『鬼』いいじま修次(『金太郎』『桃太郎』)
太陽の光が眩しい海。 先輩は砂浜で寝転び、後輩は上司の向かって行った方向を落ち着かない様子で見ていた。 「先輩……私、様子を見て来ますよ。戻って来るのがちょっと遅いですよね……」 「いいよ、ほっとけば。上手く行かなか […]
『こんがらがった線』いいじま修次(『金色の糸と虹』)
最初の『こんがらがった』は、彼が少年の時―― それは、テレビ台の中にあった。 イヤホンのコードがクシャクシャに絡まっているのを見た彼は、何となくそれをほどき、何となく床に伸ばした。 一本の線になったコード――なぜ […]
『隣の惑星』夏川冬人(『静かな湖畔』)
泉は遠く向こう側まで見渡している。眼前には低い山の裾野が広がり、泉の際には黄色い花が並んで咲いていた。水面に向かい時折鳥が飛来しては羽を洗い、水の中では魚が草の根をつついていた。泉の周りは芝生が続き、芝生と泉の切れ目に […]
『レモン味の』斉藤高谷(『檸檬』)
ついにやってしまった。 これまで何度も進もうとしては思いとどまり、躊躇したことを後悔しては「次こそは」と腹をくくって、また同じことを繰り返してきた。果てのない円の中をぐるぐると、何度も何度も何度も巡ってきた。 だが […]
『ベッドの上の攻防』のらすけ(『ヤマタノオロチ』)
「あなた、本当に大丈夫?」 妻の心配そうな目。なぜ、そこまで心配するのか。もちろん、俺も全く不安がないと言えば嘘になる。だが、出来ないことはないはずだ。俺にだってプライドはある。 「大丈夫だよ。問題ないさ」 俺は […]
『ゼペット爺さん殺人事件』五条紀夫(『ピノッキオの冒険』)
東京郊外の民家にて一人の老人が殺害された。就寝中に鋭い凶器で胸を一突きされたことによる失血死だった。室内に荒らされた様子はなく、怨恨による犯行との見方が強い。しかし犯人を示す物証は何もなかった。唯一の手掛かりは一人の、 […]
『この世でいちばん』霜月透子(『白雪姫』)
芝生の緑が鮮やかな公園は、家族連れで賑わっている。私は木陰に広げたレジャーシートに腰を下ろした。太い幹に背を預けると、心なしかひんやりとした。 「ママー。取ってー」 娘の声と同時に赤いゴムボールが転がってきた。 拾 […]
『小さな世界の姫と太郎』春野萌(『浦島太郎』『かぐや姫』)
ピロン、と机の上のスマホが鳴る。今中高生に人気のSNSアプリ「玉手箱」がメッセージを受信した音だ。 「from:愛都(おと)」の文字にカッと込み上げてくるものがあった。急いでスマホの電源を切り、手元にあった本を開いて […]
『ある山月記 変わらない二人』立原夏冬(『山月記』)
夜明け前、薄く月明りが照らす竹林の中で、袁傪はかつての友である李徴と向き合っていた。突然姿を消したという噂は聞いていたが、まさか、こんな形で再会するとは思わなかった。李徴は悲しげな眼で袁傪の顔を見つめ、嘆きを込めた声で […]
『恋人がゾンビになってしまったら』乘金顕斗(『山月記』)
もし恋人がゾンビになってしまったら、なんて想像、したことなかったけれど、修ちゃんがゾンビになってしまった今、改めて想像してみるとして、それならもっとこう、なんていうかな、それっぽい感じがあったんじゃないかと、部屋の中を […]
『自尊の果て』川瀬えいみ(『山月記』)
『才能はあったはずなんだ。なかったはずがない』 それが李徴の口癖だった。 とはいえ、それは人間の声と言葉で作られるものではない。虎になって三年。李徴は既に人語を発することができなくなっていた。 李徴に詩人としての才 […]
『弓を捨てた狩人太郎』橘成季(『古今著聞集』)
昔、昔、大昔のこと。 信濃の国の大岡村に、太郎という若者がいた。 山での狩りが得意で、筋骨たくましく、どんな大弓でもきりきりと引いて矢を放ち、走れば風のように、一日十里(約四十キロ)の山路を踏み越えた。 山鳥、野 […]
『八歳の親孝行』戸佐淳史(『親孝行息子』)
八月、夕方。時刻はまだ午後六時。 去年から会社で係長に昇格したが、仕事の忙しさはちっとも変わらない。いつも帰りは八時を過ぎるが、今日は大きなプロジェクトが片付いた後で、珍しく早く帰れた。 久しぶりに仕事帰りに寄り道 […]
『土曜日の女神』ふるやりん(『金の斧、銀の斧』)
呆けている僕に彼女はしっかりとそれらを握らせてから、じゃあね。と微笑み、踵を返す。去りゆく後ろ姿までもが美しいと正直に思った。いや。それは正確に言えば、去りゆく。ではなく、沈みゆく後ろ姿だった。 「ちょっと! 待ってく […]
『恋のかたみ』和織(『春の夜』)
幸田直美はその日、とても疲れていた。看護師という職業に対応できなかった自分が情けなくて、忘れたいことしか持ち合わせていない、昨日も今日も明日も区別のつかなくなった自分に、心底がっかりしていた。何もできなかった、そう思い […]
『本懐』紫冬未秋(『雉も鳴かずば撃たれまい』)
「こんなの、もう—」 今日も善い行いをした。図書室で本を取ろうとしている身長の低い男子生徒に本を取って渡してあげた。とても細やかな行為だったが、恥ずかしそうに「ありがとうございます」と感謝して立ち去る彼を見送るのは、気 […]
『知らすが仏』山賀忠行(『蜘蛛の糸』)
健三は地獄の血の池の底で漂いながらはるか遠くの天に続く小さな穴を見上げていた。その穴は地獄の暗闇に天からの一筋の光を恵んでいる。 穴の向こうはどんなところなのだろうか、行ってみたいものだ…… 毎日のように想像しては […]
『夢十六夜』夏藤涼太(『夢十夜』『第一夜』)
――ねぇ。海岸をずーっと歩き続けると、どこに着くと思う? ――え? 海岸は無限に続いてるんだから……いつかは元の場所に戻ってきちゃうんじゃないの? もちろん、そんなことはできないと思うけど…… ――そうだね。海岸線 […]
『箱』平大典(『浦島太郎』)
「何が不満というのだ、ヒラメ」 亀はのんびりとした様子で告げてきた。 竜宮城の城壁外。午後の水中には、柔い光が差し込み、ほかの生き物の気配はない。 「あんたが連れてきた地上人だ」 俺は、気弱な亀を睨みつける。 「浦 […]
『幸せなオオカミ』福間桃(『赤ずきん』)
オオカミに生まれて嬉しかったことなど、一度もなかった。 仲間と比べればノロマで、血の気も少なく、狩りも下手な私は、「オオカミらしくない」と仲間にしばしば言われては見下され、異端だと距離を置かれた。悔しさはない。自分で […]
『森の香りの人』小山ラム子(『檸檬』)
ころん、と。 目の前を透明な瓶が転がっていく。反射的にそれを拾って、拾ったからには落とし主に届けなきゃなあと思い耳につめたイヤホンを片方とりつつ前を行く女性を追いかける。 「あの、すみません」 道行く人と挨拶をした […]
『鼓動』ウダ・タマキ(『姥捨て山』)
亜津沙は優汰の背中に耳をあて、彼の体の奥深くに鼓動が激しく打つのを感じていた。思い出すのは今から六十年前。一人息子の優汰が産まれてすぐ、彼の胸に耳を当て、聞いた小さな生命の鼓動。 冷たい風が勢いよく山肌を滑り降りてく […]
『犬を一匹』樋渡玖(『花咲か爺さん』)
ああ、警察の方ですか。今回の事件についてお話聞きたいと。 はい、はい、もちろんです。どうぞ中へ。長年隣人としてあの老夫婦とはやってきましたからね。今回の事件が起きるまでの経緯からお話しします。 そうですね………どこ […]
『もしわたしがいなくなったら』立原夏冬(『雨月物語』より「浅茅が宿」)
真一は助手席の窓から街を眺めた。日中だというのに、歩いている人はまばらにしかいない。昨年から続く新種の感染症の流行で、不要不急の外出自粛要請が出ているからだろう。街を歩いている人も、ほとんど全員がマスクをつけている。い […]
『ロングロングステイステイスイートホーム』もりまりこ(『シンデレラ』)
あれのせいじゃないことはわかってる。みんなが閉じこもっていいよって言われるずっと前から僕はずっとこうだった。 なんにもなかったかのようにみえる一日でもきっとなんかはあったはずなのだ。それを思い出してごらんってカウンセ […]
『夏の雪を買いに』若松慶一(『手袋を買いに』)
「お母ちゃん、雨が降ってないのに、雨の音がするよ。不思議だよ。大雨だよ」 子狐は驚いた顏で寝ていた母さん狐のもとに駆け寄り、母さん狐の体を揺さぶりました。 母さん狐は眠い目をこすりながら子狐のふわふわの柔らかな手に引 […]
『河童の川野君』裏木戸夕暮(『河童』)
「川野の奴、また見学しよる」 言葉につられて私は振り返った。プールサイドの屋根の下に青白い顔の男の子が座っている。言ったのはクラスの男子の中でも一番腕白な小木坂だ。 五年生の夏には遠泳大会が行われる。その練習で私たち […]
『おにぎりのむすび』前田倫兵(『おむすびころりん』)
おむすび。握り方ひとつ、具ひとつで無限のバリエーションが生まれる。 今、とある男たちが挑戦を始めた。 「では、『究極のおにぎり選手権』ここに開催します」 野村大地は友人二人を自宅に集め、目を輝かせていた。六畳一間の […]
『金の生る木を植えた男』紀野誠(『木を植えた男』)
最近やたら羽振りの良い友人から家へ招かれた。何か自慢したい物があるらしい。 到着すると驚いた。友人宅は改築され庭に池が掘られていた。駐車場には外車まで停めてあった。邸内には高価な絵画が掛けてある。シャンデリアや芸術的 […]
『年金生活のすすめ』千田義行(『パンドラの箱の物語~ギリシア神話より~』)
4年の介護の末、母が死んだ。 親ひとり子ひとりでひとり息子を育てあげた母は、私が15才で家を出たあとも再婚もせずひとりを貫いた。別れた父を想っていた筈はなく、むしろ(私も含めて)男にうんざりしたというのが実情だろう。 […]