小説

『グロキシニアの火』菊武加庫(『智恵子抄』)

 意外そうな顔で別の縁なし眼鏡の、痩せぎすの男が口をはさんできた。
「妻はレモンが好きだったからね。待っていたのです。レモンを噛んだあの一瞬だけ、刺激のせいなのか、香りに反応したのかわかりませんが、意識がはっきりしたように見えました。それが意識を取り戻した最後でした」
 その後も、とりとめのない、本当にそうとしか言えないやりとりが二、三交わされ、ことがことだけに長い沈黙が訪れた。
「もうよろしいでしょうか」
 奏吾のほうから取材の終わりを告げて、切り上げることにした。妻を亡くしたばかりの老年期に差し掛かろうとする男に、そう食い下がるわけにもいかないのだろう。未消化の聞き取りはこれで終わり、だが一応のけじめはつけた。
 何より妻の沙和子(さわこ)はすでにダンサーではなかったし、彼女の半生については尋ねにくいことが多く、実は尋ねにくいことこそ最も知りたいことでもあるわけだが、もうこれ以上はお互いに踏み込まないほうが無難だろうと呼吸を合わせた。
 スタジオの重たい玄関ドアを閉めて稽古場に向かう。
――妻はレモンを待っていた。私が渡すと一口齧って、それが最後です。
 さっき話したことを反芻してみる。本当のことのようでもあるし、真っ赤な嘘のようだとも奏吾は感じていた。

 若き日の奏吾は修業のため海外に長く暮らした。ドイツ、イタリアを経て、最終的にフランスの国立バレエ団にソリストとして迎えられた。当時の日本人としては初めてのことであり、遠く離れた自国で大きく取り上げられた。
 日本バレエ界の権威である父、北原啓介(きたはらけいすけ)のてこ入れがあったのではと勘繰る向きもあったが、そういったことが通用する世界でないことは、素人にもわかることだった。何より啓介自身が、息子の活躍に驚き、早く自分のバレエ団の後継ぎとして譲りたいと考えるようになったのだ。
 周囲の騒ぎとは裏腹に奏吾は荒れていた。いくら技術を磨いても、日々自分の限界を感じて挫折を味うだけの生活を送っていたのだ。
 欧州では街をちょっと歩くだけで、自分より舞台映えする男たちとすれ違った。長い手足、長い首、その上に載った小さく立体的な頭。生まれつき外向きに開く脚や肩甲骨。そして圧倒的な背の高さ。だが、何より自分一代では如何ともし難いと、もがいているのが音感の差であった。
 極端に言えば、バレエとは「あちらさんのもの」であり、奏吾がどれほど回ろうが跳ぼうが、真似をしているに過ぎないのだ。
「出てくるだけで、立っているだけで、王子でなければならないよ」
 ディレクターはそう教えてくれたが、東洋人の自分がどう努力しても王子やロミオには見えるはずがない。
 ソリストとして重要な役を踊り、一定のファンにも恵まれた。また、そうした奏吾の努力をカンパニーの仲間は認め、尊敬もしてくれた。だが、潰えた心はもう元には戻らず、海外での活動に行き詰まった末、ついに帰国を決意したのだ。

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