小説

『鼓動』ウダ・タマキ(『姥捨て山』)

 亜津沙は優汰の幼い頃を思い出していた。

 優汰は父親譲りの負けず嫌いな性格で、何をするにも上手くやり遂げるまで何度も繰り返し努力する子だった。泣くことが多かったのは、悔しがることが多かった故のこと。その負けん気の強さが勉強に向けば良かったが、残念ながら学業は中の下くらいだった。それでも、遊びや運動に一生懸命だったおかげで、病気知らずの健康な体に恵まれた。

「優汰、ちょっと休みましょう。母さん、腰が痛くなってきたの」

 黙って腰を下ろした優汰は、一つ大きく息を吐き、空を仰いだ。優汰の体からぼんやりと白い湯気が立ち上る。寒いはずだが寒さを感じない。亜津沙はむしろ清々しさを覚えていた。
 こんなことなら弁当でも拵えてこれば良かったと、亜津沙は悔やんだ。悪天候で見晴らしこそ悪いが、空気が澄んで美味しい。何より優汰と二人で遠出するなど、いつぶりだろうか。

「さぁ、急ごう」

 そんな亜津沙の気持ちなど知る由もない優汰は、再び亜津沙を背負うと右足を強く踏み締め「よしっ」と気合いと共に立ち上がった。その衝撃で小さな石ころが山肌を勢いよく転がり落ちた。
「もうちょっとゆっくりすればいいのに」
 亜津沙の声を聞き流すようにして、優汰は何も言わず山を登り始める。
 いよいよ中腹付近までやって来た。しかし、まだ半分である。この日のために数ヶ月前から足の筋力を鍛えてきた優汰だったが、姥捨て山に登るには想像以上の苦労があった。
 亜津沙にも優汰の足取りが次第に重くなっているのが分かった。それでも歩みを止めることなく進む彼の姿に、亜津沙の目に涙が滲んだ。
「無理しないでね。もう、山を降りてもいいんじゃない?」
「大丈夫さ」
 優汰は白い息と一緒に言葉を吐き出した。温かい息が亜津沙の顔にかかった。
 一人息子の優汰が巣立ち、夫と二人で暮らしていた亜津沙だったが、3年前に夫が先立つと、その後は一人で生活を送るようになった。当初は何不自由なく暮らしていたが、90歳を迎えた頃から軽度の認知症が見られるようになり、日常生活に支障をきたし始めた。
 優汰は亜津沙の介護のため、仕事をリタイアした。それは、この国で100年以上に渡り課題となっている介護離職というものである。家族が介護を担うことが難しくなり、社会全体で高齢者を支える仕組みの介護保険法が施行されて120年が経つ。しかし、介護の仕事は過酷な労働環境に反して待遇が悪く、現場では慢性的な人材不足が続き、結局は家族が介護せざるを得ない状況から脱却できていないのが現状である。
 優汰にとって、母との別れが決して辛くない訳ではない。職を失い、そして収入が途絶えた今、貯蓄を取り崩して生活を繋ぐ生活は近いうちに行き詰まってしまう。このままでは親子共倒れになり兼ねなかった。

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