ちょっと望月君! どういうこと!?」

「……何が?」

「今日、西松さんが水中ロボットについて興味があるって訪ねてきたんだけど!」

 心の中でニヤリと笑う。計画通りだった。西松さんはお互いの仕事に妥協を許さない人だし、元々都子は西松さんのことが苦手だというし、これで都子が西松さんの案件にかかりっきりの間は第一開発部の能率が著しく落ちるだろう。その間に第二開発部が一気に追い抜く。

「それで『望月さんが信頼している人らしいから』ってトントン拍子でテストの件話が進んで!」

 何か雲行きが怪しい。そんなはずじゃない。思考が停止する俺をよそに都子は俺の手を握るとブンブンと上下に振る。

「この前話したこと覚えててくれたんだね! すごい助かったよ! やっぱ持つべきものは頼りになる同期だね!」

 夏の花のような満面の笑みを浮かべる都子を見ていると何も言えなくなってしまって、曖昧に頷きながら次の計画を考えることにした。



 西松さんの一件から一ヶ月後、昼休み明けに第一開発部の部屋をのぞくと都子の周りが修羅場になっていた。書類がうず高く積み上がり、今もスマホを耳と肩で挟んだ状態でキーボードを叩いている。電話を終えるとスマホをデスクに落とすようにして、隣にいる同僚に向けて大きくため息ついた。

「捌いても捌いても案件が途切れないー!」

「半月前位から急に問い合わせ増えたよね」

「西松さんと進めてる件が口コミみたいに広がってるのかなあ。あんまりそういうことする人とは思えないけど」

 都子は指でボールペンをいじりながら唇を尖らせている。よかった、どうやら気づかれてはいないらしい。

 西松さんの件で学んだのは案件を一つねじ込んだくらいでは都子たちはびくともしない。それならどうすればいいか。

単純だけど物量は正義だ。ということで、俺は心当たりがある取引先に片っ端から第一開発部の水中ロボットを宣伝していった。自分で言うのもなんだけど、日頃から懇意にしているおかげか多くの人が第一開発部に問い合わせを入れてくれている。

 流石にこれだけの問い合わせが来れば第一開発部の業務も滞るのではないか。それに、今話している感じでは俺が裏から手を回していることもバレてなさそうだ。

「どうしよう。第二開発部にヘルプ頼む? 望月君、だっけ。彼とかに来てもらえばこの状況も少しはマシになるんじゃない?」

 第二開発部の方に戻ろうとしたところで自分の名前が聞こえてきて足が止まる。都子はその言葉に顎に手を当てて咀嚼しつつ、小さく笑って首を横に振った。

「ううん、やめておこう? 今はギリギリのバランスでどうにかなってるけど、これが少しでも崩れたらどっちに転ぶかわからないから」

 気のせいか、都子の視線がこちらを向いた気がする。都子の位置から俺は殆ど見えないはずだけど。

「望月君は凄いパワーがあるから。だから、もし手伝ってもらってバランスが悪い方に崩れたら、いよいよ収拾つかなくなるかもしれない」

 無意識のうちに唾を飲み込んでいた。これがダメ押しの一手かと思うとムクムクと薄暗い熱意が湧き上がってきて――それと、ほんの少しの照れくささ。

 小さく息を吸い込んで、隠れるのをやめた。同僚が先に俺に気づいてポカンと口を開けるが、そのまま都子のところに向かう。

「大変そうだな。ちょうど今手が空いてるし、手伝おうか?」

「望月君!?」

 ガバリと振り返った都子の表情には驚きが浮かんでいた。

「ありがたいけど……でも、悪いよ」

 都子の眉が小さく下がり俯く。本当に俺のことを気遣ってくれているのかもしれないけど、ここで引き下がる気はなかった。

「いいから。付き合いのある会社も多いし、きっと役に立てると思う」

 都子のデスクに置かれていた企業名が連なったメモを取り上げる。当然だけど、そこには馴染みがある名前がズラズラと並んでいた。

「東秦建設が関心あるのは水中部の施工で、南条技術開発は海底地盤調査を――」

 持っている知識をフル活用する。俺が力を発揮すればするほどバランスが崩れていくはずだ。みてろ、俺の持てる力全てを使ってかき乱してやる。



「水中ロボットの開発成功を祝して、乾杯ー!」

 半年後、第一開発部の部長が福々顔でグラスを突き上げると、乾杯という声が唱和される。

 おかしい。俺は第二開発部所属のはずで、どうして第一開発部の打ち上げの立食パーティに呼ばれているのだろう。そんな疑問を他所に、水中ロボットの件を手伝っている間に顔なじみになった人が次々に俺のところに来てくれる。曖昧に頷いたりしながら乾杯を繰り返しているうちに大きめのグラスが空っぽになってしまった。

「望月君、お疲れー!」

 ビール瓶を持った都子が後ろからひょっこり現れる。

「お疲れ、都子」

 都子は今回の水中ロボットの主担当だから、ただでさえエースだったのにまたしても名を挙げた。テストから順調な滑り出しを見せた水中ロボットはその販売実績を着実に伸ばしており、北芝開発の主力製品に成長しようとしていた。

 もう俺が都子に追いつくことはできないだろう。どれだけホープと呼ばれようが、エースの居場所まで届かなければしょうがない。どうしてこうなったんだろうなと自問しながら都子が注いでくれたビールの苦みを飲み干した。

「うちの部じゃないのにごめんね。部長が望月君のこと気に入って、是非呼べって。それだけじゃなくてもううちの部に転籍してくればいいのにって言ってたよ」

 都子は無邪気に笑うけど、俺は曖昧に笑い返すしかできなかった。同じ部内になったらもっとその差を痛感してしまうだろう。

「あのさ、部長はどこまで本気で言ってるかはわからないけどね」

「……都子?」

 ビール瓶を近くのテーブルに置いた都子がその手をそっと俺の手に滑り込ませてくる。ひんやりすべすべとした手に握られると2、3度周囲の熱が上がった気がした。

「私は望月君が来てくれたら嬉しいなって、結構本気で思ってるよ?」

 胸の内側をくすぐるような声にバクバクと心臓が騒がしくなる。隣から上目遣いがちに見上げてくる都子の方をまともに見ることができなくなってしまう。今、その顔を見つめてしまったら落ちてしまう自覚があった。

「私たち二人なら、無敵だと思うんだけどなー」

 甘えるような声。クラっと来たのは多分アルコールのせいじゃない。

「まあ、考えとく」

 小さく頷いてはにかんだ都子の手がギュッと俺の手を握り直す。そうか、俺が都子のことをライバル視してたのは――



 その後、水中ロボットは北芝開発の主力分野に躍り出た。その経緯もあって第一開発部と第二開発部は統合され、本当に俺は都子と机を並べて働くことになった。

 ほぼ時を同じくして、仕事の後も俺は都と同じ屋根の下で暮らし始めたのだけど、それはまた別の話だ。