小説

『河童の川野君』裏木戸夕暮(『河童』)

 二人して頭の中はハテナ、だった。泳ぎが上手い子はうちの学校ではヒーローなのに。

 遠泳大会の日はあっという間にやって来た。殆どの五年生は参加したけど、授業で一定ラインを超えられなかった子や体調不良の子はボートに乗り、先生や保護者と一緒に皆を応援する。川野君もその中に居た。
 ゴールにはご褒美のお汁粉と豚汁とテレビカメラが待っている。緊張が高まる中で大会は始まった。

 一緒だった友達とはぐれてしまい、私は海に体を任せながら泳いでいた。頑張りすぎると後から疲れると聞いていたから、自分では力を抜いているつもりだった。それが突然。
(痛っ)
 一瞬足にピリッと痛みが走ったと思ったら。
(あ痛っ、痛たた)
 攣った!と思った途端全身が固くなった。先生っと叫ぼうとした口が海中に沈んだ。
(やばいやばいやばい!)
 誰かが見てる筈、周りにはいっぱい人がいた筈。でも沈む瞬間誰とも目が合わなくって背筋が凍った。
(あ、あ、あ)
 顔が沈んだ。水面が頭の上にある。え、うそ死ぬの?海中に一人で取り残された。怖くて泣きそうになった時に誰かが。

 誰か来る。海の中からまっしぐらにぐんぐん近づいて・・・誰かが私を抱き締めた。その首筋に動くものがあった。まるで魚のような。
 気がついたらボートの上に引き上げられていた。バスタオルでゴシゴシと体を擦られて、大丈夫?大丈夫?って周りから散々心配されて。意識がはっきりした時に見たのは、ぐっしょりと濡れた体育服を着た川野君だった。

 遠泳大会はあまり記憶に残っていない。歴代最高記録で小木坂がゴールしたのもどうでも良かった。川野君はボートのすぐ側で溺れ掛けていた私を引っ張り上げたと報告し、私はよく覚えていないと言って誤魔化した。その方がいいんだろうなと思ったから。

「川野君居ますか」
 夏休み。川野君を訪ねると、何だか私が来るのが分かっていたような顔をした。
「どっか行こう。河川敷でいい?」
「うん」
 町には一級河川が流れていて、河川敷はちょっとした遊び場になっている。迷っていると川野君の方から切り出してくれた。
「見られただろうなって思ったんだけど。誰にも言ってないの?」
「うん」
「それでか。噂にもなってないから」
「だって」

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