小説

『土曜日の女神』ふるやりん(『金の斧、銀の斧』)

 呆けている僕に彼女はしっかりとそれらを握らせてから、じゃあね。と微笑み、踵を返す。去りゆく後ろ姿までもが美しいと正直に思った。いや。それは正確に言えば、去りゆく。ではなく、沈みゆく後ろ姿だった。
「ちょっと! 待ってくだ……さい」
 言い終える頃には彼女の姿は完全に見えなくなっていて、水面には波紋一つなく、鏡のように僕の間の抜けた顔を写すだけだった。

 翌週、僕はまたここに来ていた。さんざんと考えあぐねた結果、最近購入したワイヤレスイヤホンを投げ入れた。また会える保証はない。だけど、無くしてもどうってことないものだと、それこそ出てきてくれないのではないかと思い選定したものだった。
 イヤホンが落ちたあたりに波紋ができ、それは徐々に止むどころかどんどん大きく波打ち始めた。そして白い光が放たれた時、僕の会いたかった彼女が姿を現したのだ。
「あなたが落としたのはこの……あれ? ちょっと、また君じゃないの」
「すいません! どうも、こんにちは!」
 あまりの彼女の輝きに、僕は目も合わせられない。比喩ではなくて、本当に水面からの脚光が眩しいのだ。
「なに、君。おっちょこちょい?」
「そうかもしれないです!」
 彼女が完全に姿を現したことで、ようやく脚光は落ち着いた。僕は慌てて彼女に目を向けると、やはりこの世のものとは思えないほどの美しさだった。というかこの世のものではない。彼女は女神様なのだから。
 女神様をこの目に焼き付けようと瞬きを最小限にし、精一杯瞼を持ち上げる滑稽な僕の顔に対し、彼女は少しむくれていた。
「んもう。2連チャン同じ人間なんてはじめて。気をつけなさいよね」
 そう言って女神様は目を細めたが、それすらも僕にとっては愛おしかった。
「で、どれ?」
 続けて女神様が言ったことに対して僕は、はい? と首をかしげた。すると彼女は大袈裟にため息をつく。
「だから、金か銀か普通のかでしょ。この前やったじゃん、おんなじことを!」
 語尾を荒げて苛立ちを隠さない女神様に、最初とは大きく違う印象を受けたが、なんだか親近感があって僕はこっちも好きだった。
 僕は女神様ともっと話をしたい。だから彼女の質問に対してはしばらく口を紡ぐことにした。
「あのー。せっかくなんで少しだけお話、しません?」
「……はあ?」
 女神様は初めこそ面倒くさがっていたものの、少しずつ僕との会話に興味を持ってくれていったようで、心を開いてリラックスしたのか、終いには水面の上で寝そべりながら談笑していた。

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