小説

『夢が浮く、橋を渡る』行川優(『更級日記』『源氏物語』)

 それから美恵子は何枚もレコードをかけ一曲ずつ解説をしてくれました。美恵子のかける曲の中にはわたしの知っている曲もいくつか混ざっていて、そんな時わたしは気持ちが高ぶってうまく喋ることができました。気づくともう夕暮れ時で、親御さんが心配するからと、美恵子はわたしを帰してくれました。何となく名残惜しく玄関口でぐずぐずしているわたしに、いつでも来てくれたらいいよ、と美恵子は言ってくれました。
 その日からわたしはレコードを聴きに美恵子の家に通うようになりました。わたしにとって美恵子は自分と共通の趣味を持っている人生で初めての友人であり、またわたしの知らない世界を見せてくれる姉のような存在でした。その時のわたしは、人生で初めて本当の意味で父以外の人間に出会えたのだと思います。
 美恵子は学生でしたからレコードのコレクションは多くはありませんでしたが、美恵子独自の美学が伺えるものでした。わたしは数だけはある父のレコードを美恵子の家に持っていき、そこで音楽の聴き方を美恵子に教えてもらいました。美恵子のログハウスでコーヒーを淹れてもらいながら一緒にレコードを聴いていると世界が急に色づき始めた気がしました。
 また美恵子が絵を描いている姿を見るのもわたしは好きでした。彼女のアトリエの窓にほど近いところに大きなキャンバスがあって、美恵子は窓から見える風景をよく描いていました。わたしが美恵子に会いに行くときは大体放課後の夕暮れ時だったので、窓から入る夕陽で黄色づいた美恵子の横顔はいつも溢れんばかりの生命力に包まれていました。美恵子が筆を動かす度、美恵子の鼓動が脈打ち、血管が膨らんで、筋肉がしなるその運動の跡が、キャンバスに残されました。美恵子が絵を描く姿を見ると、わたしは美恵子を通して美恵子の生きている生命の流れの中に身を任せることができました。そしてその流れはそれまでの人生で、そしてその後も感じたことのないほどの人の優しさに満ち溢れていて美しくしなやかなのでした。
アトリエに置かれている絵は、それぞれに異なった時間帯とはいえ、全て天橋立の絵でした。
 どうして天橋立の絵ばかり描くの、とある日わたしは聞きました。すると美恵子はしばらくの間考え込んでしまいました。
「そうだなあ。確かに、天橋立なんて言ってしまえばただの砂州に木が生えてるだけじゃんね?」そう言って美恵子は照れ隠しのように笑いました。
「でもね、ある展覧会で雪舟の天橋立の絵を見て、なんだか無性に天橋立をこの目で見てみたくなったんだ。それで大学三年生の時にふらっと宮津まで来て、実物を見たら想像以上に深く感銘を受けて、打ちのめされちゃったの」美恵子は少し口をつけたマグカップをウッドテーブルの上に置いて、手を組みました。どんなところに打ちのめされたのとわたしは尋ねました。
「そうね、浮いてるんだな、と思った。世界から切り取られたみたいに、海の中でそこだけぷかぷかと浮いているように見えて、なんだか現実というよりは夢みたいに思えた。展望台から逆さに見ると本当に天に昇れるような気がして、わたしはその時どこか遠い場所に行っている気がしたの。それはここではないどこかなんだけど、でもなんだかすでに行ったこともあるような気がするの。それで展望台を下りて、天橋立の中をぶらぶらと歩いてみた。この天橋立を通り抜けたら何かあるんじゃないか、この向こう側に何か待っているんじゃないか、って。その時、人生でかつてないほど心が踊った。もうほとんどこの世界の真理に辿り着けるんじゃないか、って。松の木々を抜けて、次第に光が差して、視界がひらけて、はたしてそこに待っていたのは、修学旅行客相手のキーホルダー屋さんでしたー」美恵子のおどけた口ぶりにわたしはげらげらと笑って思わずマグカップのコーヒーをこぼしてしまいそうでした。

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