ズフィスは、王城の門を警備する警吏の一人だ。国で最も重要な人物が住まう城を守るため、不届き者がいないか一日中その目を光らせるのが仕事である。大きなこの街ではたくさんの人々が行き交い、中には良からぬことを企む輩も紛れ込む。そのような悪人が王城に近付くのを防ぐため、ズフィスは王の城を警護するのであった。
しかし、それは今から少し前の話だ。二年前、国王ディオニスの人柄が急に変貌したのだ。賢く、常に国民のためを思っていたはずの王が、「わしは、人を信ずる事が出来ぬ」と言い、妹婿のコギフを殺したのだ。彼は悪心を抱いていたと王は主張したが、誰もその話を信じられなかった。穏やかで人の良いコギフに裏の顔があるなど、想像もつかなかった。
それから、王の気が触れたような命令が続いた。コギフの後には、王がとても可愛がっていた自身の世継ぎを。それから、実の妹を。それから、妹の子を。それから、皇后を。それから、賢臣のアキレスの命を奪ったのだ。国中が大混乱に陥り、初め国民は王が乱心したのかと心配した。だが、やがて人々はその考えを捨てざるを得なかった。王は臣下の心をも疑い、少しばかり派手な暮らしをしている者には、人質を一人ずつ差し出すように命じた。臣下がそれを拒むと、たちまち十字架にかけられ、殺されることとなったのだ。
王の暴虐極まるその行為により、国全体に重苦しい雰囲気が蔓延した。毎夜賑やかだった広場は静まり返り、活気に溢れていた市場には人っ子一人いなくなった。瞬く間にそれは広がり、国民は皆王の怒りに触れることを何より恐れた。彼らは恐怖を押し殺してひっそりと毎日を生き、楽しかったかつての日々に儚い思いを寄せるのであった。
ズフィスも、そんな一人だ。昔は城の前に広がる街並みを眺め、風に運ばれてくる楽しそうな雰囲気に心を躍らせていたものだが、今感じられるものといえば寂寥と哀愁の香りだけだ。苦く重い感情がじわじわと心を蝕んでゆくのを感じ、ズフィスは頭を振ってその考えを振り払った。
すると、共に門を警備している隣の男が心配そうにズフィスの顔を見た。
「どうした、ズフィス」
彼の名前はギテリオスだ。ギテリオスは、四年前からズフィスと共に警吏の仕事をしている男である。歳は幾つか下だが、精悍な顔つきとがっしりした身体を持つ、頼れる同僚だ。二人とも気が合うため、何度か一緒に酒を飲んだこともある。ギテリオスは同僚であると同時に、ズフィスが心を許せる、数少ない友人の一人だった。
「いや、何でもない。ただ、少し昔のことを思い出しただけのこと」
ズフィスがそう言うと、ギテリオスの顔が曇った。
「過去の思い出に縋るなとは言わんが、執着し続けるのはやめたほうがいい、ズフィス。もうこの国は、あの頃には戻れないのだ。未練は捨て、早くこの状況に慣れるようにしなければ。俺は家庭を持たないが、お前には妻子があるだろう、ズフィス」
ズフィスは、苦笑しながら頭を切り替えた。すっかり日も落ち、辺りは暗くなっている。通り魔や盗人が跋扈する時間帯だが、今のこの国にそんな奴はいない。悪人でさえも、暴君ディオニスに見つかることを恐れて息を潜めているのであった。