小説

『河童の川野君』裏木戸夕暮(『河童』)

「まあ、誰も信じないだろうしね」
「あのさ。その言い方だとやっぱりあれは、あるの」
「あれは、あるよ」
 川野君はクスッと笑った。河川敷には誰も居ない。川野君が私に首筋を向けると、ぱくりと三本の筋が傷口のように開いた。
「それ・・・」
「エラ。僕河童の子孫なんだ」

 呆然と立つ私を川野君の方が不思議そうに見る。
「騒がないんだ。安達さんて肝が据わってるね」
「びっくりしすぎたって言うか」
「口も堅いしね。良かった。騒がれたらまた転校することになるから」
 私は改めて川野君を見てみる。青白い肌。虹彩の薄い瞳。ひょろっとした体型。何処にでもいる男の子に見えるのに。
「あのね、割といるんだよ。河童の子孫とか、天狗とか座敷童とか」
「えっ嘘でしょ?」
「だっているじゃん」
 川野君は気持ちよさそうに笑う。私たちは橋の下に座った。川野君は安達さんにならいいや、と言って色々と教えてくれた。

 河童や天狗は本当に居て、妖怪図鑑に載っているような姿はご先祖さまらしい。昔はそのままの姿で暮らしていたそうだが、人間は智慧がついてくると自分たちと違う種族を迫害するようになった。そしてご先祖さまの一部は離れた土地へ移動し、一部は姿を変えながら人間社会と溶け合っていった。
「妖怪って呼んだり神様って呼んだり、人間は勝手だなってお祖父ちゃんは言ってた」
 川野君のお祖父さんによると河童社会や天狗社会に人間が迷い込むことがある。昔はそれを神隠しと言った。迷い込んだ人間には忘れ貝を持たせたり、ナントカ朝顔という薬草を飲ませたりして記憶を消すそうだ。
「それでも記憶の断片が残る人がいるから、言い伝えになったり小説になったりするんだって」
 私は隣に座りながらつい川野君の首筋を見てしまう。閉じていると本当に、エラがあるなんて分からない。
「でもさー」
 川野君が苦笑いする。
「本当言うと泳ぎたいんだよねー、プールの授業とかめっちゃ辛い。夜中に学校に侵入して泳ぎたい位」
「泳ぐとそこが開いちゃうの?」
「僕らは水陸両用だからさ、肺呼吸でもいいんだけど泳ぐ時は本能で開いちゃうんだ」
「あっ」
 思い出した。
「あの。渡すの忘れてた」
 私は鞄から紙袋を取り出す。
「助けてくれてありがとう。これあの、命の御礼としてはアレなんだけど」
「え、なに」
「クッキー焼いたの。美味しくなかったら食べなくていい」
 川野君はすぐに袋を開けて齧った。
「美味しい。ありがとう」
「良かった」

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