小説

『星になんてならなくていいのに』古村勇太(『よだかの星』『雨ニモマケズ』)

 母が私の髪を梳く。眼前には兄の遺影。葬儀も終わったばかりなのに、母は堰が切れたみたいに、一心不乱に髪を愛でる。
「本当にきれいな黒髪ね」
 うっとりとした母の声。これがいつもの私の日常。けれどもこれまでと違うのは、兄の醜く歪んだ顔が、この世にはもうないということだ。
「なんで死んじゃったんだろう」
 私は言ったか言わないか、小さく呟いてみる。「なにか言った?」と尋ねる母に、何でもないよと返事をする。
 遺影の兄は何も言わない。私はこの世にたった一人、置いていかれた気分だった。

 兄は電車に轢かれて死んだ。遺書がなかったというそれだけで、兄の死は事故として処理された。
私と兄はまるで正反対の見た目だった。自分で言うのも何だが私は、概ね美人で通っていた。母はそんな私のことを、お人形でも扱うかのごとく常に可愛がってきた。特に私の髪にはご執心で、真っ黒な髪を腰に届くかというくらいまで長く伸ばすよう、強く言い含めてきた。
 対する兄は、生まれた時から顔がひどく醜かった。何か理由があるでもなく、ただただ醜い見た目だった。裂けたように引きつった唇、お味噌でも塗りたくったかのような肌。近所の子らからは妖怪だと言われ、こちらから説明でもしない限りは私たちを兄妹だなんて思う人は誰一人いなかった。母も兄を気味悪がってか、常に冷たく当たっていた。
 そんな兄だが、本当はとても優しい性格だったのだ。巣から落ちた小鳥を見つけた時に、こっそり家に持ち帰って手当をしていたこともある。「本当は拾っちゃ駄目なんだよ」なんて私に言いながら、甲斐甲斐しく世話をしていたのは兄の方だ。
 けれども兄の介抱も空しく、小鳥は結局死んでしまった。私は残念だったなと思っただけだが、兄は本当に泣いていた。涙をぽろぽろ流しながら小鳥を埋める兄の姿を覚えている。
私なんかよりもっとずっと、兄には綺麗な心があった。

「やっぱりない」
兄の本棚から、兄のお気に入りだった本が一冊なくなっていることに気が付いた。机も、ベッドの下も、鞄の中も、どこを探しても見つからない。
「何をしているの」
 部屋の戸口に、寝間着姿の母が立っていた。
「母さん、本棚の本触った?」
 私は期待せずに聞いてみたが、母からは「知らないわ」という返事が来た。
「近いうちに業者に全部回収してもらうから、探し物なら早めに済ましときなさい」
「全部?」
「そう、全部よ」
 母はきょとんとしながら答えた。そんな話は寝耳に水だが、母にとってはただの不用品でしかないのだろう。
「今日は遅いからもう寝なさい。ほら、おいで」
 母はいつも通り、私の額にキスをしておやすみの挨拶をし、寝室へと入っていった。

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