あれのせいじゃないことはわかってる。みんなが閉じこもっていいよって言われるずっと前から僕はずっとこうだった。
なんにもなかったかのようにみえる一日でもきっとなんかはあったはずなのだ。それを思い出してごらんってカウンセラーの人に言われたけど、なんもおもいだせね~ですって答えた。
あのカウンセラーの八島は言っていた。
靴を買うとかさって言った。無能だと思った。靴ぐらいで家から外に出られるんだったらもう出てるよって。
そうしたら、いつだったか学校に行ったことを想いだしていた。授業を受けに行くのではなくて、選挙の投票をしにいったのだ。いじめにあう度に引っ越してきたので、その時住んでいた街は、どこかで過去まなんだ大阪のTという町の学校への道のりを重ねてあるいたりしていた。その頃のぼくの精神状態は、ひきこもっていたけれど見知らぬ人とだったら言葉を交わせていた。
思えば小学校時代3回転校したので3つの学校に通っていたことになる。なぜか道のなりたちが似ているので家からいちばん近かった2年だけ通った新設校のS小学校を思い出したりしていた。
体育館にそのままの靴であけっぱなしの扉をくぐる。
そのときふと知らない選管委員の人たちの顔をみて、ずいぶん知らない人ばかりの街に越してきたのだと気づいて安堵した。知り合いがいないことの心地よさってあるってはじめて思ったのだ。
ぼくはハモニカを吹けるようになりたくて部屋にこもっていたあの部屋はもうないし、夏の水泳教室に通っていた道はずいぶんまえから遠くになってしまっているし。坂の上でじゃんけんに負けてみんなの鞄をもたされたけど、理不尽だよねって思ってほっぽらかして帰って来たあの子たちが誰だったのか、もう思い出せないけれど。
眠るとあまりよくない夢をみそうなとき、映画をついつい見てしまう。
この間、夜更かしながらでもみたかったのは、パク・チャヌク監督の『イノセント・ガーデン』だった。
はじまりのシーンから、なにかがもうすでに起こってしまった後のことを描いている、不穏な感じが伝わってきて、胸騒ぎがした。まだぼくは胸騒ぎするんだと確認していた。
普通の女の子のファッションのようにみえて、どこか
なにかがちがうのは、彼女が<ママのブラウス>に<パパのベルトを締め>、<靴は叔父の贈り物>だったから。
インディアという名の彼女がしずかに踊るように語っていた。
ぼくはそう、いつも父親の靴の上にじぶんの靴をあてはめるかのように履いては庭で遊んでいたことを想いだしていた。
遊ぶんだけど、たえず自分の足にあわないなにかを足かせにしながら生きているような違和を感じているから息苦しくて。