小説

『走れメロス 警吏の願い』大和美宇(『走れメロス』)

 城へ一歩入った瞬間、ズフィスは城全体に漂う緊張感を感じ取った。皆どこか落ち着きがなく、しきりに時間を気にしているようである。
 「ズフィス!おはよう、二日ぶりだな」
 ズフィスは、こちらに向かって歩いてきたギテリオスに、メロスについて尋ねた。
 「うむ。メロスの友人であるセリヌンティウスは非常に心が広く、寛大な男だった。あの夜メロスから一切の事情を聞くと、無条件で友を信じる道を選んだのだ。抵抗せず、今も地下牢に拘束されているところだ」
 「そうだったのか。メロスは帰って来るのだろうか?」
 「俺にはわからない。お前はどう思う?」
 「俺も、正直なところよくわからない」
 二人は揃って嘆息し、静かに門へ向かって足を進め、仕事とは到底呼べぬ仕事をただ粛々とこなすのみであった。
 昼食の時間になると、ズフィスはこっそりと食堂へ向かう人々の流れから抜け出し、セリヌンティウスが囚われている地下牢へと向かった。
 ただの好奇心から、セリヌンティウスの様子を覘きに行くのではない。何故か、切羽詰まった危機感が先程からずっとズフィスの胸を締め付けているのだ。このままではきっと、恐ろしく酷いことが起こってしまうという予感。その正体を確かめるべく、セリヌンティウスの様子が気にかかったのだ。
 空模様が段々と怪しくなり始め、ズフィスの心も焦りを覚え始める。今日、メロスはこの城へ戻って来るのだろうか。王の人を疑う心は、どうなるのだろうか。
 そのとき、不意に横からズフィスを呼ぶ声が聞こえてきた。
 「ズフィス!どこへいたのだ、散々探し回ったのだぞ」
 「………すみません、警吏長。少し野暮用がありまして」
 ズフィスを呼んだのは、彼の上司にあたる警吏長であった。立派な口髭を撫でつつ、警吏長は重々しい口調でズフィスに話しかけて来る。
 「今日の日暮れに、地下牢に囚われている身代わりの青年が処刑されることは知っているな」
 「はい。名はセリヌンティウスというそうですが、処刑されるのはメロスという男なのでは?」
 「うむ。表向きはそうなっているが、王は友人を処刑するつもりでいらっしゃる」
 苦味がズフィスの口の中に広がった。それを固い唾と共に飲み下し、ズフィスは問いかける。
 「そうなのですか。しかし、何故私を呼んだのですか」
 「お前が今日、メロス或いはその友人を殺す役割を担うことになるからだ」
 その言葉を聞いた瞬間、ズフィスは目の前が一気に暗くなるのがわかった。いつのまにか雨が降り始め、ズフィスの肌に嫌な湿気がじとりと張り付く。
 警吏長は、手短にズフィスに事情を伝えた。二人しかいない刑吏の片方が腕を折ってしまってまともに仕事ができなくなり、代わりの者が必要だと王に伝えたところ、一番最近に休みを取った者にやらせろと命令されたらしい。
 「俺も、申し訳ないと思っている。別にお前は悪くないのだ、ズフィス。不幸な偶然だ」
 警吏長が、気まずそうに頭を下げる。
 偶然だと、とズフィスは怒りを感じながら思った。

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