「そうだ、ズフィス。今日はお前が家へ帰る日ではなかったか」
ギテリオスが不意にそう言い、ズフィスは驚いて目を見開いた。
「そうだった、今日は俺が帰る日だったな」
警吏達は、普段城で寝泊まりをしている。有事の際、いつでも駆けつけられるようにという理由からだ。そして、彼らは一ヶ月に一度だけ、家へ帰ることが許されている。ズフィスには妻と三人の子供がおり、帰宅することは彼にとって一ヶ月に一度の楽しみだった。
「ならば、急いだ方がいい。あと少ししたら、完全に暗くなるだろう。早く部屋へ戻って荷物をまとめろ」
ズフィスは頷き、片手を軽く挙げて友に別れの挨拶をした。
「わかった、ありがとう。ではギテリオス、明後日の朝にまた会おう」
「ああ。また会おう、ズフィス。ゆっくり身体を休めるんだぞ」
ギテリオスも片手を挙げ、ズフィスは鎧を鳴らしながら門を潜り、警吏が寝泊まりしている宿泊棟へ歩いて行った。
ズフィスが荷物をまとめて城を出発しようとしていると、どこか慌ただしい雰囲気が城内に漂い始めていた。使用人や警吏の顔には、不安と僅かな好奇心の色が見え隠れしている。どこか胸騒ぎがしたズフィスは、門へ直行しようとした足の方向を変え、ギテリオスを探して城内を歩き回った。
「ズフィス!」
ギテリオスの声が聞こえてきて、ズフィスはつい数分前に別れを告げた同僚の元へ駆け寄っていった。
「どうしたんだ、ギテリオス。何かあったのか?」
「次の警備当番の奴と門を警護していたら、突然ある男がやってきたのだ。そやつは懐に短剣を隠し持っていて、正門から堂々と入ってきた。いかにも怪しく、本人は王の命を奪うつもりだったとのたまうので、すぐに王のところへ引っ立てた」
「何、懐から短剣だと!あの王にそこまでのことをするとは、肝が座っている男だ」
ズフィスは、感心と呆れを同時に感じた。だが、ギテリオスの顔はかなり深刻な様子である。
「当然、その男は即座に処刑されるものだと思っていた。現に今日も、六人が殺されてしまったからな。しかし、男は異様な提案を持ちかけてきた」
「異様な提案?」
「そうだ。その男には妹がおり、近々妹の結婚式が執り行われるらしい。男は遠方の村からこの市へやってきたらしく、死ぬ前にせめてその様子だけは見届けたいと王に頼み込んだのだ」
ギテリオスがそう言うと、ズフィスは眉根に皺を寄せて考え込んだ。
「だが、そんなことをしても無駄だろう?王は絶対に男を処刑するに決まっている」
「そうだ。王はその男を処刑することに決めたが、男が望んだ通り、処刑を執行する時間を三日後に引き延ばしたのだ」
「引き延ばす?何故だ?」
「与えられた三日間の猶予のうちに、必ず男は妹に結婚式を挙げさせると約束したのだ。そうすれば、自分は満足して死ねると言ったのだ」
辺りはすっかり闇色に染まり、二人が話し込んでいる場所にも夜の足音がひたひたと忍び寄っていた。
壁に取り付けられたランプに、使用人が一つ一つ火を付けていった。赤く燃える炎の明かりが、不可解そうなズフィスの顔をゆらゆらと照らす。