小説

『自尊の果て』川瀬えいみ(『山月記』)

『才能はあったはずなんだ。なかったはずがない』
 それが李徴の口癖だった。
 とはいえ、それは人間の声と言葉で作られるものではない。虎になって三年。李徴は既に人語を発することができなくなっていた。
 李徴に詩人としての才能があったのかなかったのか、それは定かではないが、李徴は根拠もなく自らの詩才を信じていたわけではない。
 李徴は若くして科挙に合格した秀才だった。死に物狂いで勉強しても大多数の人間が合格できず、ごく少数の合格者の平均年齢は四十歳前後。その科挙に、李徴は二十代前半で合格した。
 そんな自分が詩人になることを志したなら、陶淵明や謝霊運ですら足下に及ばないほど優れた大詩人になれるに違いない。李徴がそう信じたのは、(李徴にとっては)極めて論理的、自然で当然のことだったのだ。自らの詩才を信じる李徴の自尊心は、崑崙山よりも高かった。
 だが、その高い自尊心ゆえに、李徴は他者に教えを乞うことができなかったのである。自分が師と仰ぐほどの大詩人が現世にいるはずもないという驕りゆえに。そして、もし――もし他者に指導を願い出て、己れの詩を散々に貶されでもしたら、どうすればいいのだろうという怖れのゆえに。
『才能はあったはずなんだ。なかったはずがない』
 結局、詩人として世に認められることなく、役人としても落ちこぼれた李徴は、自分に才能がなかったことを認めないために、人でいることをやめ、河南の地で虎になり果てた。

 ところが李徴の才は、虎としても下の下。狩りの技術は無いに等しく、身体能力も低い。
 だというのに、相変わらず自尊心だけは並外れて高く、他の虎に教えを乞うことはできない。李徴は、技量もないのに己一人で水牛や猪などの大型哺乳類に挑み、そのたび獲物に逃げられることを繰り返していた。
 小さな蛙や動きの鈍い亀であれば、狩りの技を持たない李徴にも捕えることはできただろう。だが、元は天下の大秀才だった自分がそんな卑小な動物たちと対等に戦うことを、崑崙山より高い彼の自尊心は許してくれなかったのである。李徴は、結局、他の虎の食べ残しをこそこそと盗み食いして、命を繋ぐしかなかった。

 虎になった李徴はいつも腹を空かせていた。体は痩せ細り、毛並みも悪い。
 河南で最も弱々しくみすぼらしい虎。それが李徴だった。
 雌の虎たちはそんな李徴を見下し、見向きもしない。河南の虎たちは皆、李徴を蔑んでいるようだった。李徴にはそう思われた。
 そんな場所で、誇り高い李徴は、虎であり続けることができなかったのである。

 
 河南の森の中で虎として生き続けることができなくなった李徴は、鄭州の町に行き、そこで猫になった。

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