小説

『グロキシニアの火』菊武加庫(『智恵子抄』)

「こちら中垣沙和子(なかがきさわこ)さん。妻の友人だ。渡欧前は僕もこの人と同じ国内のカンパニーで踊っていた。今も舞台に立っている。北原くんとは舞踊に対する考え方が近いというか、良い話し相手になるんじゃないかと思って同席してもらったんだ」
 初めて会う沙和子は華奢で小さな丸い顔が好ましかった。その小さく丸い顔を癖なのか、少しかしげながら話す。あまり饒舌ではなく語尾が消え入り、聞き取りにくいのが特徴だった。それでも芸術の話になると、こういった女性に会ったことがないというほど、目が野性的に光った。
「あなたはこのままずっと踊りを続けてゆくつもりですか」
 奏吾は聞いてみた。
「さあ……私の一生は私のものですから、自分で選んでいくだけです」
 今でこそこういった意思表示をする若い女性は珍しくなくなったが、当時自分より年齢も社会的地位も格段に上の男に対峙して、これほど明確に言葉を告げる女性は、奏吾にとって初めて出会う相手だった。
 しかも目の前の沙和子は伏し目がちで、消え入りそうな声しか発していないのだ。非常にか弱く、常識的な外見をしているが、想像できない強さを内包しているのではないかと興味を持った。
 それからしばらくして、突然沙和子が稽古場を訪ねて来た。スタジオの新築祝いと言って、グロキシニヤの大鉢を抱えている。大ぶりの紫の花がこんもりうつむきがちに開いている。紫の色は別珍のような光沢で、花弁の輪郭を描くように白く外側にいくにつれてぼかしが入っていた。一見おとなしい彼女が、遠く南米生まれの鮮やかな花を持って来たことこそ、後になってみれば沙和子の不安定さを物語っていたようにも奏吾には思えるのだ。
 二人が結婚に踏み切ったのはそれから三年もしてからだ。けれど入籍はせずに暮らした。芸術家として生きること、二人の愛情が確かであることだけが大事なのであって、籍など世俗的なものなどに縛られたくない、というのが奏吾の理屈だった。世間では偽装結婚じゃないか、売名行為ではないかなどと書き立てられたが、二人は俗的なのぞき見趣味などには一顧だにしなかった。
 夫婦は人間として同等である。役割分担などはせずに、二人で舞踊家として高めあっていこう、ぼくたちは芸術家なのだからと妻に語りかけ、沙和子も満足気に頷いた。
 奏吾の名は日増しに知れ渡り、彼の空中で止まるような跳躍を見るために多くの人が劇場を訪れるようになった。
 けれど所詮はそれ止まりだ。バレエを見る層は限られており、それは容易に拡大しそうにはなかった。その自称愛好家にしても、コンテンポラリーダンスにはそっぽを向くのだった。クラシックに比べると、まだ共通語になっていないのだと奏吾は悩んだ。批評家に褒められることはあっても、一般の客は理解できないものに金と時間を使おうとはしない。
 ダンサーとして、振付家として奏吾が有名になり、にもかかわらず貧困を極めていたころ、その貧しい部屋に沙和子は一人取り残された。
 北原奏吾の妻、現代的な新しい夫婦像を生きる女として興味を持たれることはあっても、彼女自身に大きな役がつくことはなかった。

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