小説

『土曜日の女神』ふるやりん(『金の斧、銀の斧』)

 特に女神様は、美大生の僕が描く絵について興味を惹かれていたようだった。風景画のテーマ素材を探しにこの辺りまで来ていたこと、だから先週落としたのが鉛筆だったことにも合点がいったようで、なるほど。と彼女は手を鳴らしていた。
 そろそろ日没を迎えようとしていたため、名残惜しいが僕は質問に答えた。
「僕は、普通のイヤホンを落としました」
「卑しいねえ。こんなのが金でも銀でもしょうがないでしょうに」
「ダメでしょ、そんな身も蓋もないこと女神様が言っちゃ。それに僕、自分のやつを返して欲しいだけなんで」
「返してほしいもおかしいから! 自分で落としといて」
 二人で顔を見合わせて、確かにそうだ。と笑った。僕は自分のイヤホンだけを受け取って女神様と別れた。

 翌週、女神様が興味を示していた、僕の絵を投げ入れた。水に浸けるのが少し怖かったが、それでも彼女には出来の良いものを見てもらいたかったので、3番目に自信のある作品にした。例によって水面が光り出す。
「やっぱり。絵を落とすなんて君しかいないと思った」
 眩しさで僕が目を開けられていないうちに彼女はすぐに僕だと言い当てた。
「はい! 僕の絵見てもらおうと思って」
 女神様は呆れたように肩を落とした。
「それは嬉しいけど、別に落とさなくてもじゃない? 出てきてから見せてくれれば良いんだし」
「……たしかに!」
「やっぱおっちょこちょいだ」
 女神様は僕を指差して、今度はケタケタと笑う。僕も自然と口元が綻ぶ。彼女のいろんな表情が見れて嬉しいのだ。
 改めて僕の絵を鑑賞する女神様は、感嘆のため息をついた。そしてあまりにも、うまいうまい。と連呼するので嬉しさと恥ずかしさが混同して、僕はまた情けない表情になっているのだろう。
「でも、自然の絵じゃないんだね」
「だってほら、女神様は毎日こんな綺麗な自然に囲まれてるじゃないですか」
 僕が女神様に見せたのはネオンが光り、ビル群がそびえる都会的な街の絵「夜の街」というタイトルのものだった。
 それもそうね。と笑った女神様だったが、途端に彼女は目を細めながら僕の絵を眺めて呟く。
「ふうん。人間の世界ってこんなにキレイなんだ……」
 ふと、僕はあることが気にかかって女神様に尋ねた。
「そいえば女神様? なんで今回は金も銀も持ってないんですか?」
 すると女神様は目を丸めて僕を見やった。
「なに言ってんの。そんなの持って来れるわけないじゃないの」
「え、なんでです?」
「だってさ、この絵を金ピカとか銀ピカにしたところで、それってほんとにこの絵よりも良いものなの?」
 確かにその通りだった。街灯や蛍光看板、ビル灯りの彩色を深い夜の背景に、幻想さを演出させながら溶け込ませるのに僕がどれだけ苦労したことか。それを金や銀一色に塗りつぶすなんて、それは最早嫌がらせてしかない。
 質問に対しては、何も落としてない。そう答えた。

1 2 3 4 5