その子の質問が終わらないうちに一人の子は話しだす。
「ぼく、ぼくはね、じぶんがまだうまれるまえ」
ちょっとだけざわっとこころがゆれる。うまれてきたことをくやんでいるのはきみだけではないって、ぼくの老婆心がもたげた刹那。
「だからぁ、あのベビーカーとかにのってたころ?」
ってさっきの男の子の声が聞こえてきて。
「ベビーカーの頃?」って女子も男子も声が重なる。
言葉の使い方を、セオリー通りに使ってしまう日々に慣れているじぶんの中になんか、どこか目的地を失った矢が刺さった。
思わず、きみはうまれてるじゃないかって。それはもう一昔前のツッコみ方だったけど。
こどもって。たぶんじぶんの記憶から抜け落ちていることはもう、産まれていなかったことの引き出しに入ってるらしい。
でも彼らは、だれもそれうまれてるじゃんとかつっこまないしみんなへぇ、ベビーカー? とかいいながら、はしゃぎながら彼の話に乗っている。
だれもつっこまないで、とにかく話に乗り続けていくってぼくにとってはちょっと甘美だった。
みらいの欠片となづけてみる。
欠片はかけらでしかなく、それでも拾いたくなったのは、そんなにみらいについて興味がなかったからかもしれないし。倦んで病んで病んで倦んで。
それでもたぶんあしたになれば、昨日言ったことなんてけろっと忘れているんだろうけど。
そうやって、ひたすらに秒の束を刻んでいってほしいってぼくは思ってみる。
一冊のノートにさっきの言葉を収録する。収録されたものはどこかに披露するわけではなく、日々の記録としてただ記していくことが使命なのだと言い聞かせる。
これもすべて灯りちゃん効果だと思う。
ある日、灯りちゃんが靴を置いてゆく音がしたので、ドアを開けた。
彼女の姿はなかったけど、階段をダッシュで降りる音だけがした。なんとなくそれは灯りちゃんじゃないような気がした。
靴に足を入れたら痛みが走った。
痛っ!
靴の中にはかなりの小石が入っていた。
こうやって昔も靴箱の中ぼくの靴の中には小石が入っていたことを想い出してちょっと膝を抱えたくなった。
でもあれって、灯りちゃんだろうか。
そんなわけはないよなって。でもどうなんだろうって思いながらぼくは、深夜になる手前の時間のコンビニに行った。
灯りちゃんのシフトが変わっていることを知っていたからだ。
ぼくは小石で傷ついた足の指にバンドエイドを巻いたまま、その真新しい靴を履いてそこに向かった。買いたいものなんて殆どなかった。
レジに灯りちゃんがいた。
ぼくは、あのさってシールドの向こうにいる灯りちゃんに話しかけた。
なに?