小説

『燃えかす』太田早耶(『夏目漱石「夢十夜 第一夜」/花咲か爺さん』)

急に現われた言葉は、そのまま視界に留まったくせに、何ひとつ伝えなかった。携帯の画面が暗くなるまで文字の羅列はそこにあったが、結局は跡形もなく消えた。俺は小さく息を吐いて、頭を振った。泥が蓄積しているように脳みそが重かった。

アネキトクカエレ

目を閉じると、目蓋の裏に文字が見えた。俺に必要なのは無害なものだった。取るに足りなくとも、気休めになってくれる習慣みたいに。目を開くと天井が見えた。俺は長々とベッドに寝転んでいた。居心地の悪いものは、できるだけ遠ざけて生きてきた。これからだって、そうできたら一番いい。隣に寝そべっていた女の子が携帯をいじりながら「泊まってく?」と聞いたので、俺は身体を起こした。「いや、帰る。明日の朝いちで帰省しないと」床には脱ぎ捨てられた衣服が散らばっていて、拾い集められるのを待っていた。「帰省すんの?実家クソって言ってたのに」拾い上げたシャツを着ながら、姉さんが、と言いかけて、俺は「家庭の事情ってやつ」と言い直した。それを聞いた女の子は、携帯から少し目を上げて俺を見た。「姉さんって、あれ?年の離れた、血の繋がってないお姉さん?」「あー、惜しい。年は確かに離れてるけど、血は半分繋がってる」へえ、ドラマみたいじゃん、と彼女は笑った。そんなことない、と俺は言った。「もう長いこと、まともに口だってきいてねえし。他人みたいなもんだよ」聞いているのかいないのか、女の子は携帯を見ながら、ふーん、と言った。画面が放つ光が、その退屈そうな顔を照らし出していた。俺は服を全部着てコートまで羽織ると、じゃあ、と声をかけた。目線はそのままで、彼女は何も言わずにひらりと手を振った。

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