小説

『グロキシニアの火』菊武加庫(『智恵子抄』)

 それなりのコメントを発信した方がよいというのが事務局の結論だ。
 ある程度の有名人である北原奏吾(きたはらそうご)は、踊らなくなって久しい。だが、未だに往年のファンは彼の姿にカリスマ性を抱いている。
 今や奏吾はバレエ団の主催者として名を馳せており、振り付けや、衣装、舞台美術にまで彼の美意識は反映されるようになった。
 フィナーレで奏吾が舞台上に現れると、客席は信者たちの熱気で膨れ上がる。それは、今の今まで汗の飛沫を散らしながら踊り通した、プリンシパルやソリストを凌ぐ拍手の渦となって、ホールを覆いつくすのだ。奏吾は老境を目前にして、踊らなくても客を呼べるスターになりつつあった。
 北原奏吾の妻が他界したという事実は、死後三か月もたって世間に知られるところとなった。
 未だにこの国では、バレエなどには関心のない者のほうが圧倒的に多い。だが、バレエは知らなくても、北原奏吾は知っているという人が多いのも事実だ。  
 その奇妙とも頑なとも言える夫婦生活は、また芸術とは別な次元で興味を持たれており、踊りは一度も見たことがなくても、北原夫妻がどこへ向かおうとしているのか、好奇心を持って眺めてきた人は少なくない。
 ファックスやSNSを奏吾は好まない。だらだら喜怒哀楽をたれ流すのは下品なことである。自分は舞台の上で自己を顕示し、表現できる恵まれた立場にある。取材を受けて、最小限の言葉でこの件は終わらせたい、そう考えていた。
 スタジオの入口前で短時間であるならば取材に応じる旨を、事務局から連絡をさせた。偏屈で有名な北原奏吾の取材ということで、入口付近には予定より多くの記者が集まった。巨匠と呼ばれる男の機嫌を損ねてはなるまいと、妻の死という場に若干そぐわない緊張感が漂う。
 内部事情に詳しいバレエ雑誌の記者の質問を皮切りに、取材が始まった。
劇場の前列でよく見かける顎の細い、髪を無造作に束ねた女だと奏吾は記憶を辿る。もしかすると幼少期にバレエを志した口かもしれない。
「長い闘病生活だったと伺っておりますが」
「そうですね。かれこれ八年に及びました。最後は二年前に患った癌が悪化して三か月前に息を引き取りました」
「最後に奥様にお会いできたのは……さしつかえなければ」
 今度は黒縁の眼鏡をかけた中年男だ。瞬きが多く、せわしない印象を与える。
「なんとか、間に合いましたよ。公演が続いていましたからね。地方で様子を聞いてはいたのですが……レモンを持って行きました。もうほとんど意識はなかったのですが、レモンを受け取ると一口だけ齧って――、それが最後です」
「レモンですか?」

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