『メタモルフォーゼ』N(えぬ)(『変身』)
父と母と末娘の邦子の三人が長男邦夫の部屋に集まっていた。 邦夫は小さいときから少し知恵が足りなく挙動がやっかいな人間だった。それは医者によって医学的な説明が両親に申し渡されていた。それで彼はほとんど部屋にいさせられて […]
『モザイクピース』小山ラム子(『青い鳥』)
「そっかあ。柳沢さんが引き受けてくれたんだ」 思いもよらないタイミングで自分の名前が聞こえ、美知佳は思わず足を止める。珍しくもない苗字だが声の主からして恐らく自分のことだろう。 ソッと柱の影から様子をうかがう。話してい […]
『鑑定眼』三坂輝(『魔術』)
「世界ではたくさんのアート作品が売買されています。市場規模は7兆円とも言われます」 彼は机の上に手帳を広げ、7兆と書いた。 「海外では特に盛んです」 私はうなずいた。 「ですから、売り買いをすることはおかしなことでは […]
『草の窓』柿沼雅美(『草の中』)
実家の街から少し離れたアパートの一室を借りた。 ここでこの冬を送ることにした。アパートを出てすぐに、森を模して整備された公園の入り口がある。毎日のように公園の中を歩いていると、大人数での遠出や旅行がしづらくなったため […]
『幻のお供』池田啓真(『桃太郎』)
剣八は首をブルルと震わせた。寒かったわけではない。 一行の上空を覆う夕日に色づいた紅葉。塗装が剥がれるようにひとひらの葉が舞い落ちる。葉は剣八の先の尖った耳にあたり、急に力を失ったように地面に落ちる。 「ここいらで […]
『あやかしシェアハウス』世原久子(『遠野物語 オクナイサマの田植』)
パソコンの前に、誰かいる。 たぶん女の子だ。切りそろえられたきれいな黒髪と、赤い着物から伸びる白くて小さな手。薄緑の洒落たデザインの帯。オフィスチェアに姿勢よく座り、キーボードをテンポよく叩いている。足が床に届いてい […]
『白』和織(『駆落』)
素直で世間知らずな若者を見て、大人がよく「変わらないでほしい」だとか「そのままでいてほしい」だとか言うけど、とっくにそうでなくなってしまった奴らにそんなことを言われる筋合いはないし、純粋無垢であることに一体どんな価値が […]
『包帯をほどく女』中村市子(『蜘蛛の糸』)
陽が傾きかけた校庭で、蓮見佑は女子生徒たちにもみくちゃにされていた。学ランのボタンは上から下まではぎ取られ、学ラン自体も争奪戦になっていた。この中学いち、いや、この島いち人気者の卒業だから当然といえば当然なのだが。 […]
『彼が持つ宇宙』蒼(『銀河鉄道』)
「数学には詩がある。ひとつひとつ丁寧に優しく辿っていくと、宇宙に繋がる。数学にも宇宙にも僕は詳しくないですが、ただ言えることがあります。それはどちらも見えないところで深い関係を持っているということです」 インスタントコ […]
『火垂』和泉直青(『雪女』)
【 第一章・火男 】 雪女が「蛍火を探しに行きたい」と僕を連れ出したのは、 僕がフランスから帰ってきて、すぐの事だった。 僕が雪女と最初に出会ったのは、奈良県の「若草山の山焼き」の最中だった。 古き山を葬り、新しい山を創 […]
『キス疑惑』太田純平(『接吻』)
(1) 会社の先輩と二人で飲むはずだった。残業を終え会社を出て、たまには鍋でもと店を探していたら、偶然あの子に出会った。 「あれ? お疲れ!」 「あぁ、お疲れ~」 彼女はちょうどバイト終わりとみえ、居酒屋の脇に停めた […]
『粗忽マンション24時』平大典(『粗忽長屋』)
マンションの大家である八さんは、非常に慌て者であった。ついでに思い込みが超激しい。 一度思いこむと、もう修正がきかない。 ある日、管理人室で昼飯のカップラーメンをすすっている時だった。 テレビのニュースを観て、唖 […]
『腐れた女子と腐らない男』裏木戸夕暮(『フランケンシュタイン/メアリ・シェリー』)
「いや俺、どないしょ」 青年は呟く。 「こんなトコで」 肌を切り裂くような吹雪と氷の大地。橇の上に青年、唯一人。 しかし、どれだけ呆然としていても体が凍りつくばかり。青年は荷物を背負い橇から降りた。 「あ」 離れ […]
『ある彫像について』平大典(『地獄変』)
美術大学出身である夫に連れていかれたのは、隣町にある美術館でした。 なんでも夫の学生時代の友人が、そこで個展を開いているというのです。その人は女性で、最近では雑誌などでも目にすることが多くなっていた彫刻家でした。夫と […]
『月に願う』吉倉妙(『赤い靴』)
さっきテレビで自分のニュースが流れました。 見覚えのある町並みの映像後、私、岡村友子容疑者の中学校時代の同級生と表示された、モザイク画像の女性(A子さん)が、 「同じ美術部でしたけど、彼女は途中で辞めてしまって、放課 […]
『毒入りリンゴを手に持って』小山ラム子(『白雪姫』)
雪のように白い肌。何もかもちいさなパーツの中でひとつだけ存在感を放つおおきな瞳。細いながらも均整のとれた身体。 城崎雪乃は完璧な美少女だった。 青山一(いち)夏(か)は偽善者だ。 クラスの一部の女子に自分はそう言 […]
『リベンジするほどパッションはない』もりまりこ(『ブレーメンの音楽隊』)
八雲のリベンジは、ある日突然決行された。 ボウルの中の純白の団子の粉に水をそろりそろりと注ぐ。さらさらだったものがこねているとしっとりとしてゆき、ばらばらだったしろいものがひとつにねばってゆくのがわかる。かつて粉だっ […]
『しゃがむ』もりまりこ(『野に臥す者』)
思えば我が家は、しゃがむ一族だったのだ。父や祖父、親戚一同は我が家に降りかかるとうてい予想のつかない出来事に対峙しきれなくなると、たちまちしゃがんだ。 祖父の空知がたちまちわたしの前でしゃがんだのは、繁華街を歩いてい […]
『机の裏の銀河』柿沼雅美(『片すみにかがむ死の影』)
完璧すぎる遮光カーテンのおかげで、この部屋は一日中暗い。ほんとにシングルサイズなのかなぁという狭いベッドへの疑問が年経ってもぬぐえていない。マットレスがいつまでたっても固くて、起きた時から午後になるまでずっと左肩が痛い […]
『屋根裏の動物園』永佑輔(『屋根裏の散歩者』)
この安普請の下宿に入居して気づいたことが二つある。一つは、押入れの天井板が外れて屋根裏に忍び込めるということ。も一つは、各部屋の天井には必ず節穴があるということ。てなわけで住人たちの生活を覗き見る、それが郷田の生きがい […]
『甘橙』細田拓海(『檸檬』)
得体の知れた不吉な塊が、私の腹の中を終始押さえつけていた。怒りと言おうか、虚しさと言おうか、酒を飲んだあとに二日酔いが来るように、その塊は私の中に居座っていた。この塊の正体について、私は検討がついている。それは、散って […]
『忘れない人』渡辺リン(『忘れえぬ人々』)
センス良く植栽のされたカフェに一人の男が入る。名前は古賀武志。コンクールで賞を取り小説家デビューを果たしたものの、まだ単行本を出す計画はなく、その時のために書けるものを今はひたすら書いている。席に通されるとさっそくノー […]
『秋の修羅』六(『赤ずきん』)
ああ、酷い。最悪。気持ち悪い。 いっそもう、死んじゃいたい。それか、殺してしまいたい。 愛すべき曽祖母の吐瀉物を両の手に受け咄嗟にそう感じた佳世の感性は自分でもどうにもできぬほど生理的なものであり、凝り固まっていて […]
『熱』和織(『寒さ』)
どうしようか、どうなるだろうか。そればかりがずっと、頭の中を駆け巡っている。それは、何を考えるにしても同じこと。そういう性分で、止められない。昔からそうだったのだろうか?いつからこうなのだろう?考えてもわからない。もう […]
『百年の冬の庭』川瀬えいみ(『わがままな巨人』)
そのお屋敷の庭は、冬を知らない庭でした。 すみれ、ひなぎく、ガーベラ、ジャスミン、百合にアネモネ。広い庭には明るく温かい色の花が次から次に咲き、花のない日は一日とてありません。 林檎にオレンジ、葡萄に桃。庭には、甘 […]
『スワンボート』吉岡幸一(『ハムレット』)
家出をしたことを後悔はしていませんでしたが、行くあてもなく街をさまようことには疲れました。十七歳の僕が夜の街で行ける場所なんてそうありません。お金も千円札が三枚と、十円玉が二個、一円玉が四個しかありません。これだけの金 […]
『きめにくいアヒルの子』室市雅則(『みにくいアヒルの子』)
さて、どうするか。 十七歳の花子は思案した。 花子は横浜は山手の女子校に通う学生である。学校では、年に一度、各クラスが演劇を発表する演劇祭が行われている。今日のクラス会で、花子のクラスは『みにくいアヒルの子』を上演 […]
『満開の花が咲き誇る日を』ウダ・タマキ(『オオカミ少年』)
鮮やかな青い空を背景に、淡いピンクの花が風に揺れる。満開のソメイヨシノを見上げて、なんでこんな場所に来たんだろうって、今更ながら後悔している。綺麗だな、なんて僅かでも心が動いた自分が嫌だった。いや、そう感じられる僕は、 […]
『きっと、きらきら光ってる』志水菜々瑛(『ラプンツェル』)
年長さんだった私が初めて自主的に取り組みたいと申し出たのは、ピアノでも、水泳でも、野球でもサッカーでもなく、ヘアードネーションだった。 「お母さん! あおい、ヘアードネーションやりたい!」 「ヘアードネーション?」 […]
『時は立花のように』佐倉華月(『三四郎』)
空気が冷たい。風に乗って吹きつけてくるものだから、さらに冷たい。 憲法発布から四日が過ぎた、二月二十六日。あまりの寒さに耳をきんきんさせながら登校する日々が続いている。 広田が通っているのは、第一高等中学校。時計台 […]