亜津沙は優汰の背中に耳をあて、彼の体の奥深くに鼓動が激しく打つのを感じていた。思い出すのは今から六十年前。一人息子の優汰が産まれてすぐ、彼の胸に耳を当て、聞いた小さな生命の鼓動。
冷たい風が勢いよく山肌を滑り降りてくる。亜津沙の髪が大きく後ろに靡いた。遮るものは何もない。荒れた山道が、ただひたすら頂へと続いている。
あの泣き虫だった子が、こんなにも立派に逞しくなったものだと、亜津沙はその背中に我が身を委ね感慨にふけっていた。一歩一歩、彼が確実に踏みしめるその力強い衝撃を頬に感じながら、随分と高くまでやって来たものだと、山の斜面に張りつく霧をぼうっと眺めた。まるで、雲海のよう。もしかして、私は天の国へと導かれているのかもしれない、亜津沙はそんなことを考えていた。
しかし、それはあながち間違いではなかった。
2120年、日本。この国では平均寿命が男女ともに110歳を超え、高齢化率は32%となった。つまり、国民の3人に1人が高齢者という計算になる。高齢者と言っても、以前のように65歳以上をその対象とするのではなく、30年前から80歳以上が高齢者の定義とされるようになった。そして、ほとんどの企業においても定年退職を80歳とし、大学卒業後の約60年に渡り働き続けるのが当たり前の時代である。
しかしながら、寿命こそ長くなれど、80歳を迎えようとする者たちが活発に動けるかと言えばそうではない。高齢者の定義を変えることで生産年齢人口を増やし、そして年金受給年齢を引き上げ、ひいては若者の負担軽減に繋げるというのが国の狙いである。(国の財源を圧迫する社会保障費の削減が真の目的であるが)
そのような状況を踏まえ、2119年に施行されたのが棄(き)老法(ろうほう)だった。読んで字の如く、老人を棄てることを許可した法律である。もちろん、闇雲にそれを行うことは処罰の対象となる。一定条件を満たし、市町村長の許可を得ることが必要である。
条件は以下の通り。
1.対象者は認知症に罹患し、その疾患に起因して喜怒哀楽が適切に表現できぬ者
2.申請者は各自治体によって定められた姥捨て山に対象者を背負い、自力で登頂できること
たった、この2つを満たせば老人を棄てることが許されてしまう。簡便ではあるが、それ以上に恐ろしい。
棄老法が施行されてから1年が経つ。法が成立する以前は、虐待や生命の冒涜、殺人などと国民の怒りは爆発し、人権擁護団体や反対者による大規模なデモ、時には暴動に近い事態を招くこともあった。しかし、今となっては申請する者は後を経たず、審査、認定待ちが数年に及ぶことも決して珍しくはない。