『オサム君との思い出』ノリ・ケンゾウ(『思い出』太宰治)
黒板の文字を消すのは、当番のオサム君と私の仕事だった。オサム君は黒板に書かれた「正」の字を少し眺めてから、忌々しくて仕方ないというように強い力を込めて消していった。 私のクラスでは、日直当番というものはなく、週ごとに […]
『せめて別れ際だけでも美しく』ノリ・ケンゾウ(『列車』太宰治)
列車がプラットホームに到着し、ドアが開いた。列を作っていた数名の乗客が、ぞろぞろと中へ入って見えなくなる。列の最後に並んでいたオサムも、続いて車内の中へと入っていく。ホームと列車の間の隙間をまたいで、完全に体が車内にお […]
『野ばらと将棋と』月山(『野ばら』)
野ばらが咲いている。 大きな岩を囲むようにして、たくさんの野ばらが咲き誇っている。ああ、見事なもんだ、と男は微笑んだ。 男は旅人である。ただ、どうにも方向音痴なところがあった。今晩の宿を探していた筈が、いつの間にや […]
『彼女は家事ができない』中村ゆい(『白雪姫』)
「やっば……どうしよう」 白雪姫は部屋のど真ん中で頭を抱えて立ちすくんでいた。 こんなはずではなかった。まさかこんなことになろうとは。 七人の小人たちが働きに出ている今、この家には白雪姫しかいない。証拠隠滅するなら […]
『人間には内緒』平大典(『菊花の約』)
九月に入ると、急に晩の冷え込みがひどくなってきた。 第二校舎の二階にたどり着くと、ぼうっとした半月が出迎えてくれた。 夏の暖かさを失った柔らかい風が屋上のタイルの上を吹き抜けていく。 目的の相手は、フェンスの前に […]
『ネムリヒメノメザメサメザメ』香久山ゆみ(『眠れる森の美女』)
百年の眠りについた麗しき姫君。 彼女はなぜ永き眠りについたのか。愛する人を喪ったから。 夢の中だけでは、彼女は再び愛する人に会うことができた。 甘美な夢。一面に広がる美しい花畑。豊かな実りある明るい森。穏やかな日 […]
『だって、孫が可愛いから』はやくもよいち(『聞き耳頭巾』)
私の初孫、美咲が小学校に入った。 「おじいちゃん、見てみて。見て」 孫娘は両足でぴょんぴょん跳ねながら、身体を回してランドセル姿を見せてくれた。 「それに帽子をかぶるのかい」 美咲は、はたと手を打ち、「待っててー」 […]
『てまりうた』木口夕(『山寺の和尚さん』)
事件を起こした会社員山寺について、周辺の人間はこう語る。 「仕事ぶりは真面目でした」 「いい旦那さんでしたよ、いつも奥さんと一緒で」 「中学で同じクラスでしたけど、地味で目立たない感じでしたね」 最後にはお決まり […]
『きびだんご作戦』渡辺鷹志(『桃太郎』)
桃井はある大手企業の小さな支店の営業課長を務めている。年齢はもうすぐ50歳を迎える。同期では支店長や本店の部長になる者も出てきており、他の人と比べて出世はかなり遅れている。 それでも、野心家である桃井は、なんとしてで […]
『趣味の壁』真銅ひろし(『青ひげ』)
女性の格好をするのが好きだ。 いわゆる女装と言うやつだ。 「・・・。」 鏡の前の自分は花柄の白のワンピースを着ている。 素敵だ。 腕も足も脱毛している。鏡に写る綺麗な自分を見るのが堪らなく快感。 「お父さ~ん。 […]
『去』津田(『桃太郎』)
昔、昔、大昔、わたしたちの想像の及ばぬほど、遠い昔のこと。 試しに想像してみるといい。所謂室町と呼ばれるその時代、夜を穿つ電灯は当然、自動的で優しい火も、清潔に整えられた水道も、ないのだ。とりわけ、賑わう都から離れた […]
『Just fit』垣内大(『シンデレラ』)
私は夢を見ていた。きらきらと光り輝く空を飛び回ったり、可愛い声で囀る小鳥たちと遊んだり、顔がぼんやりとした男性とダンスを踊ったり。男性は、私の耳元で愛の言葉を囁いてくれた。その甘い声が私の耳から心臓にかけて響くのがたま […]
『昏い春よ、』小樽ゆき(『蒲団』)
暗い、暗い部屋で、私はただ一人毛布を掻き抱いていた。この腕の中から、ひとかけらだって逃すまいというように。しかしながらおかしなことに、私が真に求めるものはもう既に、香りすら残さずに消え去っていたのだ。いくら耳を澄まして […]
『わらしべ高校生』緑(『わらしべ長者』)
いつものように教室で本を読んでいると、騒がしい男子が僕の机にぶつかった。 「おっと、ごめん。」 「あ、すみません。」 なんで僕が謝ってしまうんだ。 高校生活が始まってから、もうすぐ一学期が終わろうとしている7月。僕 […]
『G線上あるいはどこかの場所で』もりまりこ(『浦島太郎』)
字を読んでるとめまいがするんです。 黒板の字も教科書も、ぜんぶがゆらゆらっとゆれて意味がつかめないっていうか。僕、おかしいのかな? っていうかなんかの罰ですか? 罰? そうです罪と罰の罰です。教えてください。 […]
『太郎の帰郷』和田東雲(『浦島太郎』)
夏休みなんて来なければよかった、と太郎は思った。 沖縄県宮古島、太郎はこの島がきらいだ。 八歳。小学校二年から、夏休みになるとちょうど一週間、太郎はこの島にやってくる。家を捨てた母に会うためだ。母は三才になる太郎を […]
『醜悪』軽石敏弘(『みにくいアヒルの子』)
すべては《おぞましい悪夢》から始まった。二十一世紀初頭、謎の感染症のパンデミックが勃発し、その奇病に感染した人々は醜い化け物に変貌していった。生気を失った灰色の肌、口は横に避け牙が剥き出し、その瞳は血に染まったような赤 […]
『おぶすびころりん』室市雅則(『おむすびころりん』)
私はブスである。 いや、謙遜とかそんなんじゃなくて、マジでブスなのである。 幸いにもそれが原因でいじめられたりすることはなく、むしろ性格は明るい方に育ち、何となく『姉御』のようなキャラに設定されてしまい、子供の頃は […]
『静かな詩のような魔法』和織(『灰色の姉と桃色の妹』『シンデレラ』)
「また、ずっとずっと後のお話?」 そのときまだ少年だった功は、首を傾げ、唇を尖らせた。彼の母親はときどき、「ずっとずっと後のお話」を、おとぎ話をするように語ることのある人だった。子供の頃の彼には、もちろん意味がわからな […]
『マッチ売りの幸せ』真銅ひろし(『マッチ売りの少女』)
先生が答案用紙を渡してくる。 「100点。」 「おお~。」 どよめきが起こる。 これで全科目95点以上だ。たぶん学年で一番だろう。 「・・・。」 みんなから羨望の眼差しを受けながら自分の席に戻る。 「美貴、相変わ […]
『桃太郎をやるにあたって』真銅ひろし(『桃太郎』)
なんなんだ、これは。 最悪の空気が漂う。 たかだか桃太郎を決めるだけなんだけど・・・。 黒板には「桃太郎」と題名が書かれ、次に『桃太郎』『さる』『犬』『きじ』『おじいさん』『おばあさん』『鬼・数名』『森』と役名が […]
『最後の真珠』三星円(『最後の真珠』)
ツイート 「あんたは人前で泣いちゃだめよ」ってママからきつく言いつけられていて、それは男の子だからとかみっともないからとかそういう理由じゃなくて、ぼくの涙が宝石だからだ。 はじめてぼくの涙が結晶化したのは牡蠣を食べたと […]
『親指の。』かがわとわ(『王様の耳はロバの耳』)
母方の祖父には、目が三つあった。 知ったのは、十三歳の冬。初潮を迎えた日。学校から帰って、血がおりたと母に告げると、慌ただしくお祝い会の準備を始めた。夜になって、食卓を囲む父と母と私。そして、唐突にやって来た初対面の […]
『夢が浮く、橋を渡る』行川優(『更級日記』『源氏物語』)
「夢が浮く、橋を渡る」という名のブログは、世界の片隅で静かな眠りについていました。しかしいつしか情報の波がやってきて、全てを押し流し、そのブログは電子の海の藻くずとなってしまいました。今、そのブログの名を検索ボックスに入 […]
『注文の多いバーマン』幸村ゆずる(『注文の多い料理店』)
「種ちがいの五つ子。そう呼んではいささか下品にひびくでしょうか」 仕上げたばかりのカクテルを、店名が刻印されたコルク製のコースターへと運びながらバーテンダーが言った。黒いシャツに黒いベスト黒いネクタイと、そのいでたちは […]
『グロキシニアの火』菊武加庫(『智恵子抄』)
それなりのコメントを発信した方がよいというのが事務局の結論だ。 ある程度の有名人である北原奏吾(きたはらそうご)は、踊らなくなって久しい。だが、未だに往年のファンは彼の姿にカリスマ性を抱いている。 今や奏吾はバレエ […]
『走れ香奈子』杉森窓(『走れメロス』)
香奈子は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の運営を除かなければならぬと決意した。 「香奈子? 香奈子、ねぇ、聞いてるの?」 「……ん~?」 「だから、昨日木戸くんがさぁ、私の……。もう! 聞いてってば!」 香奈子の親友、由 […]
『走れメロス 警吏の願い』大和美宇(『走れメロス』)
ズフィスは、王城の門を警備する警吏の一人だ。国で最も重要な人物が住まう城を守るため、不届き者がいないか一日中その目を光らせるのが仕事である。大きなこの街ではたくさんの人々が行き交い、中には良からぬことを企む輩も紛れ込む […]
『星になんてならなくていいのに』古村勇太(『よだかの星』『雨ニモマケズ』)
母が私の髪を梳く。眼前には兄の遺影。葬儀も終わったばかりなのに、母は堰が切れたみたいに、一心不乱に髪を愛でる。 「本当にきれいな黒髪ね」 うっとりとした母の声。これがいつもの私の日常。けれどもこれまでと違うのは、兄の […]
『常世のモノ語』長月竜胆(『赤い靴』)
月明りに照らされた、暗緑の小高い丘。その上を通る静かな峠道の端に、一台の車がポツンと止まっていた。 一目で高級車と分かるその車の後部座席には、やはり一目で資産家と分かる、身なりの良い二人の男女が座っている。六十歳ほど […]