小説

『グロキシニアの火』菊武加庫(『智恵子抄』)

 目を覚ました沙和子の壊れた心はもう戻らなかった。
 手当たり次第に物を投げ、奏吾を罵倒する。建具を壊す。大声を発し、ときには声を上げながら往来に飛び出すこともあった。
 体に良いからと田舎に帰らせたり、入院させたりしたが、奏吾によれば狂暴と沈静を繰り返しながら、少しずつ少しずつ病状は進行した。
 沙和子の心が少しでも落ち着くのならと、結婚して二十年目にようやく入籍を果たした。だがもう遅かった。
 心を病み始めてから六年たったころ、肺に癌が見つかって急速にこちらも進行した。手術は間に合わなかった。
 そのころ奏吾が病室を見舞うと、沙和子は踊るようになった。見たことのない奇妙で美しいイマジネーションの結晶のような動きを毎回見せてくれて、恥ずかしそうに笑うのだった。
「素晴らしいよ」
 奏吾がそう言って拍手をすると、軽くレベランスをして微笑むのだった。彼女は才能がないのではなかった。
 すっかり誰のこともわからなくなった沙和子は、散歩に連れ出すと砂浜を舞った。奏吾と自分の名を繰り返し交互に呼びながら。

 取材の場面を奏吾は繰り返し思い返していた。
「沙和子もダンサーでした。基礎は素晴らしいものがありましたが、表現や個性を解放することを克服できず、苦しんでいました。彼女は芸術と私を支える日常生活の時間の区画にも苦脳していたとも思われます。彼女は曖昧と妥協を卑しんでいました。舞踊家としての沙和子には見るべきところもありましたが、まだ幾分弱い決意と存在感だったのではと思っています。」
 嘘である。沙和子にはまだ眠っていた才能があった。そして芸術への強烈な欲求があった。実は早い段階で奏吾は気づいていた。特に創作、振り付けには類のないひらめきがあった。
 芸術というものに狂気がなければ、それはただのお絵かきやお遊戯と同じものなのではないか。沙和子はそれを常に隠し持っていたが、比べて自分の中にあるものは実は凡庸なのではないのか。そう恐れた。
 一つの家に二人の芸術家はいらないし、共存できない
 沙和子は自分の稽古をいつも中断して奏吾の活動を支え続けることから逃れられなかった。そこには世間が見る新しい夫婦像などどこにもなく、妻は自由と安らぎ、そして自分自身に戻ることを渇望し続けていた。
 実際の二人がどうであれ、奏吾の創り出す作品の価値は変わらない。実生活と勘違いしたのは勝手な俗世間である。それにもう何が本当であったのかすら彼にもわからなくなっている。

「最後に会ったのはいつだったのでしょうか」
 この質問に奏吾は心底安堵していた。
「その前に会われたときの様子はどうだったのでしょうか」
 こう聞かれたらなんと答えたのだろう。
 沙和子が変わってしまってから奏吾は逃げていた。彼女の姉の美緒(みお)に看病を任せきりにして奏吾は創作のため、公演のためと日本国内を逃げ回っていた。いや、家にいたとしても病室には行かなかった。
 奏吾にとって、作品がすべてであった。創り続けたこと、創り続けることがすべてで、彼には人間のことはよくわからない。今も昔も。

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