小説

『去』津田(『桃太郎』)

 昔、昔、大昔、わたしたちの想像の及ばぬほど、遠い昔のこと。
 試しに想像してみるといい。所謂室町と呼ばれるその時代、夜を穿つ電灯は当然、自動的で優しい火も、清潔に整えられた水道も、ないのだ。とりわけ、賑わう都から離れた山奥暮らしの者は、火を灯すための薪を求めてさらに山奥へ押入り、水を汲むため沢へ下りねばならない。それをほとんど毎日強いられる。想像するだけでも満腹だろう。
そんな時代の山奥に、お爺さんとお婆さん、老夫婦が暮らしていた。幾十年も前に整地した地面へ種を植え育った作物を食べ、山で入手できぬものは蚕を育てて稼いだ金を手に月に一度都を訪れ買って帰る。そうしてふたりは長いこと暮らしてきた。
 隣人も、文の相手も、いない。あえて言うまでもないだろうが、光の速度で、他人と交際する手段もない。
 ただのひとりで孤独に寝入るわけではないが、齢八〇になるまで長々連添ったふたりに、それぞれ心にできた孤独のあなぼこを埋めようとする気配はなかった。ひとりとひとりがふたりとなって、癒着してしまえば、もはやひとりのようなもので、助け合うふたりの人間ではないのだ。
 お爺さんは毎朝、山奥の林で薪を手に入れる都度、何か出来事はないかと空想する。山林の陰から巨大な天狗は現れないだろうか。遠くの湖の方から赤子の泣声が俺を呼びはしないか。脚のない白装束の女が枕元で化物の形相で俺を見下さないか。麓の竹林の竹のひとつから金色の輝を放つ美しい赤子が生まれやしないか。
 そんな想像をひとつ膨らませるばかり。最後にはすべてが弾けて、落胆に変貌するのだった。

 ある晩、お爺さんは畑仕事を終え、囲炉裏の前へ座り、お婆さんのこしらえた食事を食べていた。普段はろくな会話のないこの席。お爺さんは昼間の空想を咀嚼し、また違う空想とを繋ぐのに夢中で、箸は進まず、無言だった。
 そんなとき、ふと、お婆さんが、
「そういえば」
 と、口を開いた。
「昼間、沢で洗濯をしていたら、大きな桃を見ましたよ」
「へぇ」
 お爺さんはごみを捨てるように言った。言って、後悔した。もっと話を拡大してやればよかったと思い、慌てて付足した。
「どれくらい、大きかったんだ」
「えぇっとね、これくらいですね」
 お婆さんはそう言って、両手で丸を描いた。それはお爺さんの腰ほどの高さで、肩幅とほとんどかわらない幅の丸だった。
「何か見間違えたんじゃないのかい」
「いいえ、そんなことありません。あれは間違いなく、桃でした」
「そんなに大きいなら、どうにか、見てみたいな」

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