小説

『河童の川野君』裏木戸夕暮(『河童』)

「川野の奴、また見学しよる」
 言葉につられて私は振り返った。プールサイドの屋根の下に青白い顔の男の子が座っている。言ったのはクラスの男子の中でも一番腕白な小木坂だ。
 五年生の夏には遠泳大会が行われる。その練習で私たちは25メートルプールを何度も往復していた。女子と男子はレーンが分かれていて、私が疲れて立った時に隣のレーンの男子も立った。それが小木坂だった。
「俺去年も同じクラスだったけど、いつも見学。泳げないんじゃね?」
 別の男子も泳ぎを止めて言葉を足す。三人の視線を受けて川野君は目を逸らせた。
 固まって立っていたので目に付いたのだろう。
「そこー、休憩はいいけどおしゃべりするなー」
 ピピッという笛の音と先生の声が飛んできた。私たちは小石を投げられたメダカのように慌てて泳ぎ始めた。

 うちの小学校の湾を横断する遠泳大会は地域の名物で、毎年テレビカメラも取材に来る。直線距離でおよそ4キロ。先生や保護者がボートに乗って見守る中、波に体を預けながら対岸の海水浴場を目指す。五年生になると全員泳げる距離を測定され、一定のラインを超えないと大会に参加出来ない。
 川野君は三年生の時に転入して来た大人しい男の子だ。一歩間違えばいじめられっ子になりそうだけど、不穏な空気を察するとスッと何処かにいなくなってしまう要領の良さも持っている。
 一人が好きかと思うと誰かとつるんでいる。
 つるんでいるかと思うと一人で本を読んでいる。
 不思議な雰囲気の子だった。

「あのね梨々子。あたし、川野君が泳いでるの見たことある」
 学校から一緒に帰っていた時に佳奈美が言った。
「え?」
「去年の夏休み、家族と旅行に行ったの。そしたら泊まってるホテルのプールで偶然川野君見つけて。一人で泳いでた。それがねぇ」
 佳奈美は夢見るように続ける。
「すっごくきれいに、速いんだけどバシャバシャって感じじゃなくて、スイスイスイーって魚みたいに。うわ上手いなぁーって見てて、水から上がったら川野君だった」
「本当?」
「うん絶対川野君。でも親みたいな人が慌ててやって来て、叱られてた。連れて行かれた時に目が合ったの。今年同じクラスになった時、あたしを見てギクって顔してた」
「人に見られたらまずかったのかな。何でだろ」
「分かんないけど、あんな顔されたから聞きづらくって」

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