小説

『ある山月記 変わらない二人』立原夏冬(『山月記』)

 夜明け前、薄く月明りが照らす竹林の中で、袁傪はかつての友である李徴と向き合っていた。突然姿を消したという噂は聞いていたが、まさか、こんな形で再会するとは思わなかった。李徴は悲しげな眼で袁傪の顔を見つめ、嘆きを込めた声で言った。
「袁傪、実際にその目で見ても、信じられないのも無理はない。平坦な君の人生の中でも、一番の驚きだろう。僕の姿を見ろ。この通り、僕は虎になってしまった。僕のあさましい心が僕をこんな姿にしたんだ。」
 そう言うと、李徴は自らの姿を見せつけるように、その場で回ってみせた。呆然とした表情で李徴の姿を見つめる袁傪の胸の中には、一つの思いがこみ上げていた。

(こいつ、頭がおかしくなったのか。)
 袁傪の目の前で、李徴は自らが虎になった経緯を滔々と語り続けている。しかし、袁傪の目に映るのは、両の手を軽く握って猫の手をつくり、それをやたらくねくねと動かしながら喋り続ける痩せぎすの中年男性である。かつて若かりし頃、都で共に役人として働いていた時と比べて少し老けはしたものの、顔立ちも体形もほとんど変わっていない。袁傪を前にして、話し続ける李徴の姿は、どう見ても虎ではなく、ただのおじさんであった。
 (詩人を目指して官を辞した後、芽が出ず困窮しているという噂は聞いていたが…。きっと相当苦労したのだろう。どうやら、李徴は本気で自分が虎になったと思い込んでしまっているらしい。真実は教えなきゃならないが、いきなり現実を突きつけるのも酷だろう。まずは、やんわりと伝えてみよう。)

 袁傪は李徴に向き直ると、笑みを浮かべながら言った。
「やあ、李徴。こうして会うのは十年ぶりか。いやあ、懐かしいな。それにしても、お前も良く俺のことが分かったな。この十年で俺もこんなに変わっちまった。ほら、見てみろよ。」
 そう言って、袁傪は丸まると突き出た自らのお腹をさすった。
「こんなに大きくなっちまってな、見た目も随分変わっちまったよ。俺に比べて、お前は、そのう…、あまり変わったようには見えないがなあ。」
 李徴はにこりともせず答える。
「気休めはいい、袁傪。今の自分の姿のおぞましさは僕自身が一番わかっている。この醜い獣の姿、これは僕の心を映しているんだ。その意味では、昔と変わっていないとも言えるのかもしれないけどね。」
「いや、李徴、そういう意味じゃなくて…」
 訂正しようとする袁傪の言葉を、李徴は猫の手を突き出し遮った。
「いや、みなまで言わなくていい。君は本当に優しい男だ。そんな君だからこそ、僕のような心の中に獣を飼っている人間とも仲良くしてくれたんだろう。ううっ!」
 急に李徴が下を向き、両手を振り回しだした。

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