小説

『夢が浮く、橋を渡る』行川優(『更級日記』『源氏物語』)

「夢が浮く、橋を渡る」という名のブログは、世界の片隅で静かな眠りについていました。しかしいつしか情報の波がやってきて、全てを押し流し、そのブログは電子の海の藻くずとなってしまいました。今、そのブログの名を検索ボックスに入力しても、手がかりは何も得られないでしょう。
 そのブログを発見した時、わたしはまだ大学生で、平成が終わろうとしていました。その年は歴史的な猛暑で、四時間しかクーラーが効かない安アパートの一室にいると脳細胞が溶けていくようでした。わたしはもう動けなくなって、ひんやりとする床に肌を摺り寄せながら、繰り返しユーチューバーの動画を見ていました。いつ終わるとも知れない就職活動の中、わたしの脳は擦り切れて、鳴らない電話を待つことにも飽きてしまっていたのでした。
 将来に対する唯ぼんやりとした不安が、わたしの部屋を、いや日本を包み込んでいました。仮想通貨で世間が一瞬湧いたかと思うと、地面が割れ、豪雨が地表を洗い流し、空港が壊滅しました。そしてわたしたちはその全てを一週間もすると忘れ、しらっとした空気が熱風とともに運ばれて、ただ日々に疲弊していました。
 蒸し風呂みたいな部屋で、頭が冴えわたる涼しさをわたしは求めていました。ユーチューバーが語る怖い話にも次第に飽きて、わたしはオカルト系の掲示板で都市伝説を閲覧していました。未確認飛行物体、反社会的組織の陰謀、未来人による予言、秘境の村の奇怪な習俗。いずれも信じてはいませんでしたが、そうしたものを見ていると心が洗われていくような気がしました。世界にはたくさんの勢力がいて、互いにその存在を知らず、それぞれが一つの泡みたいな島宇宙を生きながら、そうした泡が合わさって一つの大きな泡としての世界があるのだと思うと、わたしはどうにも不思議な感覚に陥って、潮が引いていく時の砂浜のようにわたしの頭は涼しく冴えわたっていくのでした。
 そんな風にしてわたしが平成最後の夏をやり過ごしている中、掲示板の中にある一つのURLが張りつけられていました。何ということなく心惹かれたわたしは、知らぬ間にそのURLをクリックしていました。

 東路の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、と言いますがわたしは西路の道の果て、桜島近く国分に生まれました。ただ鹿児島での記憶はほとんどありません。父が自衛官でしたから幼い頃から父の赴任とともに、日本全国を転々としてきました。わたしの人生はおよそ故郷というものをもたないものでした。
わたしには友人がいませんでした。一人っ子で、母は早くに他界し、父は仕事人間だったので、一人ぽつんといることが多く人と話すことに慣れていなかったからです。クラスメイトとは何を話してよいかわからず、もし話が合ったとしても一年もするとまた新しい地で新しい人間関係を作らなければなりませんでした。
自我が芽生え始めた小学生という存在は陰湿なものです。地域の子供達しかいない環境で数年間培養された子供たちはその外側の世界を知らず、自分達の世界が全てだと思い込んでしまいます。転校生のわたしは外部の存在であり、奇異の対象として常にからかわれ仲間から外されました。直接的な暴力は無かった分、目に見えず、誰もわたしが一人であることに気がつきませんでした。
その時のわたしは世界で一番孤独でした。

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