小説

『グロキシニアの火』菊武加庫(『智恵子抄』)

「基礎は素晴らしいんだよね。でもそれ以上の色や広がりが見えてこないんだ」
 舞台監督は言いにくそうに呟いた。
 日ごとに自信をなくし、焦燥していく妻の様子を見かねて奏吾は突然切り出してみた。
「国際コンクールに出てみたらどうかな。先日一人で稽古しているのを見たんだ。あれは君の創作だよね。あれなら恥ずかしくない。思い切って出てみたらいい」
 沙和子は家事、雑務の合間に地下の稽古場で踊っている。日々倒れるほど自分を追い詰めていた。基礎はいいのだが個性に乏しいとされる自分の踊りを打開したいとあがいていた。奏吾には見せられない。彼とはあまりにも違う。でも地下で作り上げたものを日の当たる所に持って行けるとしたら……。
「いいのかしら」
「きっと大丈夫だよ。君にはまだ眠った才能がある」
 奏吾はおおらかに大地のように笑った。沙和子の愛した、ゆるぎない山や空を思わせる微笑だった。
 結局沙和子の踊りは海も空も渡ることが叶わなかった。国内の予選で消えて行ったのだ。叶わない理由は誰も教えてはくれない。ただゲートを通れなかった、それだけが知らされた。
 沙和子は踊ることをやめた。

 四十を過ぎると奏吾も舞台から遠ざかり、振り付けに専念することが増えた。
 だが彼の舞踊人生はここが岐路であり、ここからある意味花開いていくことになる。
 奏吾は沙和子との美しい物語を舞台の上に描き続けることにした。
 孤独な男、酒をあおり、毒虫に苛まれる哀れな男、そこに現れるグロキシニヤを抱えた女――。
 二人は逃げ、追いかけ、出会い密着し、戯れ、笑い、飛び跳ね時間を縮め、数日を一瞬に果たす。
 孤独な男の命が草木のように、木々のように複雑に伸びゆき、その源を女が浄化し見届けている。あるのは信仰と敬虔と自由。そして世間を蹂躙する。休むことをせず二人は伸びゆく。
 北原夫妻を思わせる新しいバレエは次々と大成功を収めた。

 
 そのさなか、沙和子は睡眠薬と安定剤を過剰に摂取して自殺未遂を図った。
 舞台は成功して、し続けているといってよかった。美しい夫婦の物語は次々と奏吾の頭に浮かび、三次元の舞台に再現された。演じるのは北原夫妻とは似ても似つかない若いダンサーである。
 踊ることも創ることもやめた沙和子は、今にも張り裂けんばかりの火のような芸術への欲求に苦しみ続けた。それを爆発させる術はもう彼女にはなかった。
 芸術家を支え続けるミューズとしての生活は貧しく、苦しく、そして安らげる場所すら与えてもらえなかった。代々地方の呉服商を営んできた裕福な実家に、頭を下げたのも一度や二度ではない。
 その実家が兄の放蕩のため倒産し破綻した。沙和子が袋の鼠になったことさえ奏吾は知りもしなかったのである。
 舞台の上では沙和子役の若いダンサーがミシンを踏み続けている。あらゆる装飾品を捨て、無地のセーターとズボンでミシンを踏む彼女は天然の美に満ちている。
 カタカタカタカタ……
 内職で家計を助ける沙和子は美しい。(これも創作なのだ)と胸を張る。
 カタカタカタカタ……

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